村の入り口に建つ、村付きハンターに与えられる家屋。
 入ってすぐの寝室、ベッド上に膨らむ白い布。
 並び立つのは黒髪ナデシコ黒モフ子猫。
 深呼吸して1、2、3っ。

 ぼふっ。

「リィさ〜ん、朝ですよ〜」
「朝ですニャ〜」
 ふわふわ布団に子供と子猫。
 ゴロゴロするのは気持ちが良いけど、これは立派なお仕事です。

「村長が呼んでますよ〜」
「呼んでますニャ〜」
 もふもふ、ふかふか。

「一番の功労者が寝坊しちゃいけませんよ〜」
「いけませんニャ〜」
 ふわふわ、もこもこ。

「あ〜それにしても、こんな小さな村にこのお布団」
「贅沢ですニャ〜」
 もふもふクックファーの布団。
 この村の生活が落ち着いて最初に仕入れたのがこれ。
「ふわふわ〜の……」
「もこもこニャ〜……」
 ここの主リネット=エイン、寝床と寝間着に妥協しない女。
「Zzzzz……」
「むにゃにゃにゃにゃ……」
 天気は快晴、空気はぽかぽか。
 厳選された布団の中で、ネコと子供は夢心地。

 それは彼女らがポッケ村を発つ、数日前の事……。


   ――――From The Past』―――
            呼び声

 気持ち良〜く、気持ち良〜くしていると……。

 ぐいっ。

 心地よい温もりを提供してくれる布団が引っ張られ……。
「ほいっ」

 どさっ

 子供と子猫、雪獅子の毛から織られたシーツの上に。
 残念ながらごくごく普通の敷布に真っ逆さま。
「おまいら、い〜つまで寝とるつもりか」
 安眠妨害の犯人はここの家主、リネット=エイン本人。
 寝ぼけ眼の子供と子猫、起こそうとしていた家主に起こされる。

 では、先程までの布団の膨らみは何かと思えば……。
「むにゃ……むにゃ……」
「もう食べられないニャ〜」
「Zzzzzz……」

 真ん中で丸まって寝てるのはダイン。
 布団ひっぺがされた直後にベッドと壁の間に収まるテムジン。
 そしてダインを枕に両手を胸の上に組んで微動だにしない太っちょ。
 しかし、これだけではあの膨らみに足りないと見てみれば……。
「むにゃ〜……すぴ〜……」
 布団カバーの中で寝息を立ててたバレル君。
「羽毛、破けて出て無いと良いがの……」
 それを引っ張り出した家主の背の弓、黄色と青のストライプ。
 暫く呆けていたけれど、マイラは急いでお着替えを。
 レベたんはホラ貝模した笛を背負って追いかける。

 村から少し降りた所に広がる農場。
 鉱石を掘る岩壁の奥にぽっかり開いた穴。
 奥に氷の壁があって良い感じに寒いので、天然の冷蔵庫にしてたのだけど……。

「これ、壊しちゃうのニャ?」
 そこに並ぶのは村長、ネコート、リィ、マイラ、鍛冶屋の親子にネコ達に。
「ああそうさ、元々この奥に用があって拓いたような村だしのう」
 更に後ろには、ジミーさん初め見物に来た野次馬が少々。
 轟竜の大鳴き袋で作った大音爆弾。
 着火の栄誉は功労者へと。
 村の畑の奥、鉱石を掘り出す岩壁にぽっかり空いた穴。
「それはまた、何とも壮大だの」
 リィがそう言いながら、矢を抜いて一歩前。

 青と黄色のストライプ。
 手にした矢の先、鋭い鏃の代わりに丸鏑。
 鏑、カブラとは、先に開けられた穴に、笛のごとくに風を通す物。
 連絡の他、魔を払うとされ、シキ国では祭事の折にも使われると言う。
 ちなみに国崩の方は修理中。
 上位相当のティガを延々殴り続けていたのだ。
 軋みや裂け目の一つや二つ、出来てない訳がない。

「ニャあ、打ち上げ樽突っ込ませるのじゃ駄目なのニャ?」
「お前、それに風情を感じるニャか?」
「感じるニャ」

 レベたんがホラ貝を模した笛を吹き鳴らす。
 鏑矢をつがえる、弓を構える、弦を引く。
 その先は穴の奥。寒冷期を間近に迎えたポッケ村。
 それでもなお空気は冷たく張り詰めて……。

 キュオッ……ピュイッ!!

 放たれる矢、飛距離相応に短く響く音。
 ひどく長く感じる沈黙、その後の響きは重低音。
 何かが崩れる音はさながら獣の慟哭。

 周囲にいた村人一同、射手含め耳塞いで蹲る。
「う〜……解っちゃいたけど凄い音だの……」
 後には洞窟から転がり出た無数の氷塊がゴロゴロと。
 それを見て、満足げに一歩前に出た村長は……。
「さ、皆の衆。コイツをさっさと片付けるよ」
「ちょ、村長、まさか皆を集めたのは……!」
「はて、我等が村のハンター殿を酷使するわけにもいかんだろう?」
 なので体力有り余ってる男集をアゴで使う。
 特にテッちゃんとかテッちゃんとかテッちゃんとか。

「くっそぉーっ、やっぱりかぁー!!」
「おい、ジミー!!」
「あいにく私は腕をやられ……て、村長、その、棒と氷塊は……?」
「テコの原理だよ。そのぐらいできるだろ」
「ぎ、疑問符すらない……」
「あ、ボクも手伝いますニャ」

 と言うわけで、男衆(と、レベたん)が頑張ること数分。
 ごろごろがらがら、運び出される崩れた氷。
 積み上げれば人の背丈を優に超え、小さな居間を飲む程に。

 開通した洞窟に入るリィと村長。その背後に男達が死屍累々。
 そして、好奇心旺盛な子供達とそ母親も続いて行こうとして……。

「……どうしたね?」
「ん、いや……今、風が入ってったような」
 元が天然の冷蔵庫だっただけに、ましてポッケ村であれば肌寒さに違和感は無い。
 ただ間を置かず、穴から吹いて入る風はまるで呼吸のようで……。
「今のは……何かね?」
「ふぅむ。それなら私らが先に行ってみようかね」
 チラと後ろを見れば、恐いもの見たさ半分嫌な予感半分の子供達。
 母親達は、一様に不安の表情を浮かべて居たから。

 氷の洞窟、奥の天井に空いた穴から零れる光。
 その光の下に立つ、リィの背丈の4倍はあろうかと言う巨大な剣。
 黒く、しかし光を照り返すそれは、足元を氷で固められていて。
 長い年月をかけ氷で侵食されたらしいヒビ。
 覆うように隆起したそれはまるでかさぶたのようで。

「して……これは何だい?」
「ふーむ、私らのご先祖の遺品なんだけどもねぇ……いやはや、まさか本当に……」
 村長は感慨深げ。けれども、リィを初めとした各位は首傾げ。
「まぁ、学者さんとかそこらは喜ぶんだろうけど」
 ただ、何となくだった。
 その剣に、手を伸ばしたのは。

 すぅ……ぎゅっ。
「!?」

 吸い付いたように思ったのは一瞬。
 慌て手を引いたとき、黒い何かがバチリと弾けたのは気のせいか。
「ううむむ……用もなく立ち入らん方が良いようだのぅ」
 結局、村長と鍛冶屋のテッちゃんを残し、その日はお開き。
 リィ達は笛の材料調達のため狩り場へと。
「マイラたんは当分雪山これないしの」
「はいっ」

 そして、その日の夜……。

「んで、その霊験ありそーなもんを早速切り取って来たと」
 笛と弓の注文をすませ、鍛冶屋の居間に残っているのはリィとテッちゃん。
 二人が挟むテーブルの上には黒い欠片が。
「安心しろ、御払いはちゃんとしてきた」
「いや、払って良いのかいそれ」

 研究資料としても価値が有ることぐらいは素人にも解る。
 否、価値があるからこそ欠片をちょっと失敬せねばならなかったか。
「だってよ、アイテムボックスで増殖とかされたら怖いだろ?」
「増殖て、ナマモノじゃあるまいに」
 そう言って摘まみ上げた欠片は、やはり指に吸い付くような感じがする。
 あんまり良い感じはしない。
「所がよ、そうでもないんだ」
「ほう?」

 百聞は一見にしかず。
 夜の畑を抜けて、先日の洞窟へ……静まり返って結構不気味。
 転がっている紫色の破片が更に不気味。
「コイツは……古龍骨かい?」
「ああ、うちにあった、まぁ、お守りみたいな奴だな」
 何で叩いても歯が立たず、半ば冗談でやったらビンゴだったとか。
 テッちゃん曰く霊験あらかたならそれ相応の、との事だが。
「で、何処叩いたか解るか?」
「んー、コイツその物が資料だから、元々ボロかったりするような場所か……」

 と、探せど探せど……。

「……何処?」
 見つからない。
 散らばった破片の大きさから見ても、目視できるサイズだろうに。
「もう塞がっちまったかなー……と、あった」
 そこにあったのは、小さな割れ目。

 いや、割れ目と言うにも不自然だったかもしれない。
 普通、固いところに衝撃を与えて割れば断面は角張る物。
 それがまるで、盛り上がって来たかのように丸みを帯びている。
 何か見覚えがあると記憶を総動員してみる。
 深く斬りつけた後の傷とか、弟の頬に出来た火傷が思い浮かんだ。

「今朝やったんだが、大分薄くなってるな」
「やった時はどんぐらいだったんだい?」
「ネコの手ぐらい」
「思ったより小さいね。それでナイフが粉砕かい?」
 ナイフと言えど、破片の大きさを見ればハンターが使う剥ぎ取りナイフほどはあろうか。
 つまり、戦闘にも使おうと思えば使える程度の。
「古龍骨でピッケル作れば、もうちょっとデカイ欠片が取れそうなんだけどなぁ……」
「んで、そのデカイ欠片でなにする気だい?」
「この手の試験相手は大抵でっかいから、役には立つと思うけどなー♪」
 メモには貫通特化龍属性と、その他諸々のスペック表。
 国崩の本懐は拡散だし、矢は良く飛ぶけど火属性のプロミネンス。
「好奇心旺盛と言うか畏れ知らずと言うか……」
 その恩恵を受けるのは他ならぬ自分自身なのだが。
 けれどもリィは思う。自分はこんなに信心深かったろうか。
 剣に触れた時の、握り返されるような感覚はまだ手に残っている。

 ……そして数分後。

「それでは幾らか、失敬させて頂きます」
 骨製のピッケル担いで、剣に礼をするリィがいる。
 その大きさ、一般的な物の優に二倍、テッちゃん作。
 急拵えではあるが、普通のサイズにしようと思えば加工に手間暇かかるとかで……。
「んじゃ、いってみよぅかぁー」

 カッツ――――ン……。

 こぼれ落ちる黒い欠片。一拍の間を開けて砕けるピッケル。
 こぼれ落ちた黒い欠片と塊は、弓一つ作るのに十分な量だった。

「精が出るであるな」
 素材をテッちゃんに、余りを頂いて帰る途中の事。
 リィの進路に立つのはネコートさん。
「よっ」
「ぬこーとたんもアレが気になるのかい?」
 特に通せんぼするわけでなし、並んで歩く。
 このままだとお茶でも振る舞う事になるかもしれない。
「気にはなるが……私より関心を寄せそうなのがいてな」
「それが本題かい?」
「んむ。やましさも危険も無い、ごく簡単な仕事だ」
 わざわざ待っていたとしたらそれしか無い。
 お手軽感を強調されたとて、勘繰るなと言う方が無理がある。

「その欠片、ギルドナイツ筆頭に届けてくれんか?」
「はい?」

 ギルドナイツ筆頭、ギルドの偉い人。
 リィ、上位入り立てで大老殿入れるかどうか。
「の、のぅ……それは、ちゃんと手続き取った方が早く無いかい?」
「いや、貴殿の方が早いと思うのであるが?」
 はてなと首をかしげるネコートさん。
 そんな彼女に首をかしげるリィ。
「……どうしたである?」
「いや、そんなお偉いさんにそう簡単に会えるもんかのと」
「会っているはずである。何なら弟経由でも構わんである」

 はて、そんなお偉方に会っただろうか?
 いやいや、お偉方故に素性など名乗らなかっただけか?
 とにもかくにも、疑問を残したままは何だったので……。
「のぅ、その人、見た目どんなよ?」
 素直に聞いてみる事にした。
「黒髪青目で……」
「ジャッシュのおっちゃん?」
「いやいや、もっと偉そうな黒コートである」
「あー、あのおっさんか。そんな偉くなってたのかぁー……へぇー……」

 ――そして翌日、話は砂漠のほとりの森に移る。

 砂漠のほとりの森、その、更に奥の村。
 一家に一本二本木の生えているような村。
 空から見れば繁る木々の葉が、すっぽり覆ってしまいそうな村。

 草に埋もれそうな轍の終点。
 蒼装束の少年と黒衣の男、二人の騎士に守られた竜車が止まる。

 最初に降りたのは片足無くした女の子。
 杖は即席、義足なんてあるはずも無く。痛みだって引いたかどうか。
 一本増えた、やはり肉球の杖を両脇に挟んで駆けようとする。
 慣れて等いるはずもない。それでも駆けようとする。
 少年騎士にはその子が転びそうに見える、脇を庇うように見える。
 そんな心配など無用と走る先は白壁の家……恐らくは病院。
 立ち止まる姿が怯えたように見えた。
 けれど、意を決したように入っていくのを見る。

「意外と、あるもんですね……」
「流行り病の時、派遣された医師に報酬を払えなかった事があったそうでな」
 けれどもその医師は、何も言わず去って行ったと言う。
 医療費は当然彼の負担。
 それに気付いた村人達、蓄えを持つことの重要性を感じ……。
「気付けばここから結構な豪商が何人も。立地が良ければもっと栄えたろう」
「へぇー……」
 ごく普通に感心する少年ナイト。
 筆頭、あまりに普通の反応に……。
「お前、両親の馴れ初めとか聞かなかったのか?」
「場所までは」
 そういう物かと肩をすくめる筆頭。
 彼の記憶が正しければその両親、相当大暴れしてたはずなのだが。
 少年の態度はまさにけんもほろろ。商隊の親父のなんと話の解った事か。

 けれど筆頭、手のひらを天に向けお手上げしてるのはポーズだけ。
「そしてお前の元カノの故郷だったりする」
「……?」
 疑問に感じたのはたっぷり一秒。
 真意に気付く。青ざめる。身がこわばる。
 一歩後ずさろうとして、筆頭に肩を掴まれる。

 それは、触れれば今なお痛む事だったから。

「いい加減、頃合いだ」
 人を斬った。助けようとした人を助けられなかった。それでも残った希望を知った。
 そしてもう、あの事件に触れても、少しは……。
 解っている。頭では解っているけれども……。

 けれども……。

「すいませーん、リトーシャさんのお宅はど……」
「わーっ! わーっ!! わぁああーっ!!」
 幾らなんでも、物の順序と言うものがあって……。
「何だ、お前の方が煩いぞ」
「い、幾ら、なんでも……」
 ところで彼女の名字はとか聞く筆頭に、言い返す気力も無い少年ナイト。
 もっとも、そんな大声出せば気付く人間は確実にいる。いるけれども……。

 それが所々血のにじむボロ切れ纏った髑髏の仮面となると。

「……」
「っ!?」
 方や静かに、方や露骨に警戒してしまうのは世の常。
 装備が装備、良くある誤解。
 けれどその男、誤解を解こうとするどころか露骨に少年を見て……。

「お前……ディフィーグか?」
「え……?」
「あ、これじゃ解らんわな」
 脱いだ兜の下から零れるように流れる黒髪。
 多少面長で整った顔、故に右頬に走る傷が目を引いた。
「えーっと……」
 それでも思い出せない少年。
 男、肩を落として名を名乗る。
「マルドです……」
 少年、やっぱり首傾げ。

 男、蚊の鳴くような声で呟く。
「……リトの兄です……」
「あ。兄貴」
 記憶と重ならなかったのは時のせいか、顔に深く刻まれた傷のせいか。
「お前に兄貴言われる筋合いは無ぇわぁーっ!!」
 冗談交じりの叫び、怯えて方をすくませる少年。
 哀れむ筆頭と、言い訳がましい視線を送る少年。
「お前……名前ぐらい覚えててやったらどうだ」
「や、大抵リトと喧嘩してるか別の狩りかだったし、それとその傷ど…… 」
 筆頭はそれ以上聞かず返さず、兄貴の方に向き直る。
 二人の狩りに、敢えて同行しなかったのは下心。
 それも、今となっては無駄に終わって……いや……。
「それで、当の妹さんは?」
 まだ、間に合うかも知れないと。

 兄貴は当然のごとく睨む。
 先ほどの呼びかけといい、ふざけて良い話ではなかったから。
 そんな視線を、わずかに笑むだけで反らせるのは筆頭が筆頭故か。
 正面から見れば、そら寒い物を感じさせる、笑み。
「……今朝、狩りに出ました。多分夜までかかります」
 大人二人は気付かなかった。
 その時、その言葉で、少年が顔を上げた事に。
 いや、気づけなかった。

 ピィー……。

「あ」
 彼らが振り向けば、こちらに向かって突っ込んで来る鳥の影があったから。
 衝突でもするんじゃ無いかと言う速度で突っ込んで来る伝書隼。

 バササササーっ!!
 スカッ
「へぶっ!?」

 訂正、本当に筆頭に突撃しようとしていた。
 避けられて被害被ったのは兄貴だが。
「ふ、私を蹴倒そうなど百年早い」
「……筆頭、それ隼にナメられてます」
 嘴で髪引っ張られたり小手の上から爪を立てられたりしながら足輪の手紙を抜く。
 少年と兄貴はと言えば、それをただぼーっと見ていた。
 まるで、親が所用をすませるのを待つかのように。

 細い紙切れに書かれた手紙の内容。
 もちろん二人から見えるはずも無いし、筆頭も見せるはず無し。
 ただ一瞬、その手がピクリと動いたのは気のせいか。

 文面と少年とを交互に見やる筆頭。
 目を伏せ、考え……けれど纏まらず。
 痺れを切らしたのは少年の方。
「火急の、用件ですか?」
 すぐに少年を見やり、手紙に視線を戻し、また少年を見る。十分だった。
「……いいのか?」
「外に、出られるようなったのでしょう?」
 その声に含まれていたのは安堵。
 視線を向けられた兄貴が戸惑いがちに頷く。
 筆頭が何か言うより先に、肩を掴まれるより先に駆ける少年。
「アイツっ!」
 筆頭が兄貴に軽く礼をして追う。

 村から見失うには近く、話し声を聞くには遠い場所。
 甲高い笛の音が響く。筆頭の手が届いたのもちょうどその時。

「おいっ!」
 少年の手には小さな笛。無理矢理振り向かせた顔には、安堵の笑み。
「前、進めていた……」
 疲労が滲む声。
「ゆっくりで、良いんです……一年二年で、どうにかなるモノじゃない」
「お前はどうなんだ?」
「俺が邪魔しちゃいけない」
 肩は、小刻みに震えていた。

 竜が来る。羽ばたきの風圧は馬鹿にならない、言える時は限られている。
「怖いのか?」
 筆頭は強く出られない。
 自分もまた、それ故にこの子等から逃げた負い目があるから。
 帰還の判断は覆らないから。
「ベッドから動けないイリスさん考えれば、解るんじゃ無いですか?」
「あのな、私達はそう言う関係では無……」
 呆れ調子で返した返事と、そこに蒼火竜が舞い降りるのは同時。
 竜の足にくくりつけられたベルトを握り、少年は言う。
「俺達だって、そうでしたよ」

 竜の翼、風圧、それでも筆頭はベルトを引く。
 幼い火竜は羽ばたきぴたりと止める。
 少年が主はどっちとばかり手綱を引くが、怖い者には逆らわない。
「賢い愛騎で何よりだ」
 ちらりと村の方を見る。兄貴はまだ呆けてこっちを見てる。

 筆頭が背中を押す。愛騎はきっと何か動きが有るまで動かない。
 何を言えばいい? 何を伝えればいい?
 考えて、考えて……。

「兄貴ぃーっ!! アイツに、宜しく伝えておいてくださぁーいっ!!」
 振り絞って出てきたのは、実にありふれた言葉だった。