眼前に降り下ろされる剛爪。
 それを軽い足取りでヒラリいなして腕の外。
 手にした剣が竜の腕を裂き、頬を刺す。
 苦し紛れに迫る牙、体を捻ってかわして後ろ足。
 振り返る竜の顔を切りつけつつ横切って反対側、翼の影。
 太い腕に比べて小さな後ろ足、無防備なそこへ潜り込む。

 濃い影の下で、無数の雷花を散らす一組の双剣。

 たまらず声を上げた竜はされど振り返り、睨む。
 けれど殺意に満ちた視線を受け止める「彼の」瞳はただ静かに。
 竜が唸る、裾が揺れる。
 食らい付く牙は空を噛み、返礼とばかり剣が舞う。

 竜が振り向けば、あるのは蒼穹の空、金色の砂原。
 その視界の中央、砂より濃い金の縁取る、空より深い青の装束、
 竜が見据えるのは目深に被った羽帽子の下、蒼髪の奥で光る紫。

 それを認めて爪の動きは、まるで予定調和のように。
 長らく続くそれは息の合うワルツのようで、けれど両者の心はまるで違った。

「グルルゥ……」
「ゥルルゥ……」

 方や苦悶、方や歌う。竜が唸り、剣が舞う。
 苦悶はリード、殺意はリズム、覇気に合わせてステップを踏む。
 周り、回り、踊る。
 苦悶も殺意も、何もかもを写し取るように。

「グ、ォォ……」
「オォ……」

 竜が崩れ落ちる、まるで全てを吐ききったように。
 今尚走り出そうとする姿のままに。

 その最後の一息までも真似るように、大きく息を吸う。
 けれど、それが終わるかどうかの所で彼の背後に落ちる質量。
 振り向けば、先ほど散々踊ったのと同種で、別の竜。

「ったく……良い店でも出来たか?」
 竜の唸りを、呼吸と重ねる。
 力強い生き物から、何もかもを学び取るように。


   ――――『雪山の主は』―――
          雪と鋼と

 丁度その頃……張るか隔てた雪山にて。
「レベたーんっ!!」
「ニャアアアアアアアアアアアーッ!!」
 逃げまどう白いプレートスカートの羽兜。
 その後ろに振り下ろされ、雪を巻き上げるズ太い黄色。

 弱肉強食の掟に、知略をもって挑む連中が居た。

 一見逃げ惑うようなリィの声。
 それに合わせ、遥か空から樽が飛ぶ。落ちる先には勿論竜。
 それに当たって弾ける、赤紫なネンチャク草。
 粘ついて焼け付くそれ、嫌がる竜を尻目に開ける薬瓶は幾つ目か。

 口に含む、薬が染みる。
 尻尾に弾かれた時噛んだらしい唇の裏に、腹を通して体に。
 小さな傷が、小さな悲鳴を上げ、そして塞がる。
 僅かな打撲が、筋肉疲労が、各々痛みを吐き出していく。

 ネンチャクついでに辛子と毒も貰った竜はまだまだやる気。
 飛び去る事も出来ぬなら、いっそお前も道連れと。
「まったく……いい根性してるよ」
 腰のポーチが何だか軽い。使いきったか、落としたか。
 一発貰う毎に一本……やはり前者か。

 それを見下ろす岩棚の上、見下ろす猫の影二つ。
「ボク、折角笛持って来たのにニャア」
 と、人間の成人男性程の雪玉を転がす黒ネコレベたん。
 爆弾はとっくに使いきり、今はあるものでまぁ何とか。
「適材適所、ですニャ」
 そう言うのは濃紺太っちょ。
 雪玉に埋め込まれる毒投げナイフやら毒漬けの尖った石やら。
 一定方向に並べてやればレベたん百発百中、仕方が無い。

 最初は飛んでこないか不安だったが、どうやらそれも叶わぬらしい。
 ポリシーあるハンターには唾棄されそうだけど、相手が相手……。

 ……丁度その頃、雪山の麓、ポッケ村。その集会所の医務室にて。

「G級相当を相手どっても怯まなかったである。安心するである」
 診療台の上に腰掛けているのは、ヒーラーUの上着を脱いだマイラ。
 その上に立って傷の治療をしているのはネコート。
「と言っても、最後は現地の同胞らがトドメを刺したそうであるがな」
 医術に関しては彼女曰く、たしなみとの事。

 どうやら運悪く腸の位置を漁っていた爪で刺されたらしく、しっかり化膿。
 切開して膿を出し、縫おうとして、マイラの希望で傷薬。
 塞ぐまでの痛みは焼くようだったが、彼女はしっかり耐えた。
 けれども……。

「うう……お留守番、ですか?」
「不満そうであるな?」
 黙りこくるマイラ。
 解っている。傷は塞がっている。けれど実力の差は?
 そもそも、アレに殴りかかる度胸が今の自分にあるだろうかと。
 ただただ物わかり良く、縫い目の目立つヒーラーUを着る。
 ネコートは黙っている。ただ、黙っている。
 よーく見ると、ヒゲをピクピクとさせながら、寝台を降りるマイラを見送……。
「貴殿、今の装備スキルを言ってみるである」
 ……れなかった。

 けれど、マイラは俯いたまま、蚊の鳴くような声、虚ろな声。
「ランナー、広域化+1、精霊の加護……」
 そして俯きがちなまま部屋を後にしようとし……。
「気付くであるーっ!!」
 雷が落ちた。

「は、はぃ……?」
 普段は品定めの如く薄められた目、カッと開眼。
 普段は小さくすぼまっていた口、限界までがっぱり。
 何か解き放っちゃったようなネコートさん、マイラの返事はそれでも虚ろ。
「それでもジャッシュ=グローリーの娘であるかっ! ディフィーグ=エインの嫁など夢のまた夢であるっ!!」
「何でそんなに詳しいんですかぁー!?」
 そこでさっと勢いを引っ込めて相手を空回りさせるのがネコート流。
「たしなみ、である」

 ネコートさん、ため息一つ付いて台の下。
 マイラの横を、スルリと抜けて振り向いた。
「貴殿にしか、出来ない事があるはずである」
 そう言われ、愛しの彼を引き合いに出されては引っ込めず。
 暫し考え、そして気づく。
「……はいっ!!」
 場にある物を余さず使うのが姉ならば、手にある物を最大限活かすのが弟であったから。

 まず雑貨屋に飛び込み回復薬と薬草とアオキノコを買い占める。
 農場には頭下げて怪力と忍耐の種を分けて貰う。
 けれどいざ雪山へと思ったその時、村の入り口に人影を見付け……。

「何やってましたかーっ!!」
「へぶぉうっ!?」
 マイラは、その人物……もう一人の救助対象だったジミーさんに跳び蹴りを喰らわせていた。

 そして、マイラ達が出発して数分。
 狩人と竜が鎬を削る様を見下ろすネコ二匹。
「御主人、全然斬りつけなくなっちゃったニャー……」
 不安げレベたん、言葉と一緒に鋭利な氷やら何やら埋まった雪玉ポイ。
 竜に当たった、呻き声すらもう上げない。ちょっとずれたせいかもしれない。
「……時間が経つほど、こちらが有利になる、ニャ」
 そう言う太っちょ、ようやく鋭い氷の作り方のコツ掴む。
 確かに彼の言うとおり、竜の羽には大穴が。
 度重なる毒はもう巡りに巡り、体との比率で言えば、人ならとっくに死んでいる。
 御主人が斬りつけた小さな傷も、確実にその命を蝕んでいる。

 しかし、問題はその絶対値。

 瀕死と死の間にある数字さえ、ただの人間には膨大だった。
 リィの目の前に振り下ろされる腕、食らいつこうと伸びる腕。
 その全てをかわしながら、けれどノーリスクで切り込める瞬間を見出せない。
(弓……まだか……)
 ただでさえ要領を掴みきれぬ相手、武器。
 相手を大きく消耗させてなお、不利な状況は変わっていない。
 ここ数分、相手は雪玉を警戒して高台の前まで来ない。
 穴の空いた翼で転落死して頂くには、ここは少々広かった。

 間合いが大きく開く、竜の太い腕が雪を巻き上げ、迫る。
 軽くリィの足がもつれて、けれど巻き上げる雪が背後を掠めるのみ。
 マイラが付けただろう傷による意図せぬカーブ。
 ソレがなければ喰らっていたタイミング。
 ソレがなければ崖下に真っ逆さまだったコース。

「解って、いるのか、いない、のか……」
 喉が痛い。長らく吸い続けた雪山の冷気に肺が凍える。
 飛んできた雪玉はその隙間を抜け、次の出方を見ながら考える。
 弓が来たとして、どう受け取る?

 上から投げて貰う?
 投擲を警戒しているから邪魔にはならないが、取り落とせばそこを突かれる。
 ここまで持ってこさせる?
 却下。総合的な安全性は高いが、誰かを危険に晒すなど自分が許容できない。
 ……愚かな意地だと解っていても。

 苛立っていた。口惜しい気分だった。
 長らく機を窺っていれば、自ずと見えてくるスキ。
 しかしそのどれもが、射貫くことを前提とした物ばかり。
 お化けギザミの時はバカでかすぎた。しかしコイツは違う。
 飛び道具の扱いなら自分の方が上だが、懐に入らせてはくれない。
 微弱ながら龍属性を秘めた弓、まみれた毒の未だ凍らぬナイフ。
 スタイルとしては、双剣によく似ていた。
(アイツは……何時もこの距離なのかい……?)

 武器本来の役割とその性能は問わない。
 恐らくは、今の自分よりもっと近い間合いで、コイツと向き合える奴がいる。
 盾も無く、リーチも無く、逃れられなければ剣で致命打を流せて御の字。
(いやいや……)
 気弱になってはいけない。ここには援護がある。
 相手は手負い、逃げることも叶わない。
 罠も道具も出尽くしたが、その成果がちゃんとある。
 血の繋がりが、性質の類似が、同じ道を行ける理由にはならない。

 通れぬ道はあっても、至れぬ高さは無いはずだ。

 攻撃を、試みようと思った。震える足で、軋む肩で、凍える肺で。
 その一撃で、何か開けるのではないかと。
 自分では冷静なつもりでいたが……痺れを切らしていた。
 その足を止めたのは、音だった。
 風の唸りにしては妙に低く、リズムも、音程の変化も妙に一定。

 それがただの風音でないことは、程なく解った。
 体の痛みが少し和らぐ、ナイフを握る手に力がこもる。
 悲鳴を上げていた膝が、肺が、正常なリズムを取り戻す。
 眼前の竜に音楽を聴くなどと言う習慣はない。
 突進は真横を掠め、吹き上げる雪の動きが少しばかり解る。
「来た来たぁー……て、弓はっ!」

 高台を恐れ不自然な足取りになる竜、藻掻いている間に、答えは来た。
「ありますニャーッ!!」
「攻撃強化の旋律と、忍耐の種広域化で使います!!」
「ちょ、ちょい、待ちっ!!」
 聞き覚えのある旋律が、体の力を引き出している事は解るが。
 マイラを中心に降ってくる、目に見えずとも緑の光を想起させる何かが傷を癒している事は解るが。
 同じく橙を想起させるそれが体を引き締め、のも解るが。

 キャッチできるか? そもそも矢筒を背負う間に竜が来ないか?
 と言うか何でマイラまで戻ってきている?
 などと悠長に考えさせてくれる人数では、既に無い。

 迷っている間に戦場を染める閃光。
 光が止めば竜はうろうろ、足下には緑の縮れ毛。
「はい。今のうち。それじゃニャー」
 相手が動けないのを確認して、国崩の弓を受け取ってさっさと退避。
 呆れる間もなく上から声がかかる。

 投げられたのは緑の羽を広げた甲虫のような弓、ひょうたんを思わせる横縞の矢筒。
 決して軽くないそれを、忍耐の種と力の旋律で強化された体は易々受け止める。
 竜はまだ視界が戻らない、矢筒を背負い直す時間は十分あった。
 風の音に、まるでフルフルの鳴き声のような……というかそのままの音が混ざる。
 手にした弓が僅かに帯電し、それが属性強化の旋律……フルフルホルンとは解るが……。
「戦闘音楽としては、今ひとつ、かのう……」
 少々籠もった風の音に不気味な鳴き声。
 つがえた矢は三本。帯電するそれは、過たず龍の鼻先を貫いた。

 ……そこから遙か上、ネコ達が援護するよりはるか上。

「クルルゥ……」
 ほくそ笑むように喉を鳴らす、黒い影が一つ。
 小さき人が大きな竜を下す様を見ること。
 スカー、縞付き、クラウン、この界隈では山神と呼ばれる彼の娯楽。
 本来夜行性の彼、予定を変えさせたのはその足下に座るブランゴ君。
 止めても止めても這い上がろうと、仕方ないから起きてきた。
 ……その無謀のせいで寝床に血錆、やれやれで。

 けれど、その価値はあったかもしれない。

 人の子が竜の周りを駆け、かわし、射る。
 刃を手にしていた時駆けずり回った動きをよく学び、まるで舞うように。
 出来れば同族の娘と舞いたい……など独り身の寂しさを思いつつ視線を移す。
 竜の手も牙も届かぬ場所から、狩人に力添えする者達を。

 皆の前を大盾で守るのは、何度か縁のある黒髪の娘。
 獲物が違うのが不服か、人より優れた彼の目は不満げな表情もしかと確認。
 その後ろでフルフルそっくりの笛を吹く黒ネコ。
 その横、匙状に加工された骨に大きなアオキノコを乗せた笛を吹く男。
 あの娘が来るまでここの守人だった男、デカイたんこぶは何かあったか。

 その更に後ろで濃紺、緑、焦げ茶が爆弾作り。
 一番後ろではコートを着た、なんだか偉そうなネコ。
 吹き鳴らしているのは、人が回復笛と呼ぶ緑の角笛。
 使うタイミングがデタラメなので惰性で吹いているのだろう。

 一つ解るのは、彼等は本気であの竜を仕留めるつもりでいると言うこと。
 そして、その布陣は既に成っていると言うこと。
 翼が使えずとも、走って逃げる方が賢いだろう。

 ――されど、勝負は最後まで解らぬ物だ。

 竜は瀕死、狩人の手には本来の得物、援護は万全。
 けれど一瞬の油断も許されない。
 足をもつれさせでもすれば、後に待つのは無惨な死。
 けれど今さら大番狂わせなど望まない。
 小さき者が知略を重ね力を重ね、巨大な敵に挑む様こそ尊んだから。
 彼が望むのはささやかな波乱。
 ささやかなアクシデントと、それを軽やかに乗り越える様。
 そのまま踊り明かして厄介者を斃してくれるなら、それで良しだが。

 時には同族さえ易々引き裂く鋭い爪が、岩に当たってコツリと鳴る。
 メロディが風とフルフルの声というのが少し、不満。

 コッツ、コンッ、コンッ……。
 爪が鳴る。狩人の足が駆ける度、狩人が弓を引く度に。
 弾けた矢が、竜の鼻先で雷花を散らす。
 コンッ、コッツ、コンッ……。
 爪が鳴る。竜が腕を振るう度、竜が体を捻る度。
 その体が巻き上げる色は純白ただ一つ。

 コンッ、ココッ……。
 爪がもつれる。狩人が弓を引くのを見送る度、竜の息が上がる度。
 方や疲弊し、方や瀕死。更に言えば前者はもう少々伸びて欲しい所。
 心地よいリズムを刻むには、まだまだ遠い。
 ついでに言えば、時折降ってくる爆弾の音が少々無粋か。

 それから数十分……。
 いかに強靱凶悪な竜とて疲労が重なれば動きは単調。
 なればそれに合わせて舞う狩人の動きも単調。

 彼のあくびが先か、竜の断末魔が先か。

 雪山全てを揺るがすようなその声は、彼の黒鋼の甲殻さえ震わせて。
 見てみれば竜の爪が、牙が、狩人に届かんばかりの距離。
 彼には、よく見えた。
 狩人の大きく上下する肩も、青ざめた顔も。
 竜よりも何よりも、狩人は時の経過こそを敵に据えていた事を知る。
 人間の走り続けられる距離など、時など、たかが知れている。
 その僅かな時間に集約された力が、龍をも屠ることは勿論知っている。

 途絶える緊張。満ちる沈黙。
 それが歓声に変わるだろう一秒足らずだろうと。
 それを待っていた彼の耳に、小さな違和感。

 龍が人に遅れを取ったのは、それだけ見入っていたからなのかもしれない。

「降りるな!!」
 彼の耳に届いたのは狩人の声。
 次いで気付いた、眼下を行く雪の波。
 彼女が時を敵に据えた理由。
 原因は竜の断末魔か降り注ぎ続けた爆弾か。
 山肌の許容量を遥か下回るそれは、けれど人間相手には十分な暴力。
 彼は無闇に人を救わない。
 けれど、助けてやろうかと思った所で遅すぎた。

 倒した竜の下に狩人が逃げ込んで数秒。
 上にいるネコ達や娘が声を上げるより先に雪は竜と狩人を飲み込む。

 そうして迫る白は、ネコ達のいる高台の下に打ち付け……僅かに崩れた。