……これはその子の甲殻が、ようやく蒼く染め上がった頃の話。

 その巣は父一人子一人。
 空の王リオレウスの巣としては、少々珍しい光景だった。
 ある人はそれだけ子が可愛いのだと言う。
 ある人はそれだけ妻を愛していのだと言う。

 もしかしたら、どちらも違うかもしれないし正しいかもしれない。
 その真実を知る術は、もうない。

 その父竜はある日、小さな生き物と死闘の末倒されてしまったから。
 本当に激しい戦いだった。
 その後その子が飛び出せば、あっさり仇を取れたぐらい。

 けれど、その子はそれをしなかった。
 お父さんを倒してしまうような生き物に、自分が勝てるわけないと思ったから。

   ――――『ちいさな王様』―――
          ひとりだち?

 その子が巣穴を這い出したのは、腹ペコに耐えられなくなったから。
 そろそろ一人立ちの頃合い。
 それがちょっと早くなっただけの事。
 当然の事ながら、巣の外にお父さんはいなかった。
 きっと食べられてしまったんだ。綺麗に。
 とっても恐い生き物だって言ってたもの。

 とにもかくにも、喰えるようにならねば始まらない。
 狩りならお父さんお母さんのを見たことがある。
 兄姉は皆独り立ちした。お母さんはある日を境に帰ってこない。

 食べて美味しい奴は知ってる。
 灰色で、でかくて、背中が丸いの。
 でも、巣の外に出てキョロキョロしてると、青い影がちらり。
 逆三角の体に黄色いクチバシ。
 知ってる。お父さんがよく持ってきたオモチャ。
 一応食べ物、一応腹ペコ。
 一歩二歩と近づいて、さぁ射程圏内いただきまー……。

 だっだっだっだっだ……。
 ぴょいん。

 ズサー……っ
 ふみっ。

 ……逃げられた。
 しかも滑り込んだ時背中を踏まれるおまけ付き。
 振り向くと、そいつがゲッゲと笑ったように見えて……。
 がぁ〜……ぺっ!
 火の玉ふっかけてやった。
 短い尻尾を焦がして逃げてったけど……。
 ぐぅ〜……。
 腹ペコ。仕留められなきゃ意味が無い。

 今ので灰色の美味しいのが逃げたと知ったらきっともっと腹ペコになったかも。

 しょんぼりのしのし。
 一人寂しく歩いていると、並んで動く緑の何か。
 丸くて小さい、緑の何か。
 のしのし後に続いて見ると、苔の繁ったまっ白お肉。

 苔が無いのをお父さんが持ってきた事がある。
 とっても柔らかくて、とっても美味しかった。
 着いていくと、湿ったとこまでやって来た。
 地面をクンクンして、何かをモグモグ。
 よっぽど腹ペコだったのか、後ろの自分に気付かない。
 ちょっと青臭いけど、自分も腹ペコだったから……。

 ぱっくん。
 ……もぐもぐ。ごっくん。

 前に食べた奴より固かった。
 でもまぁ、コレはコレで。頭の所が美味しかった。

 まだまだ食べ足りなかったけれど、みんな何処かへ逃げちゃった。
 初めて見る外の世界は広くて、自分には翼があって。
 でも、その子は暫くそこにいようと思った。

 出掛けたお父さんが、ボロボロで帰って来た事があったから。
 尻尾無くして帰って来た事もあったから。
 とうとう、体まで無くしちゃったみたいだってたから。

 独りで寝る事が無かった訳じゃない。
 けど……巣がちょっと広くなった気がした。

 翌日、その子は川の畔にやって来た。
 そこに沢山いるのは、あの美味しい灰色の生き物。
 目的はもちろん、いただきます。
 一歩二歩と忍び寄り……。
「がぁーおぅーっ!!」

 群に向かって一直線。
 このまま適当な奴にがぶーってするはずだったのに。

 ぼごっ

 大きな尻尾で、横っ面を殴られた。
 正確には、下顎の所。 殻に守られて無い柔い所。
 物凄く痛いのは言うまでも無く、もんどりうってる間に逃げられた。
 命に係わる程じゃないけど、痛いものは痛いのだ。

 火の玉ぶつけてみたけど、一発ぐらいじゃ倒れなかった。
 仕方がないので、今日も苔の生えたお肉。頭の硬さがたまらないかも。
 でも物足りないから青いのも頂いた。
 ……ちょっとイマイチかも。
 どうにも納得いかないままこの日は就寝。

 その翌朝、その子は高い空にいた。
 自慢の翼で高く高く。狙っているのは川の畔。
 いるねはあの美味しい灰色の群。
 少しずつ、少しずつ低く。
 狙いを定めて、絶対逃がさないように。
 だから見逃さなかった。
 一際大きな一頭が自分に気付いた事。

 それが大きく嘶いた事。
 翼を畳む。風が吹き付ける。
 嘶きの意味などその子は知らない。
 動きが止まったから狙うだけ。
 風がどんどん強くなる。
 地面がどんどん近くなる。

 大きなソイツも逃げて行く。
 勿論自分も追いかける。
 やばいかなと言う所で翼を大きく広げて……。

 ……どっしーん。

 狙い通りに「衝突」した。
 平気なのは羽を広げたおかげ?
 それとも、自分と地面に挟まれて無惨になっちゃった奴のおかげ?

 今度はもうちょっと低いところでも良さそう。
 今度はもうちょっっと早く翼を開いても良さそう。
 そんな事を考えていた翌日、青いのに一匹持ち逃げされた。

 更に翌日の狩りは上手くいった。
 がしっと捕まえて、ばくっといただきます。
 捕まえなかった奴らが見てたけど、ご機嫌だから逃してあげる。

 こうなると、ここからはもうその子の天下。
 好きに走り好きに飛び、お腹が空いたら食べれば良い。
 時にはあの青い生き物をからかってみたりもした。
 くちばしと耳の大きなピンクの鳥さん、そのへんの土いじりはほっといた。
 暫くしたら見掛けなくなった。

 ここは自分の物だから、何かいないかしっかり見回り。
 そんなある日の事だった。

 日向ぼっこでお気に入りの丘に、見慣れぬ生き物二匹。
 二本足、一匹の体は青い鱗、もう一匹は赤っぽい甲殻。
 それがあの青い生き物と、耳の大きな奴から作った鎧なんて勿論知らない。

 青い方はさらさら茶色の上にちょこんと青。
 赤い方はごわごわ茶色。
 何しに来たのか、見に行った。
 そしたら、青いのがビクリと向ける奇妙な筒。 赤いのが構えるギラつく何か。
 けれども遅い。
 その子はもう大きな翼を広げた後だったから。
 潰さない捕り方はこないだ覚えた。

 足の下から甲高い鳴き声が聞こえる。
 灰色のアイツらと同じ声。だからそんなに気にしなかった。
 それよりも、見たこと無い綺麗な鱗。
 青くてツヤツヤ、キラキラ。

 ちょっと見ーせてっ♪

「イヤアアアーアァッ!!」
 べちゃっ

 大きな鳴き声。がばっと開けた口に投げ込まれた何か。
 臭いは後からやって来た。
「ピギャーっ!!」

 くっさいくっさい、なんてことするんだおまえら!!
 その後の事は覚えて無い。
 思いっきり吠えて、思いっきり火を吹いた事ぐらい?

 ……その後川まで飛んでって頭をドボン。
 回りで灰色のが見てるけど、今それどころじゃないんだい。
 ぐちゅぐちゅごぼごぼ自分の炎で熱湯消毒。
 取り敢えず二本足は臭いのぶつけてくるし、食べるところは無さそうだ。
 次見かけたら速攻追い出してやる。
 でも、縄張りしっかり守れたから良しとしよう。

 その翌々日、その子はまた二本足に出会った。
 けれどこないだのとは違う。
 柔らかそうな毛皮に、二つのとんがり耳でニャアと言う。
 何しに来たんだ何しに来たんだ?
 一歩、二歩とじりじり詰めより……。

 がぱぁ♪

「ニャアアアアアアッ!!」
 つまみ上げようと、口を開けたら逃げられた。
 ちょっと腑に落ちないから追いかけた。
 追いかけて、追いかけて、見失って日が暮れる。
 はむはむしてみたかったのになぁ。

 アレが、結構森の中をうろうろしてるらしい事は後から知った。
 そいつらをからかったり、あのくっさい二本足を追い払ったり。
 そうして日々過ぎていった。
 少し遠出をした。あの二本足の巣があった。臭いかもしれないから寄らなかった。

 ――彼等が来たのは、丁度その頃だ。

 行きの竜車の中で、彼は夢を見ていた。
「……ィ……ディ!!」
「!! ……あ……何だラウルか……」
 ぬくもり。柔かいもの。けれども深くて暗い、ドロリとした罪の夢。
「ねぇ、大丈夫? 狩り場着く前から汗だくでどうするのさ」
「うん……大丈夫」
 ここ数日の、見慣れつつある夢、薄れつつある夢だった。

 いたずら火竜を退治しろ。
 それが二人の引き受けた依頼。
 少し思い当たるふしがあったから。
 それが二人の受けた理由。

「スーツの素材自腹なんて聞いてねぇ……」
「ナイツもやりくりが要求される時代なもんでね」

 ――その子はまだ何も知らない。

 外には、自分より強い生き物が沢山いること。
 それが来ないのは、お父さんが強かったから。
 そして自分が、遠く及ばないほどちっぽけなことも。

 あの美味しい生き物が、白い物を引いてやって来るのが見えた。
 その白いのから、あの二本足の生き物が二人、赤いのと蒼いの。

「……向こう、こっちに気付いた」
「ちぇー。ガンナー盾にするなんて信じらんなーい」

 臭いのぶつけられる前に、焼いてしまえば良いと思った。
 灰色のは、焼いても美味しい事をその子は知っていたから。
 だから火の玉をぶつける時は、消し炭にしないよう気をつけた。
 二本足は追い払えると思った。

 だけど炎の後にあったのは無傷な灰色と、その背中の上の赤いの。
 その子の目は、銀色の筒に取り付けられた盾までよく見えた。

 ちょっとできる奴らみたい。
 その子はまだ、自分が見下ろしている相手がなんたるかに気付いていない。

 空から突っ込んでみた。
 白い物は壊れたけど、二匹はヒラリと両側へ。
 灰色のは逃げてった。
 ニャアニャアと、とんがり耳の声がする。
 ああ、仲間だったんだと思った。

 ぼーっと見てたら尻尾をさっくり。

「ぴぎゃっ!?」

 それと同時、翼の爪の先に何かゴンゴン。
 突然の痛みに驚いて、ドタドタバタバタ一時撤退。
 空を思い出したのは丘のてっぺんまで逃げた時。
 ばさっと羽ばたきひとっ飛び。
 追い縋る狩人二人、呆けて見てた。

「おい……早すぎるだろ逃げるの……」
「なーんか、チキン?」

 川まで逃げて気が付いた。
 自分の顔見て気が付いた。
 何で自分が逃げるんだ。
 ここは自分の縄張りだ。

 追いかけて来たそいつら向かって、思いっきり突っ込んだ。
 踏みつけてやるつもりで、蹴散らしてやるつもりで。
 ヒラリと避けられた。
 でもここなら尻尾が当たる。
 そう思ったのに、足の下へ潜り込まれた。
 炎を吐いた。吐ききった所で蒼いのに顔をスパッとやられた。
 赤い爪、黒い光がばちっと爆ぜた。

 その時気付いた。
 気のせいだったかもしれない。
 ほんのりと、お父さんの匂いがした。

 そして理解する。
 コイツがお父さんを食べちゃったんだと。

 その子がもうちょっと勇敢だったなら、復讐を考えたかもしれない。
 お父さんがちょっと小さかったら、自分でもと思ったかもしれない。
 けれどもその子は臆病で、お父さんは大きかった。
 どのくらい大きかったって、この小さな蒼いのが、口の中にすっぽり入るぐらい。
 つまりどう言う事かと言えば……。

「ピギャーッ!!」

 逃げた。逃げ出した。
 急に込み上げて来た恐怖に耐えきれず。
 なりふり構わず逃げる様はあの穴掘り鳥か。
 けれども、飛び去った方角が不味かった。
 その子も、巣を焼いてしまえばもう来ないかもとは思ったが。

 パキンっ

「ピギャ!?」
 地上から飛んできた何かが翼に当たる。それだけなら大丈夫だった。
 けれど、それがずどんと爆ぜた。

 体を貫いたのは、翼の爪が小気味良い音をたてて折れた痛み。
 空から落ちるには十分過ぎた。
 自由落下の時間は長かったと思う。ずいぶんと慌てて高く飛んだから。
 その子を受け止めたのは森の木。重さに耐えきれずボッキリ折れた。

 体に色々絡まって動けない。何より痛い。ついでに恐い。
 じたばたと藻掻くも体は思うように動かず。
 何とか起き上がれても這うようにしか動けず。
 悲鳴とも威嚇とも取れない声は、どことなく震えていた。
 瀕死、戦意喪失と言うよりも、怯えと言う言葉が似合いそうな姿だった。

 人間なら訳もわからずゴメンナサイを連呼する所だが生憎飛竜。
 あるのは捕食される側になったと言う恐怖のみ。

 だから、二匹……もとい二人の顔など見ていない。
 赤い一人はやれやれあきれ顔。
 蒼いもう一人は、その子を見ているようで、見ていなかった。
 何処も見ていなかった。その子が気付くはずも無いけれど。

 その人が赤い玉を二つ取り出した事も。
 突然自分を襲ってきた睡魔も。

 その子がまだ、何も知らなかった頃のお話。