――ソイツを狩れば、君等は満たされるのかい?
 ――満たされない。けれど狩らねば飢え続けるしか無い。

「そんな言葉を、返した事もあったっけ……」
「アガさん、そう返すの予想済みだったでしょうね」

 ドンドルマに、裏口と言うべき門がある。
 そこでシケ込む、蒼装束の騎士が二人。
 一人は茶髪のボサボサ。
 一人は金髪のサラサラ。
「俺、上手くやった?」
「いいえ、全然」
 罪人を狩る彼等の今日の猟果は、男四人女一人。
 行方不明者の居場所の情報に……少年一人。

「終わり方としちゃ、最悪だな」
 彼等ギルドナイツの役割は、法の威光を示す事。
 悪には必ず裁きが下ると、善は必ず報われると示す事。
 けれども法が万人の味方でない事は、彼等が一番良く知っている。

 昔々、小さな村の富豪の娘が首を吊った。
 腹を裂かれ、それはそれはヒドイ有様。
 娘を取り合っていた少年二人、目の色変えて駆けずり回った。

 ――その怒りが誰かの為なら、その誰かと話をしなさい。
 ――その誰かが居ないなら、無くしたモノと話をしなさい。

 富豪と中の悪かった商人の館に騎士が踏み入った。
 娘の死の真相が暴かれて、それきり二人は帰らなかった。

 ――獲物を狩るときは、きちんと猟果が得られるかよく考えておきなさい。


   ――――『帽子と鉢金』―――
          ソレカラ

 拘置所。冷たい床。布団だけはそれなり。
「大体の事情は、コイツに書いてあるんだな?」
「はい……」
 そこに俺を座らせたジャッシュさんの手には手紙。
 リトは、故郷で静養する事になったと言う。
 ……それでいいと思った。
 顔見知りの多い、安心できる場所の方がずっといいと。

 今の彼女には、街の喧噪さえ毒だろうから。

「ジャッシュ、さん……」
「何だ?」
「寝て、いい……?」
 答えを聞いた記憶は、無い。

 その日は、深く、深く眠れた。

 翌朝、自分の罪状はどうなるのかと聞いてみた。
 再起不能の傷害。そのつもりでやったんだ、当然か。
「具体的に、どのくらい……?」
 肘とか壊されて、戦えなくなるされる可能性に今更思い当たる。
 けれども、アレを知ってしまった後では、それももうどうでも良くて。

 ただ……その時のジャッシュさんの顔は、なんと言えば良いのか……。
 口を尖らせてと言うかしゃくらせてと言うか……。
 この人なりの、苦虫の噛み潰し方なんだろう。
 ああ……良く考えたら、ナイツにとっても不祥事か。

「正当防衛、だが?」
「……は?」
 いや、それだって元々は俺が誘った事で……えーっと?
「あんなのに情を掛けたら、それこそ不祥事だと思わんか?」
「は、ははは……」

 姉貴やミハイルには伝えてない。と言うより伝えられなかった。
 古塔調査隊の護衛兼古龍討伐に出向いていて、留守にしている。
 一月以上かかる見通しだが、連絡は帰ってからするのだと言う。
 ミハイルの方はうろうろしていて居場所が掴めない。

 ……心の片隅でさえ、謝ることを忘れていた。

 話し相手は、専らジャッシュさんだった。
「俺とてな、平静を保てなくなった気持ちが、解らなくも無い」
 良くも悪くも、典型的な大人だったこの人は……。
「火怨病の終息間際だ。理不尽と思ったさ」
 カモだったと思う。

 解るわけないと呆れもしたし、この程度かと安堵もした。
「でもその頃は、対処法が確立して、お手上げ状態が解消された頃」
「……ああ」
「仕事が増えて、疲労で倒れて感染する看護士も少なくなかった」
「彼女も、どちらかと言えばそのタイプだったな」
「……だったら、その人達を”先輩”には許す理由がある」
 人生の先輩だって、言いたかったんだろう?

「ならお前は……」
「許せって言うの?」
 引き倒されて、犯されて、指を落とされて……。
「何があったら、あんな事していい理由になるって……」
 挙げ句、飢えた竜の前に出されて……。
 苦しかったろうに、怖かったろうに、悔しかったろうに。
「何を、許せって言うんだよっ!!」

 何を叫んだのか、は良く覚えていない。
 ただ、その時やっと格子が役目を果たした事は一応。
「返、せよ……」
 何を、とは、自分でも解らなかった。
 倒れたのかも、自分で布団に入ったのかも。

 その期間は、どれだけだったろう。
 何やらドタゴタしていて、俺の処遇が決まらない。
「家に帰せば、まともに食事も取らんだろ」
 それは事実だった。実際何をする気も起きない。食事も。
 胃袋さえ同じ状態で、食事すら苦痛になっていたのに……。

 そしたら、マイラが作ってくるようになった。
 ジャッシュさんから話したのか、それともどこかでバレたのか。
 ……差し入れは有り難い。有りがたい物の、はずなんだけど……。
「残すなよ」
「……ん」
 多分残せないことはきっと全部計算尽くで、その気持ちも解る。
 解るからこそ、その気持ちが、もの凄く苦しい……。

 ケインが来たのは、何日目だったかな……。
「無茶しやがってだミャ」
「……うるせ」
 そういや、面会らしい面会はコイツぐらいだっけ。
 友達いないなぁ、自分……。
「本、一部こっちで持ち帰っていいかミャ。焚書されたらたまらんミャ」
「……期日に返せそうに無いから、全部持ってって……」
「物理的に無理ミャ」

 面会は、もう一人来た。
 身なりの良い老紳士。
 その時の俺はどんな顔をしていたんだろうな。
 目が合った途端、みるまに青ざめていったっけ。

 少しして、被害者遺族と言う事に思い当たる。
 抱き寄せられる直前、瞳に憎悪の色が映った気がして……。
「あとは、私に任せておきなさい」
 刑罰だけでは飽き足りないという事だろう。だから、その仇を解放する。
 けれど……。
「駄目です、罪は罪です」
 今更良い子になる気は無い。
 ただ、今外に出たって、虚しさが増すだけで。
 帰りたく、無いけど……。
「償うべきなんです……」
 
 ……償う……誰に?

 ――同時刻、ナイツ筆頭の執務室。

 その机で、天を仰ぐ男が一人。
 時に天を仰ぎ、時に机に突っ伏しを繰り返す男が一人。
 その様を、傍らで見守る銀髪の副官が一人。

 公正を示すべきか、正義を示すべきか。
 正義の側に立つのは、彼もまたその幸を願った少年。
 対するは近年稀に見る絶対悪。
 一見すれば簡単だからこそ安易な答えが恐い。
 男の懊悩もしくは躊躇いはこの一つに尽きた。ほんの、数刻前までは。

 ナイツ宛てに一冊の日記と、幾通かの嘆願書が届くまでは。

 日記の差出人はリトーシャ。
 嘆願書の方はギルドのパトロンや最上位クラスのハンターが何人か。
 どちらも名前を挙げれば、誰もが聞き覚えがあると言う名。
 ……そんな中で、彼女の名前だけ酷く浮いているように思う。
 日記の表紙には、ここに書かれている事を、ディフィーグ=エインに伝えないで欲しいとメモがあった。

「この日記、日付が置き換えられていますが」
「懐かしいな……昔流行った本で使われたまじないだ」
「まじない、ですか……」
 願い事を綴りの被らない十文字まで縮めて、数字に当てはめる。
 それを第三者が解けば願いが叶う。
「ミステリーの謎解きだよ。真っ先に解いて、顰蹙を買った事がある」
 答えは死体の隠し場所で……その犯人の動機は、報復だったか。

 彼女が被害に遭ったのは月末。
 日付の中で、十の位に使われる数字は三つしかない。
 同じ数字が並ぶ日は二つしかない。
 残りの日付は日記の内容と照らし合わせて前後を確かめる。
 ゼロが先頭に来るか最後に来るかは、書き手による。

 最初に挟まっていたのはメモ。
 書かれていたのは、彼女に降りかかった災厄。
 その手口、行い、カウンセラーのメモが入った経過。
 あの日、事が終ろうとしていた時に飛竜が乱入した事。
 それが彼女の手を踏みつけていった事。
 その竜は逃げた五人を追い掛けていった事。
 置き去りにされた一人からペンダント取り戻そうとして、殺害した事。

 代わりに取り上げたいくつかの小物を、つい先日遺族に送った事。
 その日時は、彼女が故郷に帰ったその日と合致する。
 事のあらましを伝えたかは、書かれていない。
 犯人への厳罰と少年への恩赦を求める声が圧力付きで来ている。

 ……彼女は知っていたのだろうか。
 この内容を彼が知れば、この様な事が起こりうると。
 その遺品が質に流されなかったのは、流せば表裏問わず足が付く物だったからと。

 良き人、良き生活に恵まれ育った彼女らは、人を心の底から疑わない。
 もし、彼女もそう見えたのであれば、そうさせたのは誰であろうか。

 思い出すことさえ苦痛の出来事を書き連ねる。
 犯人が拘束されて始めてその情報を提供する。
 目的は解る。奴らに厳罰をと、処刑台へと。
 己に苦痛を与えた相手は、一分の情けもかける価値もないと。

 哀しいと思ったのは、憎悪にぎらついていただろう心へか、自分たちに向けられた不信へか。

 ……暗号が解けそうになる。
 その前に答えが解って、彼は考えるのを止める。
 その対象は彼女か、彼か、日記を紐解いた自分へか。
 どちらにせよ、私情に流されまいと構えていた男にとって、悪意ある誘惑のように思えてしまう。

 考えあぐね、副官に目を向ける。
「誰かを思って嘆く事は、罪ですか?」
 無表情と裏腹に、感情を重視する側だった。

「イリスは、私がどんな悲惨な事になってもお礼参りなどしてくれるなよ?」
 そう振ったらこの副官、暫し宙を眺め……。
 心なしか握った手が震えたのを筆頭は見逃さず……。
「保証致しかねます」
 きっぱり言った。
「今の間で、君は何を想像したのかね?」
「想像しえぬからこそ、怒り“狂う”のでは無いでしょうか」
「……それでもだ」
「その時に、私を留める利があれば」

 そう言って、銀髪の副官は再び宙を見つめる。
 まるで、そのあらゆる可能性を探るように。
「……私は、幸せ者だよ」

 答えは解った。正解ならこの願いは不完全。
 だから、彼女の願いは叶わない。

 ――翌日、名ばかりの拘置所の入り口にて。

 最後の面会が来たのは、暫くぶりに外に出た時。
 出迎えのように現れた、長身の男。
 良く覚えていない。

 連中の事を確認されて、肯定したら一呼吸後にビンタを貰った。
 見上げると、心底悔しそうな、哀しそうな、そんな顔をしていた。
 会話は覚えていない。
 こんな人が彼氏だったら相手は幸せだろうなと思った事ぐらい。
 ……そう。幸せだっただろう。
 ただ、狩場で逝ったのだと思っていれば。

 向こうの通りからマイラがやって来たのは、その直ぐ後、丁度入れ違い。
 手に持っている弁当の包みを見て、思わず笑ってしまう。
 あそこで食ってた飯、そうやって持ってきてたのかよ。
 多分、今日出てくるとは思ってなかったんだと思う。
 ぽけんと突っ立ってて……ああ、殴られたのは見てないなって。
「あ、あのっ、良ければ夕飯も一緒しませんかっ」
「ん……そうだな。久々椅子に座って食事がしたいよ」

 ――本当は、何を言えば良いのか解らなかったのです。
 ――ただ当時も、あの人の事に触れてはいけないと、思ってはいました。

 暫くは本の返却とか、だらだら過ごしていたと思う。
 マイラが足繁く通ってくれるから、自堕落はせずに済んだ。
 やっぱ、下からじっと見上げられると弱いのかな、俺?

 ――彼はそれ以来、あの人のことを口にはしませんでした。
 ――私がハンターになると言った、その時さえも。

 何事も無いように時間は流れていく。
 行方不明事件の真相は、新聞の片隅に小さく書かれるに留まっていた。
 ……俺のことには、一切触れられていない。

 ――まるであの人の事など……すっかり忘れてしまったかのように。

 何かあるんじゃないか。言われるんじゃないか。
 集会所に足を踏み入れたとき、その不安は全て杞憂に終わった。

「はい、クエスト受注ですね」「登録でしたらこちらにサインを……」
「いーっしゃぁ!!」「紅玉キタコレ!!」「ちっくしょう……」
「飲むぞ!」「食うぞ!!」「湿気たツラすんじゃねぇーぞぉ!!」
「ちょ、辞めて下さい」「いいじゃねーか……ぐほっ」「生憎彼女は私の相手だ」
「上位解禁、来たーっ!!」「今日は俺の奢りだ、ガンっガン飲んどけ!!」

 何事も無かったかのように、当たり前に時間は過ぎていたのだから。
 いや、それでいいんだ。下手に触られるより、白い目で見られるより。
 特に絡む人間がいたわけじゃ無い。
「やっほー」
 ……いた。ここしばらく組んでなかったけど。
 露骨にリトと組ませて、自分だけ別の依頼受けて行ってたのが。

「ラウル?」
「ねーねー、久々狩り一緒行かない?」
 いつもの調子。今までと何一つ変わらない……。
 そう言えば、最近は雪山の一件以来殆ど顔を合わせていなかった。
「……良いけど?」
 ラウルの目的は弾丸に使うランポスの牙。
 俺は鈍った体を動かすため、と言うのが名目だった。

 それとも……いっそ喰われて死のうとでも思っていたんだろうか。

 討伐対象:ランポス250匹
 依頼主:小さな村の村長

「デタラメな数だな……」
「うん。でも失敗してる人多くてさ、次誰も帰らなかったら上位指定入る」
 クエスト前に村に立ち寄った。襲撃が何度かあったと言う。
 小さな子供が、ランポスに友達を一人持って行かれたと言う。
 この村総出でも、上位クエスト相当の報酬を払えるようには見えなかった。

 依頼を出してから、受け手が現れるまで待ったと言う。
 良かったと、安堵する村長の溜息が嫌に大きく聞こえた。
 それを皮切りに、やっとだ、やっとだと言う声が嫌に良く響くようになった。
 自分たちは、見捨てられずに済んだのだ、と。

 ……そう、恐いよな。見捨てられるのは。
 ……そう、辛いよな。力ある人に、声が届く距離なら余計に。

 そしたら、やらなきゃって思った。死のうとか思えなくなった。
 いつものように剣を振れる。周囲を警戒する事が出来る。

 無尽蔵と思える程の群。
 被害は酷く、酷く、けれど根底にあるのは生存本能。
 喰わねば死ぬ、喰われれば死ぬ。
 だから、そのまま返す事が、応える事が出来た。
 スレスレを飛ぶラウルの弾は当たらない事を知っている。
 ランポスの爪と牙をかいくぐる。その更に隙間をラウルの弾が縫う。

 ゲリョスの奇襲にも対応できた。

「ラウル、あれだ!」
「え、なにー!?」
「アイツが追い込んで来たんだ!!」

 生き易いよう、生き長らえるよう。だからこちらも戦うと。
 感じた事に、感じるまま返せた。

 森の奥の洞窟。天窓のような穴が幾つもあって、草花の茂る場所。
 その一角にだけ、茶色く変色した草やらが積み上がっている場所。
 恐らくはゲリョスの巣と思しき場所にあったのは小さな人形。
 瞳と首飾りに、ゲリョスの好きそうなガラス玉が使われた。

 ……友達って言うのが、コレなら良かったのだけれど。
「ごめんな……」
 それは血で赤黒く汚れていて、甘い期待は出来そうになかった。

 帰った後、俺も脆くなってたんだろうな。
 形ばかりの墓を作って……一緒に泣いちまった。
 一緒に泣いて泣いて、その日は、一晩村の世話になった。
 情けない事に、俺は寝てても泣いていたようで翌朝心配された。
 人形は、直して大切にするのだと言う。
「直せる物なら、良かったのにな」

 ……帰ってから見た新聞に、異例の早さで進む裁判への疑問が、ちらり。
 判決から異例の早さで、犯人グループの内四人の刑が順次執行される事になる。
 とある富豪が収賄の罪で捕まるのは、それから更に半年ほど後のことだ。

 ――その数日後、ナイツ筆頭の執務室。

 部屋の両側にそびえ立つ本棚。
 その中央に置かれたデスク。
 逆光に照らされているのはナイツ筆頭。傍らに立つのはその副官。
 二人の前に立つのはジャッシュ。

「……正気かね?」
 それが彼の言葉を聞いた筆頭の、最初の言葉だった。
「至って正気ですが、何か?」

 曰く、件の少年をナイツに引き入れろ、と。

 名目はあったとして、つい先日まで拘置所に放り込んでいた少年を。
「あのままでは、また同じ事を繰返すでしょう」
「……そうなるぐらいならいっそ、か?」
 心の傷はカウンセリングで何とかなるかもしれない。
 けれど、理性によって積み上げられた不信はそうもいかない。
「仮に戦闘能力を奪ったとて、アレには薬物の知識もあります」
「稀代の調合オンチと聞いたが?」
「娘の高熱に薬草一本で対処しました」
「……混ぜなきゃ良いんかい」
 天を仰ぐ。すがられる神も迷惑だ。

 ハンターと言う職業柄、毒物の入手には苦労するまい。
 例え頭に「元」がついても。
 つまり、腕力で叶わない相手には毒テングダケ一本あれば済む話で。
 それで足りなければマヒダケとネムリ草と、場合によっては毒袋を買い付けてもいい。

「それが、個人で動いているうちはまだ良いでしょう。問題は……」
「まるでアガレスだな」
 ジャッシュが言いかけた言葉を、筆頭が切る。
 それは二人にとって今は亡き、共通の友人。
「アイツから、何処まで聞いた?」
 返答いかんでは斬る。
 そんな気迫も、理由を察しているジャッシュにはどこ吹く風。

「どう問い詰めてもはぐらかされました。ただ変な所で臆病だと、よく」
 ナイツ筆頭は、ただただ頭を抱えるばかりなり。
 死人の台詞では斬る事も出来ない。
 まして、その死人にだって少年との関係を話していないのだから。

「私は君の公正さを買っていたんだが……評価改める必要があるか?」
「私に”も”恋する年頃の子がいますので」
 性別の指定はない。「も」にかかったアクセントだって聞き逃さない。
 普段偉そうな人間を追い詰めるのは楽しい。
 鉄面皮と名高いジャッシュもまた、人間だった。

 誰よりも公正公平、故に融通が利かない。
 その評価は、確かに改める必要があった。

 副官を横目でチラリ見る。
 見下されているような気がするのは、直立と座位のせいだと思いたい。
 椅子の後ろには「重し」があるし、逃げさせてはくれまい。

 けれど、筆頭と手ただで聞いてやるつもりはない。
 一応偉い人、という意味で。

「……ナイツとなれば、更に凄惨な状況を目にする事もあろう」
「耳にしただけで突っ走られるよりは幾分マシです」
「ヒビの入った心で、それを凌げるとでも?」
「そうなる前に、ヒビを覆うだけの力と心を」
「触れず触らず、時と共に塞ぐ道も……」
 言いかけて淀む。その時に抉られ、少年は狩人になった。
 何故側に居てくれなかったと、少年の父にそれをどれだけなじられたか。

「彼は、逃げません」
「……いいだろう」
 逃げ道がないのは、自分の方だったか?

「その時は、君に教育を一任する。全責を負ってもらうからそのつもりで」
「はっ」
 用が済むとさっさと部屋を後にしていってしまう。
 解放されたと思うか、遊ばれるだけ遊ばれたと思うかは別であるが……。

「それで、ラウルも同じか?」
 声を投げかけたのは、背後。
 ジャッシュからは見えなかっただろう。
 椅子の後ろで蹲っている赤装束の騎士など。
「あの時のディ……あの時のおじさんより嫌だった」
 それだけの理由で一人船に乗るのを拒み、面会にも行かなかった。
 コレも、もう二十半ば。それでも、口調と態度だけが変わらない。
「でも……あの村でちょっとだけいい顔になったから」
「それだけか?」
「うん、それだけ」
「……解った。済まないが、二人とも少し席を外してくれ」

 ラウルが訝しむ。副官は素直に従う。
「私とて、発言を翻すことはないさ」
 その言葉で、ようやくラウルが立ち上がる。

 一人の部屋で、机の上で、手を組み、額を預け。
「ザインさん……サイラス……リネット……」
 祈るように呟いたのは、かつての思い人の名。その夫、その娘の名。
「……すまない」
 零したのは、謝罪の言葉。

 ――翌日。

「……正気?」
 それが朝っぱらから来た先輩の用件を聞いた俺の、最初の言葉だった。
 ぽっかり口を開けたいのは俺の方だ。

 何で俺? 何でナイツ?
 ついこないだまで拘置所入ってた俺が。ああ……。
「……鎖で繋いでしまおうって奴?」
「お前、伝聞であんな事を聞いたら耐えられるか?」
 うん、無理。
 だって……どれだけ苦しかったか考えてしまうから。
 他人事の癖に、知りもしないくせに。
「……ナイツになったら、強くなれる?」
 力だけが強さじゃないけど。
 それ以外の強さが何なのか、自分でも解っていないけど。
「言っておく。楽な道ではないぞ」
 その方が良い。
 何か考えてしまうよりもずっと良い。
 手を差し出せる場所に行きたい。
「……よろしく、先輩」
 大嫌いな自分を、壊せるようになれますか?

 ――生意気な口など叩けない日々が待っていたのは言うまでも無く。

 先輩に最初に叩き込まれたのは力の差。
 どれだけ挑んでも勝てないと教え込まれる事。
 構わなかった。これから強くなっていけばいいから。
 自分がちっぽけなことぐらい、最初から解っていたから。
 上を目指そう。何もかも吹っ切れるぐらいの早さで。
 泥の底で藻掻く人を、少しでも支えられる場所に、引き上げられる場所に。

 ――それから一年と、半年後。

 何もかも覚えている。何もかも覚えているから、思い出さなかっただけ。
 あの時過ごした時間も、あの時の叫びも、あの時思い描いてしまった物も……。

 その日は雨が降っていた。
 昼なお暗くなるほど分厚い雲から落ちる、五月蠅い程に大粒の雨。

「呆気なさ過ぎるだろ……」
 ミューゲさんの時だって思い出さなかった。
 思い出したら、本当に耐えられなくなっていただろうから。
 自傷行為で救いや同情が得られるとは俺だって思っちゃいない。
 ……心も体と同様、どこかで壊れないよう働く機能がある事だけは解った。

 それを、酷く恨めしく思うときがある。

 囚人が一人脱獄し、東に向かって逃げ出した。
 あの時処刑を免れた最後の一人。
 仲間の相次ぐ処刑に、怯えていたとかいなかったとか。
 それだけで思いす俺も俺か。

 最初に出たのは俺と先輩。
 空にはホムラがいる。一番機動力があったのは俺だったから。
 ……ナイツになると姉貴に伝えた翌日受けた仕事。
 怯え震える姿が、誰かと重なって、噛まれることも厭わず伸ばした手が最初だった。

 雨が帽子を打つ。
 ぬかるむ地面を早足で進む。走る必用は無い。
 縺れた足には、余裕で追い付けるから。

 怯える竜に手を伸ばし、怯える人間を追い詰めるこの差は何だ?

 アイツ、俺の顔見た途端に血相変えてたな、覚えてるんだ。
 ……それが騎士装束を着て来れば、か。
 這いずって木にぶつかって、ソイツはそこで諦めた。
 リトの指を落とした奴を聞こうとして、やめる。
 どうせ、死人に擦り付けるのがオチだと思ったから。

「な、何で……何でっ!?」
「そんなの、俺が知りたいよ」
 案の定と言うべきか、仲間集めて似たようたな事しようとしてた。
 その仲間は今頃、先輩が片付けているだろうか。
「そっちはどうだ?」
 ほら、帰って来た。
「御覧の通り……そっちは?」
「上手く言っておいた。ホムラには悪いと思ったが……な」
「……それで良いよ」
 後は何も知らず、同行者の不幸を悼むだけ。
 騙されたなんて、知らなくて良い……。

「で、お前はずっと遊んでいたのか?」
「まさか」
 プレッシャー掛けたのは否定しないけど。
「試すにしては、露骨だなとおもって」
 当て付けにも程があるだろうに。殺していいのか、生かしていいのか。
 そしたらさ、先輩が深ーく溜め息付くんだよ。
「デメリットが大きすぎるだろうが」
 ああ、それもそうか。

「お前は相手の生き死に”だけ”を迷った。敢えて正解を揚げるなら、な」
「……そう」

 呆けていた奴が安堵の溜め息を漏らす。
 待てが出来るか、試されただけだと。
「すいません……後お願いします」
「そうか……」
 ただ振り向いて、すれ違っただけ。俺だってこのまま捕縛だと思ったよ。

「だが、生死を問わず、と言う言葉の意味は覚えておけ」

 振り向いたら、ソイツの首が、冗談のようにゴロリと落ちた。

「え……」
「これ以上、前途ある者を堕とされてはかなわん」
 死体回収を請け負うネコ達がどこからとも無く現れ、首と頭を別の袋にいれていく。
 先ほどまで冷ややかに見ていたモノが、物言わぬモノになった。
 アイツを深く深く傷つけたモノが、呆気なく壊れてしまった。
 それ以上のことは何も思えず、安堵も、満足もない。

 そんな俺が、先輩にはどう見えたんだろう。
「その嫌悪を、忘れるな」
 それは呆気ない死に対してか、何とも思わなかった自分へか。
 答えを知る術は……無い。

 コイツは東に向かって逃げた。
 マイラや姉貴がいる方角へ。
 それが不運だったのだろう、とだけ思った。




――盗られたモノは取り返せばいい。
――壊れたモノは、返ってこない。



 ――同時刻、砂漠の辺の森、その奥の村。

 例え昼間でも、カーテンを閉めきった部屋は薄暗い。
 その薄闇を通り抜ける黒いワンピース、砂色の髪。

 通り抜けた先は台所。置かれているのは洗面器。
 中に浮かぶ氷結晶。中に沈む銀の鎖。

 アレに使われてしまった物。彼が取り戻してくれた物。
 それを三本指が器用に掬い、首にかける。

 寒冷期の雪山より冷たいその感触を、その首筋に確かめる。
 薄闇の中で煌めく鈍い光を、鏡の向こうに確かめる。

 それだけ確かめて、彼女は、薄く笑ってみせた。