……降りしきる雨。
 ……鬱蒼と茂る森。

 その中を、足を引きずり歩く少女が一人。
 全身を覆っていた紫の鎧は銅部分が無い。
 右の籠手が無惨に砕け、中が赤く染まっている。
 むき出しの肌、雨に濡れて張り付く砂色の髪。

 つい先ほどまでいつもの日常を過ごしていた彼女。
 見る者が見れば、彼女をいかなる災禍が見舞ったか明らかだった。
 けれど、ただ一つ異様だったのは……。

「ふ……ふふは……」
 呆然と天を仰ぐ目が、口元が、笑みの形に歪んでいたこと。
 雨が髪に落ち、髪が肌に吸い付き、肌を雫が伝う。
「ディの……ヤロ……なぁにが紙装備だ……」
 けれどもしかし、目に宿る光は決して正気とは言えず。
「助かったじゃ、ねぇかよ……は、はは……」

***Date.T.AP
 当たり前のように巡っていた日常の終わりは、余りに唐突で、あっけなかった。
***

「はは……あっはははははっ!!」


   ――――『帽子と鉢金』―――
          バラバラ

***Date.LP.S
 あれから通りすがりのネコ達に拾われたのは覚えている。
 丸四日眠っていて、怪我は一通りの治療が終わっていた。
***

 ハンターとて、病院に掛らない訳では無い。
 それは例えば、風土病であったり、解毒草の効かぬ毒であったり。
 それは例えば、深い傷と疲弊で薬に頼れない場合とか。

 それは例えば今、病室のベッドの上で……

「バカミャ、アホミャ」
 銀青トラになじられている蒼髪の少年のような。
「ケインよぉ……他に言う事無いのか……」
「トンマ、ミャ」
「しくしくしく……」
 患者はディフィーグ=エイン十六歳。
 蒼火竜との激闘の末、傷と毒とでダウン。
 それでも剥ぎ取りまでキッチリ済ませるあたりはハンター根性。

「つーかだミャ、がばっと開いた口に飛込むとか狂気の沙汰ミャ」
「だったらアレか、頭から噛み砕かれてりゃ良かったか?」
「いっそミになってりゃ良かったミャ」
「ひでぇ、あんまりだ」
 退院間近にして、この不毛な会話も何度目か。

 入院期間約一週間程度。
 ある程度回復しても追い出されなかったのは、最近物凄く平和だったから。

「んで、幾ら上質だからって病室に鱗持ち込むなミャ」
 と、一際色艶の良い、抜けるような青空を思わせる蒼い鱗をケインがつついてみたり。
「いや、工房持ってったら大事に持っとけって言われたしさ」
 そんな何気無い日に、入院患者が一人増えた所で気付くはずもなく……。

***Date.LP.F
 その翌日にアイツが来た。血相変えてる面が目に浮かんだよ。
 だってのに……あのバカ兄貴と来たら余計なこと言いやがって……。
***

 だから、彼が彼女の事を知ったのは退院翌日。
 いつもの装備で、何も知らずに訪れたのは相変わらず賑やかな集会所。
 彼がここに来たのは、そろそろ彼女が帰って来るから。
 入院していたなんて知れたら、何を言われるか解ったものじゃ無かったから。

 けれども……。

「聞いて、無い?」
 ハンターの怪我など日常茶飯事の筈だった。
 けれど
応対する受付嬢の声は厳しかった。取り繕いきれていない。
 だから、彼女が笑って済ませられない状態と言うことは察しがついた。
 何故教えてくれなかった。何故誰も知らせに来なかった。
 自分のことなど忘れてしまっていたのか。自分に伝える間も無かったのか。

「リトは何処っ!?」
 病院へとって返し、彼女の部屋を聞き出す。
 なりふり構わず駆ける彼を最初に出迎えたのは……。

「どの面下げて来やがった!!」

 廊下の奥から響く罵声。扉から蹴り出される蒼装束の騎士二人。
 病室の前に立ち塞がるよう立っていたのは、リトの兄。
 騎士が居る事を、深く考えようとはしなかった。
 そのぐらい、悪い予感がしていたから。
 帰って行く二人の事など、気にも止めていなかった。

「リトに……何があったんですか?」
 兄は暫し眉をひそめ、考え、そして静かに首を振る。
「お前、暫くリトに近付くな」
「……え?」

 何故と問う間も無く押し返されそうになる。
 従えば良いのか、押しきれば良いのかさえ解らなかった。

 従う事も、逆らう事も出来ずその場に留まっていた。

 その時だ。病室から、声がしたのは。
「兄貴ー、何かあったのー?」
 まるで、何事も無かったかのようなリトの。
 そして……。
「つーか、ディ来てるんじゃねぇの?」
「い、いや来てな……」
 反射的に出た兄の言葉は、誰がどう聞いても嘘で……。

「なっに追い返そうとしてやがるこのっ、バカ兄貴っ!!」
 面会は許可された。むしろ強制された。
 それでも、病室に入ろうとするディの前に立つ兄。

「……リトに触れるな。手を伸ばすな。これだけは絶対守れ」
 それが面会の条件。
「何故?」
 嫌な予感ぐらいは、した。
「……暴漢に襲われた」
 その上で、これ以上聞くなと言われて確定する。
 それこそ、その手の小説の出来事程度にしか考えていなかった事。

 欲望を満たすためだけの内容の話を読んだがある。
 真面目に苦しむ姿を描いた話も読んだことがある。

 部屋に入るのに、覚悟が要った。けれど、引き返すことも許されない。
 それでも目を反らさないと決心して病室に足を踏み入れて……。

「いやっほー?」
「……はい?」
 出迎えたのは、個室のベッドでのうのうとくつろぐ彼女だった。
 右腕を三角巾で吊っていて、手はギブスでガチガチ。
 左の二の腕にも包帯が巻かれている。
 けれども空いた手にフォーク、先にあるのはラオシャンメロン一欠片。
「喰う?」
「いや、いい……」
 彼女に、悲壮感を期待する方が間違いだったか。
 そんな彼女を見てしまうと、兄の警告の意味は何だったのだろうと思う。

「突っ立ってないでそこ座れよ。椅子見えてっだろ?」
「あ、ああ……」

 余りに他人事で、余りに現実味に欠ける。
 まるで、よくある負傷ハンターと、その見舞いのような。
 だから……。
「やっぱくれ」
 相手がフォークを伸ばそうとしたメロンを、かっさらうぐらい良いと思った。
 唯一の誤算は、彼女が狙おうとしていたメロンが予想より自分の方にあったこと。

 ほんの少し、手が触れただけだった。
 ただ……リトはその程度で手を引っ込めるような女だっただろうか?
「あ、ほら、食えよ」
「言われ、なくても……」
 何か話さなければと思った。
 けれど、何と聞けば良いのだろうか。

 ……何があった?
 駄目だ。恐いことを思い出させるかもしれない。
 牙を剥く獣より、人間の悪意の方がよっぽど恐い。

 ……襲われたって聞いた。
 駄目だ。意味合い的にそのまんまじゃないか。
 黙られたら、それ以上何を言ったら良いのか解らなくなる。

 結局……。
「怪我、どうなんだ?」
 当たり障りの無い言葉しか出てこなかった。

「右腕と両足複雑骨折。当分ベッドから出られねぇーってよぉー」
 そうふて腐れる彼女が、膝を抱え込むのを見逃さない。
 けれどもそれを指摘もしない。
「ぜーんぶナイツにチクってやったからな。ブタ箱と言わず死刑台にでも逝きやがれってんだ。ハハッ」

 乾いた笑いは、微かな震えもよく解った。
「ま、こんなだからさ。当分狩り無理だわ……やっと上位と思ったらコレだよ」
 無理をしている。まだ恐い。隠すならもっと上手く隠してくれ。
 にじみ出て来られるのが、見ている側には応える。

 言葉が続かない。でも立ち去るなど以ての外で……。
「……ィ……おい、ディっ、くぉるぁっ!!」
「ぶぉっ!?」
 などと考えていたら、メロンの皿でぶん殴られる。
 皿に溜まっていた汁がかかる。べたつく。
「ちょっ、いきなり何す……っ!!」
 頬を押さえて見てみれば、空になった皿を構えるリトの姿が。
「見舞い品全部平らげる奴があるかっ!!」
「……ゴメンナサイ」

 沈黙。冗談。また沈黙。
 今のリトに話題を求めるのは酷であったし、ディは愚痴を除けば長々喋るタイプでなく。
 ただ……。
「シケた面すんなよ。別に殺されたわけじゃないんだぜ?」
「あ、ああ……」
 哀しい顔をされて、いい気になる人間はいない。
 しかし、笑顔に出来るような会話のネタも無く……。
「ま、あんま深く聞かなきゃ、それで良いからよ」

***Date.LP.F
 ……目の前でだんまり。それでも、いてくれるだけでほっとする。
 独りぼっちの沈黙が、一番恐いと気付いた。
***

 リトは、真夜中に目を醒ました。いや、眠っていたかさえ定かではない。
 意識は夢とうつつの間を行ったり来たりで、夢と現実の境も曖昧だった。
 けれど、暗い暗い病室の天井を見上げて、こちらが現実と解ってしまう。

 思うように立てない足。腕を固定するギブスの感覚。
 そして……もう無いはずの……。
 夢ならいいのに。全部悪い夢ならいいのに。
 いっそ、都合良くその時の記憶だけ消えていればいいのに。

 ……周りだけ心配してくれるのも面白そうだ。
 いざそうなったら鬱陶しがるか困惑するかのどちらかだろうに。
 そして、アイツをシメて事の次第を吐かせて……今の状態になると。
「……バカみてぇ」

 布団を被りながら、思う。
 目覚めたら先月か先々月辺りになっていないかって。
 もしあの温泉村で目覚めたなら……。
「あの野郎喰ってやるのに」
 そんな事を考えながら……青みの増す空を見ながら眠りについた。

 その晩眠れなかったのは、ディも同じだった。
 けれど理由は、家路の途中で話の種を思い出したから。

「はぁ? デカレウスの口に飛び込んだぁっ!?」
「伏せてもガブリ、避けたら羽で殴られそうなんで」
 そして案の定、狂気の沙汰、正気じゃない、ベロ責めとか色々言われた。
「て言うかよ、閃光中に蹴り入れてくるとか反則じゃね?」
「倒した後気付いたんだけどさ、そいつの足に刀傷が山ほどあったんだ」
 リトもハンター。大物との戦いの話は食いつきが良かった。
 その兄もハンター。病室前で聞き耳を立てているのがここでも解る。

「人間、特に双剣慣れしてたんだろうな。ラウルが解毒弾撃ってくれ無かったらお陀仏だったかも」
「解毒弾?」
「回復弾と同じ要領で作れるんだって。需要がないから廃れたらしいけど」
「へぇ……でもよ、回復弾ぶっ放すのが先じゃね?」
「だろ? アレさ、万一とか験担ぎに一発だけ持ってたと思うんだ」
「……何で仮定形?」
「問いただしたら、思いっきりきょどったから」
「うわ、見たい。ラウルがきょどるの思いっきり見たいっ!!」
 どこかで赤装束の騎士がクシャミしていたとかいなかったとか。

「で、話は戻るけどそのレウス、致命打をことごとく避けてたらしいんだよ」
「てことは、ちまい傷積み重ねての粘り勝ち?」
「だな。で、斬りつける場所以外の鱗の状態ってのがもの凄く良い」
 ……取り出せる。ようやく取り出せる。
 その時に取れた一際上質な竜の鱗。

 素人が見ても、十中八九上物と解る程に輝く鱗。
「……紅玉の親戚?」
 リトがそう尋ねてしまうのも仕方ないほどに。
 紅玉を、一度だけ見せた事がある。そのままガメられそうで恐かった。
「いや、よく見ろ。鱗なんだよこれ」
「すっげぇ……上位ってこんなの出るの?」
「まさか。上位でもお目にかかれない超レア」
 手を伸ばすな。その忠告に従い、リトの横にあるテーブルにソレを乗せる。

「んで、ちょっとグラビ狩り行くことになってさ……その、遠出になるから」
「そういや、グラビ剣欲しいつってたっけ?」
 そしてその為にリオソウルUシリーズが欲しかった、だから受けたのがあの依頼。
 あの時の白いクシャに、目に物見せてやろうと言う動機がヒドイ。
 欲しい物があり、その獲物を狩るために他の物が欲しくなる。
 よくある物欲の連鎖ではあるが……。

「ま、御守り代わりに持ってろって事」
「てことは、お目当ての鎧は?」
「いや、後一枚いるから、また行かないと……」
 ディがそう呟いたとき、リトの目つきが変わった。
「……使え」
「はい?」
 何となく、悪い予感がして……。

「つーか作れ!!」
「え、え?」
「リオソウルU一式以外でここ来るの禁止っ!!」
「ちょ、ま、何ソレ!? そしたら今度病院入れてくれねぇって!!」

***Date.LP.G
 昨日、今日、アイツはまだ帰ってこない。
 ……グラビ狩りなら最低十日。何日かかるのか聞いておくべきだった。
***

 どうすれば良かったのだろう。
 別の場所を選べば良かったか。アイツを待っていれば良かったか。
 倒れている人間など、無視してしまえば良かったのか。
 まず最初に怪しめば良かったのか。
 疑って、警戒して、そしたら、不意打ちになど遭わずに済んだだろうか。
 返り討ちにして、嗤ってやる事が出来ただろうか。

 得意げに帰って、アイツの狩りの話も聞いて。
 それでも、起こったことを聞いたら心配してくれただろうか。
 それから……。

 ……後悔とはきっと、こういう物を言うのだろう。
 目が醒めたら時間が巻き戻っていないかと願う、そんな気持ち。

 やり直した先にある明日を思う。「今」の先を描けない。
 願わずには居られない。けれど、目覚めて待っているのは変えようも無い「今」なのだ。

***Date.LP.LO
 ……病弱な乙女なんて性に合わない。負けるもんかって思う。
 幸い、嫌なことを紛らわせてくれる相手は、側にいる。
***

 何か、嫌なことを忘れられる話題を求め狩り場に出たディ。
 彼が纏うのは先日狩ってきた蒼火竜の鎧。
 病院に、鎧を着て来るなんて我が儘が通ったのは平和故か。
 落陽草で念入りに鎧を擦る看護婦が特別と言ってくれたのは、彼女に降りかかった災禍故か。
 帰ってきた彼を待っていたのは……。

「いぉーっす……もごもご……」
 ウインナーを口いっぱいに頬張るリトだった。
「……あの、俺はどう反応したらいいですか」
「何か反応したら困る事でもあるのかね?」
 生来堅物で、母も姉も結構そう言うところはお嬢様してたディ。
 彼の口から語れと言うのはかなり酷。

「……ちっ。知ってんだろ。ヤられたって」
 リトの緑色の目が、ちらりとこちらを睨む。
 けれど口元は笑っていて、一瞬でも悪女みたいだと思ってしまう。
「……どーせ、兄貴の口止めだろ」
 そう言ってウインナーを食いちぎる様は、いつものガサツ娘だったが。
「あの、よ……」
「あん? 口はノータッチだったから、別にこっちはへーき」

 ……先の依頼は好事家のグラビ肉ご所望。
 その報酬のお裾分けだったのに、既に肉を食われてる現状。
 と言うより、それはあまりにこれ見よがしで……。

「来やがったら、食いちぎってやってたのによ」
「……お前だとやりかねないよなぁ……」
 言葉ばかりの嘘だった。
 そんな行いを躊躇うほどに、牙を剥きそうとは思う。
 けれども、その表情がまったくもって思い浮かばなかったのだ。

「……触れるな、手を伸ばすなって言われた」
「あー。やっぱ? うん。目が醒めた直後、兄貴ぶん殴っちまったから」
 平然と言ってのけてはいたが……。
「駄目、なのか?」
「……うん」
 そう、しおらしく返事をされてしまう。

「だから、さ。リハビリ付き合ってくれね?」
「……は?」
「だ・か・ら、このままじゃヤバイだろって話」
「……で、具体的には?」
 リトの手がディの手の少し前で止まり、躊躇い、ディの手をを指さす。
「伸ばしてみてくんね。何かあったら、アタシから言い出した言えば良いだろ」

 手を伸ばす。
 ただそれだけの事。
 ディは、そっと伸ばしたつもりだった。

 それでも、その瞬間リトの肩が震えるのを見てしまって……。

「なに引っ込めてんだよ?」
「あ、いや……」
 その目が、明確な「敵」を見る目だったから。
「ったく、アンタが怖じ気付いてどうすんのさ」
 呆れらを含む声にうなだれ、けれどもちらりと見たリトの顔。

「ま、そのぐらいで丁度良いんだろうけどよ」
 穏やかに、笑っていた。
「……なんっつーか……タフだな」
「たりめー、だろ」

***Date.LP.LG
 ……今での部屋には帰れなかった。騒がしすぎたんだ。
 体の傷は良くなって、心もこの調子なら良かったのに。
***

 あるのはベッドと壁紙だけ。
 本当に何もない、極々シンプルな部屋一室。
 その玄関に倒れ込む蒼火竜の鎧と、ベッドの上で深窓の令嬢を気取る娘。

 その直ぐ下で土下座させられている蒼火竜の鎧の少年。

「部屋を変えたなら……先に言ってください……」
 住宅街の奥。聞こえてくるのは子供の声と生活音。
 黙ってベッドに腰掛ける姿は深窓の令嬢のようだった。

 と言っても、部屋にはまだ荷物入りの箱やら袋やら山積みだったわけだが。
 そして兄は玄関口で待っている……彼女が入れるのは、彼だけだった。

***Date.LP.EP
 ……時々、我が儘言ったりしてアイツを無理矢理狩り場に行かせる。
 だってさ、やっぱり見せられないだろ?
***

 時季外れのガレオスイカをねだったら、彼は素直に狩り場へ直行。
 一人待つ彼女の家に来たのは、一般に言う所のカウンセラーの女性。
「やっぱり、まだ駄目ですか?」
 手にはカルテを挟んだファイル。ベッドと椅子とで対面。
 距離は、診察にしては少々空いていた。

 自然治癒で賄えない傷は、何も体だけの物ではない。
 語ることはしても、誰かに晒そうとは思わない。

「彼の手でも、駄目?」
「……はい。試す前に、彼の方が萎縮しちゃって……」

 きっと嘆いてくれる。きっと怒ってくれる。
 けれども……その後一緒に悔しい気持ちになるのは、苦しい。

「そう。夜は眠れる?」
「えーっと、その……」
「駄目?」
「いえ、眠れることは眠れるんですけど……あのー、そのー……」
「ネムリ草を服用しましたね?」

 パタリと閉じられるカルテのファイル。
 張り付いたような笑顔のカウンセラー。
「服用したんですね?」
「す、すいませ〜んっ!!」

 あんな夜が続いたら、きっとヒドイ顔になっていただろうから。

***Date.LL.L
 傷にも、色々な付き方があると思った。
 それだけで、少しだけ安心する自分がいる。
***

 それは、部屋の整理にディを呼び出したときの事。

「ディってひょっとして、子供嫌い?」
「……はい?」
「いや、外から笑い声すると、ピクって」
 普通なら、それを嫌いと言い切ったりしないだろう。
 暫く見つめると、段々気まずい表情になって……ついに口を開く。

「別に、子供自体は嫌いじゃないけど、あの位の頃にちょっとな」
「あ、嫌いじゃなくて怖いんだ」
「つーか、何でそんな事気付くわけ?」
「思いっきり警戒態勢入ってたぞ」
 それとも、同類相哀れむと言うものであろうか。

 ディが口を開こうとして、止める。
 例え同じような症状があったとして……。

 ただの小石と鋭利なナイフでは、するべき措置が違いすぎると。

***Date.LL.S
 時々、酷いことを考える事がある
***

 ディは行けと言わない限り毎日甲斐甲斐しく通ってくれる。
 そう頼んだのは自分だし、律儀に応じてくれる彼が有り難くも思う。

 そんな彼女が覗き込んでいたのはアイテムボックス。
 中に畳まれていたのはハンターUと呼ばれる防具。
 彼が普段愛用しているそれと、同じ物。
 自動マーキングのスキルが発動する一式。

 以前に彼が通り魔を一人捕まえた。
 その時聞いた、不思議なこと。
 気持ちや心まで視れたなら、一体何が視えるだろう。

 何も出来なかった。
 何も出来なくなった。
 抵抗の意志さえ崩れて堕ちる。
 その最中に、一瞬でも考えてしまったのは……彼の……。

 そんな記憶さえ、視えてしまうと言うのだろうか。
「ハ……ハハハ……ハハ……」

 今日彼は少し遠出をすると言っていた。
 日数は聞いていない。聞いてしまったら、僅かな遅れが恐くなるから。

「ハ……ハハ……」

 乾いた笑いが、暫し経って嗚咽に変わる。
 今朝、おねだりをしておいてよかった。

 ――そんな日々が、何時しか当たり前になっていく。

 ――傷を負った娘と、その見舞いに甲斐甲斐しく通う男。

 ――近所の二人の評価は、考えるまでもない。

 ――けれども互いが触れ合うことは決して無く。

 ――本来頬を赤らめる所で顔が蒼く染まる。

 ――その内心など、誰にも悟られる事はなく……。

 ――そんな日々が、一体何を残し、何を変えていっただろう。

 最初は、日常の延長だった。
 ただ、彼の帰りがちょっと遅かっただけ。

「ちょ、まっ、ギブスは鈍器じゃねえええええええーっ!!」
「うるせえええええええええええええーっ!!」
 拗ねた彼女による鈍器殴打。鈍器と言っても、ギブス。
 中の骨は付いている。彼がその事に触れたことはない。

 けれど、無茶苦茶にも程がある。

「こちとら苦労してグラ狩ってきてこの扱いかっ!!」
「傷心の乙女十日近く放置とかどういう神経してやがるーっ!!」
「これが傷心の乙女のやる事かっ、つーかどういう痛覚してやが……っ!!」

 ソレまでが当たり前だったから。
 傷の痛みが薄らぎ始めていたから。
 けれどもそれは触れていなかったから。

 頭を庇う彼は、思わずギブスに覆われていない彼女の二の腕を掴んでしまった。
「……っ!」

 見開かれた目、振るえる腕、禁忌に触れたと悟るには十分だった。
「い、い、いやああああああああっ!!」
「え、あ、リトっ!!」
 手を放そうかと言う直前、リトの左手がナイフを握るのを見てしまった。
 解放するより先にナイフの手を押さえ付けてしまって。

 ――悲鳴。

「リト、おいっ、リトっ!!」
 俺はどうしたらいいのか解らなくなった。
 リトの目を見たら、ガタガタに震えていて、頭は状況を把握しいるらしくて。
 今手を放したら、今度はその手で自分を傷つけてしまいそうで。
「何やってんだ!!」
 兄貴に引きはがされた時、俺の目の前をナイフが掠めて。
「いいから、ちょっと出ろ!!」

 けど、さっきまで藻掻いていた手がこっちに伸びて来て。
「ヤダ、ヤダよぉ……」

 ――俺は、リトが壊れるのを見た。
「ディ―――っ!」