フラヒヤ山脈の中でも、最もなだらかと言われる山の麓。
 その頂より少し下に、小さな穴蔵があった。
 白い白い氷に覆われた穴蔵。
 広場があって、その奥にはねぐらと思しき窪みがある。
 二頭が暮らしても、まだ広いような。

 そこに一頭の、黒い龍がやってきた。
 けれども彼は、ここの家主じゃない。
 本来の家主は遙か空、彼が追い払ってしまったから。

 その奥の奥、寝床の奥に鋼色の塊があった。
 体を丸めて、今にも寝息が聞こえて来そうな鋼龍。
 けれども微動だにしない体、全身を覆う霜。
 もう、生きてないと一目で解った。

 人に顔相があるように、龍の顔にもそれがある。
 人の良さそうな顔、悪そうな顔、そんな類の。
 そしてこの龍は、良いお父さん、と言う風貌であった。
 少々気の弱い、恐妻家で、いざというときする事を出来れば言う事無いような。

 長らく独り身の黒い龍は思う。
 伴侶と寄り添えない彼女は、少し可哀想かもしれないと……。


   ――――『帽子と鉢金』―――
          ホカホカ

 フラヒヤ山脈の中でも最もなだらかと言われる山の麓。
 そこにある小さな温泉村で、先日しめやかな葬儀が行われた。
 数日前山に消えた男が、漸く帰って来たから。
 元凶と言われたのは白い龍。
 それが飛び去るのを、救助に向かった者が見たと言う。
 誰が追い払ったまで、人に知る由は無かったが。

 ……捜索に行かせたハンター二人が帰ってこなかった。
 ギルドへの連絡が早かったのは、その二人はまだ若かったから。
 ギルドに連絡をと思った頃、追い掛けるように現れたナイツ一人、ハンター二人。
 騎士は一人は子連れの黒装束。
 ハンターの方は赤いローブのような皮鎧に黒髪を後ろで纏めた男。
 もう一人もよく似た赤い皮鎧の、金髪の上に赤い羽帽子が揺れるガンナー。
 大きな違いと言えば、その手足を真紅の籠手が覆っている事か。
 彼等が前述の二名を探して来てくれたから、最悪の結果だけはまぬがれた。

 ちょっとした問題があるとすれば……。
「よぉディフィーグ、風邪とは運が良かったなぁオイ?」
「いや、俺、本当に、なんもしてませんってば……」
 男と女が、人肌で雪山の寒さを凌いできたと言うことだろうか。

 ここは村の温泉に程近い丸太小屋、暖炉の火が暖かい一室。
 そのベッドに、クックファーをこれでもかと言う程詰め込んだもこもこの布団。

 最初に捜索に出たハンターの一人、蒼髪紫眼の少年がもふもふと。
 凍えていたと言うからと用意してくれた、村人の暖かさが身に染みる。
 ベッド横の椅子に腰掛けているのは、黒髪を纏めた赤ローブの男。
 先に捜索に出た二人のうち片方の兄。彼の妹は、ただ今温泉を満喫中。

 そしてこの男が二人の第一発見者。
 薄着の妹とその彼氏(候補)をみて、何を考えたかは想像に難くない。
 少年がボコボコにされていたと言う事実は無視。
 むしろ、やましい予測の信憑性を高める事と相成った。

 そして少年、ディにとっての更なる不幸と言えば……。
「はぁ〜……極楽極楽〜……」
 ちょっと起き上がって背伸びすれば見える場所で、相棒が温泉を満喫している事か。
 こうして寝ていても、温泉の湯煙と共に聞こえてくる声。
「ディ君でしたらいつでも大歓迎ですよ〜」
 しかも、知り合いの連れ子付きで。
「ったく……何でリトがピンピンしてんだよ……」
 自分も、密かに楽しみにしていたと言うのに。

 そして、彼の他にも楽しみにしている奴はいた。
 ついでに言えば、その楽しみを、ただ今満喫中の奴が。

「ふぅ〜……ばばんばばんばんばんっと」
 湯船で気持ち良さそうに鼻唄を唄う金髪碧眼の童顔、ラウル。
「ささやかとは言え、仕事の後はこれだな」
 湯船の縁に背を預けてくつろぐ強面はジャッシュ。
 双方共に、温泉が身に染みる年頃である。
「どっこがささやかなのさー。惨事収集した身にもなってよー……」
 主な惨事、リトによるディへのリンチ。
 口から魂吐いてたような気がするのは、気のせいではないはずだ。

 一方その隣、湯煙と仕切の向こう側にある女湯では……。
「にしても、つっまんねぇなぁ……」
 ジャッシュと、全く同じ姿勢でぼやくリトがいた。
 彼女の横で肩まで浸かっているのは、ジャッシュの娘マイラ。
「生きて帰れただけ上々じゃないですか……」
「いやいや、そうじゃ無くてよ……」
 頭に乗せたタオルを整え直す様は、正にオヤジ。

「やっぱ、温泉つったら覗きだろ」
 発想もまたしかり。
 けれども、それを聞いたマイラは……。
「覗き、覗き……うふふふふふふ……」
 何を考えていたのか、早速ヨダレを垂れ流していた。
 僅か十一歳でこれ。色々先が思いやられる。

 もっとも、それに対してチッチと指を振るリトは……。
覗きに来る馬鹿を、返り打ちにするのが楽しいんじゃねぇの
 そう言ってゴキゴキ肩を鳴らす。十五歳と思えない。
「その格好では、ガッカリがオチでは……」
「あん? そん時はアレだ。こう……」
 リト、おもむろに立ち上がると、髪を解き、頭に乗せたタオルを前にかける。
 緩やかに波打つ髪が背に張り付き、タオルと肌に隙間はあれど肝心要の部分は決して晒さず……。
「セクシーショットなら心得てるぜぇー?」
 そう言ってカラカラ笑うリト。
「ま、簡単には見せてやらねーけどな」
 恥じらい? ハンターになったときに捨ててきた。

 そして、仕切りの向こう側から聞こえてきたのはラウルの声。
「ディが元気だったらどうしてたー?」
「あっはっは、エロトークでもすりゃ喜んだか?」
「いやむしろ、お互いの発育の話をしたほ……!」
 ラウルは、半ば忘れていた。
 今一緒に風呂に入っているのは、年頃の娘を持つ父だと。

 声が途切れ、男湯から悲鳴と殴打の音が鳴り響いた。

 そして、それら全ては湯煙に乗って、近くの小屋まで届いていた。
 すなわち、ディが寝込んでいる小屋へ、である。
 更に言えば、リトとマイラの会話もまたしかり。

「何やってんだよアイツら……」
「ディ、頼む……もうお前も以外に嫁の貰い手無いと思うんだ……」
 嘆くのは彼氏(候補)と、彼女の実兄。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」

 兄の方は笑いながら温泉へ向かっていった。
 目的は入浴ではなく妹への説教であろう事は、笑顔のまま浮いた血管で解ったけれど。
「俺は……怒る気力も無ぇよ……」
 寝込んでいたディの体温が、少し上がったのはまた別な話。

 ……しかしそうなると、一人残された側は寂しい。

 頭がぼーっとする。
 脳の奥が火照っている。
 睡魔はあるのに眠れない。
 鼻は出てないから呼吸は楽。
 思いっきり冷たい空気。
 思いっきり吸い込めば、身も心も冴えそうなのに。

「……だるい……」

 兄の怒鳴り声とゲンコツの音が、遠雷の如く頭に響く。
 と言うことはもう風呂から上がったか……。
 風呂上がり……風呂上がり……風呂上がり……。
「だっから何考えてんだ俺はあああああああああ……」
 熱にうかされる思春期。脳裏を過ぎる銀の鎖。
 布団を被った所で、裏に浮かんだ物は中々消えず。
 ……むしろ、被ったら逆効果だった。

 いっそ触っておけば良かったか?
 いやいや、そんな真似をすれば本当に撲殺されかねない。
 悶々悩みながら転がった先はベッドの隅、布団ごと壁際に丸まる様はまさにマシュマロ。
 けれども……。

「だりぃ……」
 くるっと丸まっていたはずの物が、だらりと崩れてしまう。
 体が重い。頭の奥から何か吸い上げられるよう。
 自分の体が、痛くも無いのに思うようにならないというのはキツイ。
 戦闘ならまだいい。自分の自由を明確に縛る相手が見えるから。
 誰にも縛られていないはずなのに……だから、嫌だ。

 体の仕組みなら知識として知っている。
 いくらかの不調に対しては、その原因も対処も類推し、実行できる。
(ビタミンは取った、暖はこれでもかってぐらい取ってる……後は……)
 しかし、解ってはいても、相応の時間をかけねばどうにもならない。
(ぐっすりおねんね……)

 寝よう。そう思ったのは何度目か。
 そして、手を変え品を変え妨害される。
 最初は朝食の匂い。
 次は心配とやって来たマイラにそれをつまみ出すジャッシュ。
 その次はリトの兄。

 そして今度は、コレでもかと言うほどに漂う石鹸の香り。
 洗い立ての髪の匂い……鼻が出ていないのが、この時ばかりは恨めしい。

「おーす。兄貴にゲンコツ貰ってきましたー」
 温泉があるとはいえ寒いのに、シャツの上にタオルかけただけのリト。
 解いた髪が、ひたりと肌に張り付いていた。
「おい……ちゃんと乾かしてから来やがれ……」
「ほんっと、ディって心配性だよな」
 そしてベッド横の椅子に、足をあぐらに組むなと言いたい。
 その足に頬杖を付くなといいたい。言う気力も無い。

「つーかよぉ……何でお前が元気で俺が風邪なわけ……」
「何かバチ当たるような事でもしたんじゃね?」
 そしてその状態のまま、ミルク瓶一気飲み。
 この女に色気を期待してはいけない。
「だぁーれが、お前なんかに……」
 そう吐き捨てて、寝直すつもりだったのに……。

「え、アタシに何かするつもりだった!?」
「違うわぁー……あぁぁぁ……」
「あ、燃え尽きた」
 熱に浮かされながら絶叫もできるはずはなく。
 ハンターとは、病人に優しくない生き物である。

「たっく……ちょっと前まで凍死寸前だった奴がよ……」
「ま、アタシの珠の肌抱けたんだから、礼は要らねぇよなぁ?」
「抱くとか言ぅっ……なぁぁぁ……」
 もっとも、それは風邪を引いた当人もであるらしかったが。
「病を押しての突っ込み、どーも」

 ぼっふん。

 そのまま上から布団を被せられて沈む少年。笑う少女。
 もごもごと藻掻くマシュマロ。うりうりと押さえ込む少女。
「こーんだけ分厚かったら、こんな事しても大丈夫っかなー?」
 もふっと上から、全身で押さえ込んでみる。
「ちょ、まっ、せめて上着着てからーっ!!」
「あっはははははーっ」
 藻掻いても足掻いても、熱に浮かされた体で出来る抵抗などたかが知れている。

 ……病人と言うことを、当人もろとも忘れている。

「ち、ちくしょ……悪化、悪化決定だコレ……」
「あ、あはははははは……」
 当然バテた。
 モフモフの布団に簀巻きにされたディ。
 それを抱き枕にして、まだ笑いの収まらないリト。
 年頃の娘に抱きつかれているとはいえ、フワフワの羽毛布団越し。
 さっさと寝たい身には邪魔以外の何者でも無く。

「足、かけるんじゃねぇー……」
「だってフワフワァー……」
 人に見られたらどうする。
 火照った頭はそんな事も思いつかない。

 ただ……。
「ところで、よ……」
「んーにゃぁーにぃ?」
 布団に頭を埋めて、すっかり抱き枕。
「ブラ付けねぇと垂れるぞ……」
「……は?」
「ついでに言うとな、揺れるとしぼむんだよ、脂肪消費して」

 そして一ヶ月後……。

「はい、クエスト受注ですね」「登録でしたらこちらにサインを……」
「えーいヤケ酒いっくぞぉーっ!!」「逆鱗でねーっ!!」「ラオ玉取れたよ!!」
「いっちばん良い料理持ってこーっい」「今日はお前の奢りだかんな!!」
「辞めて下さいって……言ってるでしょっ!!」「反撃は良いが手加減はしろよ」

 いつも通りの喧噪が絶えないギルドの集会所。
 いつもとちょっと違う二人がいた。
「んじゃ、頑張って鉱石集めてきまーっす」
 一人で採集ツアーに向かうリト。
 上位クエストは物のついでには向かないと身に染みて解ったから。
 ……足を引っ張りたく無いとは、口が裂けても言わない。

「おうおう行って来い行って来い……ったく」
 結局風邪が悪化して帰還が一週間ほど遅れたディ。
 気がついたら金獅子の黒毛シャツはリトの懐に。男物とかこだわらないのか。
 そうなれば、稼ぎに行かねばならないわけで……。

「そういやディは何のクエスト?」
「蒼レウス。相当な手練れらしいんだと」

 それは、彼が騎士になる少し前の物語。
 永遠とさえ思えた、ささやかな日々の事……。