雪山の断崖絶壁。
 夜明け前が染める空。

 ……がりっ、ざりざりざりっ
 ……がしっ、ざりざりざー……。

 鋭い爪が壁面を抉る。重力に任せて岩を裂く。
 重力に任せて、切れ味に任せて、岩を裂く鋭い爪。

 ざー……がきっ

 それが岩肌を掴んで、鋼の体重を抑えて止まってまた登る。
「ンっガ、ンっガ」
 結構自由自在に岩壁を這えるようになって、ちょっぴりご機嫌の黒鋼。
 がしっ、がしっと岩壁を這い上がり、今日はそろそろ登り切ろうか。
 そんな事を思っていた彼は、ひょっこり首を伸ばした所で知り合いの姿を見付ける。

 出会ったのはつい最近だけれども、中々骨のある奴で……。
 でも、今日はなんだかご機嫌が優れないようで……。
「……ンガ」
 スカー、縞付き、クラウン、この辺りで山神と呼ばれる彼は……。

 ずさー……。

 今日は下から帰る事にした。


   ――――『黒ネコ、まだまだ頑張る』―――
             For Future

 ポッケ村、村付きハンターに与えられる家のリビング兼寝室。
 ベッドで寝ていた病人。キッチンの椅子まで追い出した。
 ……火を扱う場所だし、抗菌石のバリケードもあるから大丈夫。
 それでもクリスタルはむっすりしてたけど。

 そして、空いたベッドに腰掛けるのは主たる緑髪のハンター。
 横に積まれたクッションに乗っかるのは黒髪の少女。
 隙間から顔を覗かせるのはコックにオトモに菜園管理者。

 レベたん、ちょっぴりわくわくしていた。
 自分は頑張れば出来るんだって解ったから。
 自分の頑張れる場所を見付けたから。

「ちょいちょい、レベたんコレ持てる?」
 御主人がノリで渡したマイラのハンマー、レベたん軽々扱えた。
 けれども、ドングリメイルは毛皮が邪魔で使えない。
 マフモフスーツ? 自前があるから要らないニャ。

「でも防具はあった方が絶対いいニャ」
 と言うのは先輩オトモのダイン君。
「無いとモンスターの突進でぶにんぶにんされるのニャ」
 微笑ましく見守るのは人間二人。
「ぶにんぶにんで済むんですか……」
「五匹抱えりゃディアの突進耐えるしのぅ」
「……やったんですか?」
「おう。事故だ」
 曰く、ぽふんと吹っ飛んだ後、背中を強打して一回ネコタクのお世話になったとか。

 その後……二人と一匹は多少の疑問を呈しつつも、一匹鍛冶屋へと。
「はっはっは! 成程、それじゃにゃんにゃん棒は役不足だろうな」
 鍛冶屋のテッちゃん、事情を話したら快く承諾してくれた。
「そうと決まれば武器選びだ。人間用しか無いがお前なら大丈夫だろ」
 がらんごろんと出されたのは武器、武器、武器。

 と、言う訳で……。
 片手剣、骨製のククリなので結構軽い。
 プンプンプンプンっ。
「軽々ニャ」
 人間用とかお構いなし。
 一応の候補に入れて次。

 双剣。やっぱり骨製。
 片手剣が大丈夫ならいけるだろうと思っていたが。
「……ぷいニャ」
 レベたん、触る前からそっぽ向く。
「んお、いかがしたかい?」
「……ニャ」
 そしてぼそりと呟いた。
「何ですか?」
「パパと被るニャ」
 意地でも触る気無いみたい。

 大剣。
「……ぷいニャ」
「今度は何じゃい」
「これもパパが使うニャ……」
「サブウェポンかい」
 実はコイツ、結構なワガママなんじゃね?
 と、皆が思ったのは内緒の方向で。

 太刀。
「抜けないニャ……」
「あーうん、そりゃ人間用だからしゃーない」
 という訳で抜き身で持たせてみる。
「よっ、ほっ、ニャッ」
 突き、払い、切り払い。
「おーいい感じいい感じ」
「これで迫る飛龍も一刀両断ニャ」
 ……その時、真冬も灼熱地獄と例えられた鍛冶屋を、冷たい風が抜けた。
「さ、次試してみようか」
「リィさん……何があったですか……?」
「色々」

 ランス。
「これは……」
「うーむ……」
「どうしたニャー?」
 盾が歩いているようにしか見えない。
 立てられた盾がずりずり。見た目が恐い。
 と言う訳で盾を置いてみる。
「……太刀と一緒ニャ」
「よし、次いこか」
(リィさん……お母さんお嫌いなのでしょうか?)
 彼女もレベたんの事は言えないようである。

 お次はガンランス。だたし盾無し。

 どっかん。
 すってん。
 どっかん。
 すってん。
 どっかん。
 すってん。

「え、えーと、だのぅ……」
「砲撃でこれですか……」
 竜撃砲を打ってみた。

 どっかーん。ごろごろごろごろ……。

 店の外まで転がり出た。

 という訳で次、ハンマー。
「……マイラちゃんと被るニャ……」
「やっぱりかい」
「そんな事とは思ってましたが……」
 自分のポジションを求める黒猫レベたん。

 狩猟笛。
「笛ニャ?」
「笛です」
「笛だの」
 骨製の、大きなキノコが蓋の役割を果たす物。
 レベたんが興味深げに吹口をくわえた時、誰も期待などしていなかった。
 だって、どう見ても肺の大きさが足りないと……。

 ぷーお〜。

「ニャっ」
「おおっ?」
「なんとっ」
 レベたんが息を吹き込む。キノコの蓋がパタパタ開く。
 響き渡る音色は確かに狩猟笛の物。
「れ、レベたん、それ持ち上げた縦にしたりできる?」
「ぷぉ〜」
 返事は笛の音で返ってきた。
 そして言われるまま笛を傾け吹き鳴らし……。

 攻撃力強化【小】
 体力増加【小】
 風圧軽減。
 強走効果【小】

 当然、それを聴いてる二人にはその恩恵があるわけで……。
「ボク……役に立てるニャ?」
「おーぅ、立てる立てる」
「ハンマー構え続けても全然平気です!」
 そう言ってハンマーを軽々振るうマイラ。
 リィもリィで、弓を引いたまま構えを変えていく。
 それを見たレベたん。
「ニャアァ……」
 目を輝かせないはずがない。

「これは……決定かい?」
「決定ニャ!! ボク、笛吹きになるニャ!!」
 そうと決まればあり合わせの素材でテッちゃんに作ってもらい、早速素振りへ。
 防具? すっかり記憶から抜け落ちていました。

 と……決まったまでは良かったが……。
 場所はフラヒヤ山の麓、泉の畔。
「あの……」
「よりにもよって……」
 そこには、微妙な表情のハンター二人と……。

 ギュオォオォ〜

 昨日倒した飛竜、フルフルそのものを模したような笛を吹くレベたん。
 音色……というか音も控えめながらフルフルの咆吼その物である。
「しかし……」
「気に入っているようだのぅ……」
「グォ〜」
 しかも微妙に音階が付いているから気味悪い事この上ない。

 音色(と、あんまり認めたく無いが)は追々覚えるとして、まずは素振りから。
 結構デかいし長いので鍛冶屋では出来なかった。
 リィもマイラも専門外のため、リィが入門書を持って指導。

「まずブン回し」
 レベたんの倍はあろうかと言うそれを、先が重く不安定なそれを……。
「ぐるりんニャッ」
 まるで虫網を振るうようにブンブンと。
 このネコにとって、質量はまるで意味を成さないようだ。

「次、柄殴り」
「ゴッツンニャ」
 肩に担いで共振部分の反対側で。
 特に問題無いみたい。

「最後、叩き付け」
「どっせぇーっいニャッ!!」
 レベたん、渾身の力で振り下ろす。

 ド……ッ!!

 最初に土煙が上がり……。

 ぼんっ

 ……見守る二人の体が1pほど浮いた。
「威力は……十分だの」
「むむむむ……」
 流石の御主人もちょっと引きつり顔。狩猟笛ってこんなに重かったっけ?
 一方、ちょっとむっすりした顔のマイラが一歩前へ出たと思うと……。
「どっせいっ!!」

 ズッ、ドン!!

 ……リィとレベたんの体が、5pほど浮いた。
「いよっし」
 先輩ハンターと攻撃専門武器の威厳を誇示。
「ま、笛の本領は音だからの。とりあえず演奏タイミングでも掴めるよう何か狩ってみるかい?」
「あいニャっ」

 こうして山を登る事になった二人と一匹。
 岩壁を登り、洞窟を抜け、たどり着いたのは万年雪積もる岩棚。
 何か一匹ぐらいいないかと思っていたのだが……。
「猫の子一匹おらんのう……」
「リィさん、猫の子ならここにいます」
「ニャッ」
「……いやレベたん狩っちゃイカンだろ」
 二人と一匹……獣人だから三人か。
 雪山にぽつりと並ぶ黒が二つに緑が一つ。
 吹く風が粉雪を僅かに舞い上げていくばかりなり。

「しっかしここまで生き物がおらんと……こりゃ古龍でも出たかな?」
 基本的に、古龍のテリトリーからは殆どの生き物が逃げ出すと言う。
 積極的に肉を喰らうタイプでなくとも、その気まぐれが十分脅威になるから。
 ただ……。
「そう言えば昨日いましたね」
「御大がおられましたニャ」
「あー、あの時の傷のかー……」
「でもあの時ギアノスいたニャ」
 余りに顔なじみ過ぎて、慣れられてしまっているのも、いる。
 どちらにせよ素振りの相手が居ない事には変わりはないが。

「いっそ後日密林でもいっとくかい」
「あ、私カンタロスの素材欲しいです!」
 と、いい加減諦めムード画漂い始めたその時。
 僅か、本当に僅かに風の勢いが増した気がする。
 やって来たのは件の龍か?

 一つ解るのは……ソレが天災にも匹敵する気配を纏っていると言う事。

 微かな期待に、弓に伸びる手に、リィは嗤う。
 ああ、これがハンターとしての本能か、と。
「あのー……御主人御主人、一応ここの神様なんニャけど」
「んあ。そうだったそうだった……て、大丈夫なんかい?」
「たぶん……」
 けれども、崖の向こうから雪を踏みしめる音がする。
 それが近づいてくる度、体が疼く自分が要る。
(裏を返せば、殺傷衝動だろうにのぅ)

 武器は抜かず、それでも体だけは臨戦態勢で。
 そうして現れたのは……。

「ブルルル……」
 雪の山のガウシカだった。
 けれども、
纏う気配は古龍もかくや。
 すらっと伸びた首、頭から左右に生える、立派な角。
 その下に見えたのは、歴戦の猛者を思わせる隻眼。
 足下のネコが震えて、カタカタと鳴る狩猟笛。
 マイラの方も、それをただただ呆けてみている。

 リィとて、弓に手を掛けようとして、出来なかった。
 その気配が余りに濃密だったから。
 キリンなどとは比べる事すら出来ないような。
 それは例えば……歴戦のギルドナイトの前に立ってしまった時のような。
 それは例えば……弟に顔面蹴り倒されたジャッシュの前に立ってしまった時のような。
 けれども……。

「ぷるるっ」
 その後ろから、あまりに愛らしい声が聞こえてきてしまって……。
 その主が、小さな小さなガウシカの子供だと言う事が解って……。
 その横に立つのがその伴侶と解って……。
「家族……かい?」
 呟いてしまったのが不味かった。

 ブヒィィィィッン!!

「て、てててててて撤収ーっ!!」
「どええええええええええーっ!?」
「にゃああああああああああっ!!」
 その一言をどう解釈されたかは、嘶き吼えるガウシカのみぞ知る。
 走るガウシカ、逃げる三人。トコトコ去ってくガウシカ母子。

「リ、リ、リィさん、アイツさっさと狩っちゃわないんですかっ!?」
「む、む、む、無理! 無理!! 無理ッ!!」
「にゃああああああああああああ〜っ!!」
 気がつけば一頭だったガウシカは山を飲み込む群に。
 彼等彼女らの、人の与り知らぬどこかで大雪崩が起きたのはまた別な話。

「のおおおおおおおおおおおっ!!」
「でええええええええええええっ!!」
「にゃああああああああああっ!!」
 そして、彼等にはそれを知る余裕も無い。

 走り走った先は崖。
 視界に映るは泉の鏡面。
 そして足は止まらない。
 結果……。

 どっぽぉー……ん。

 川流れでポッケ村まで帰り着いたそうな。
 もちろん、体は冷えに冷えてしまったわけで……。

 数時間後。日が沈み、月も天に昇った頃。
 ポッケ村の共同温泉にて……。

 かぽーん……。

「僕……全然動けなかったニャ……」
 湯船に沈むネコがいた。
 そのネコを引っ張り上げて体を洗ってやるのはリィ。
「いやー……アレはうん。いきなり出会ったら私でも折れるわ」
「そうニャ?」
「ああ。無謀に挑む方が愚かと言うものさね」
 子連れの光景を見てしまうと、手も緩むと付け加えて。

 もこもこと泡立つタオル。もこもこと泡立つレベたん。
 思わず後ろからギュムーと抱きしめてみる。
 泡と毛並みの感覚が思いの外心地よく……。
「むにむにだの。この際だ。おまいの背中で洗わせて貰おうか」
「むぎゅニャ〜」

 ごっしごっし。
 わっしゃわっしゃ。
 もっふもっふ。
 ぷっにぷっに。
 ニャンニャンニャンニャ〜。

 と、村の男衆が殺意を、あるいは代われと言う思いを抱くような光景の傍ら。
「はぁ〜……極楽極楽なのです……」
 湯船ですっかり老成しきった少女が居た。
「のほほほほ。マイラたんは温泉の楽しみ方を心得とるのぅ」
「はい。一昨年に一度、ここから下の方の村で」
「あー……私が来るときと別ルートにあったのう……」
 そのうち湯船に盆を浮かべそうな勢いである。

 そして案の定。
「ぷっはあー……やぁ〜っぱ風呂上がりにはコレだのぅ」
 と、コーヒーミルク一気飲みするリィに……。
「あの、せめてタオル巻きましょうよ」
「隠せてるから無問題」
 呆れるマイラ。
 今のリィの格好、肩から掛けたタオルのみ。
 レベたんがそれをマジマジ見ている。
「ほら、教育にもよろしくありませんです」
「のっほほほ〜見とれてしまっとるかい?」
 湯船のレベたん静かに首を振る。
 御主人、大いに凹む。

「あんな感じだったら邪魔にならないかもニャーって」
「胸は緩衝材ですか……」
「ニャッ」
 御主人、ブクブク沈む。
 もっとも、それで劣情を催すようならココには最初からいないのだが。

 ――温泉の事を聞かれたとき、私は伝えるべき情報を瞬時に選んでいました。
 ――伝えるべき事と、そうでない事を。
 ――いいえ、伝えても良かったのかもしれません。
 ――その事その物は、誰の傷に触れる事も無かったはずだから。

 丁度同じ頃の、フラヒヤ山脈の麓では……。

「ブルルルルル……」
 縞付き、クラウンこの界隈では山神……そして、自身の名をスカーと認識する彼が大いに困っていた。
 自分の尻尾の向こうでいななく、雪山の猛者とその子供に。

 ガウシカ離れした度胸と気迫。
 彼の爪さえ見切って交わすその身ごなし。
 鋼の甲殻に傷つけるには硬度が圧倒的に足りなかったが、彼の認める猛者の一人……もとい一頭であった。

 ただ、群の為なら古龍にすら喧嘩を売るその無謀を彼は買っていた。
 そして今、その無謀に彼は困らされていた。
「……ンガァ」
 尻の辺りに陣取った小さな子供。
 尻尾ではたくのは容易いが、ソレをするとまずこの山で安眠は望めない。

 飛び去る事は容易いが、先の遊びでこぼれ落ちた鉱石は平らげたい。
 尻を突き上げられて飛び去ったのはそれから数刻ほど後の事だった。