ここはとある雪山の絶壁。
 ぽつりと開いた小さな穴蔵。

 ひょいっ、ぽいっ、ひょいっ、ぽいっ。

 そこから、幾つも飛び出す白い物。
 人間達がフルフルと呼ぶ飛竜の幼生は、主に狭い隙間を寝床に据える。
 確かにこの穴蔵の奥は狭い。露出した結晶の隙間など絶好であろう。
 当然、その景色に白くてうねうねした物が加わるわけで……。
「グゥー……」
 景観が失われるのは致し方ない。
 穴蔵の住人である『彼』がそれを握りつぶさないのは、慈悲からではない。

 錆の匂いは遙か昔の辛酸と屈辱の記憶。
 まかりなりとも全生命の頂点たる龍の本能にとって、それは致命の苦痛。
 血の匂いも原理は同じ。彼に知る由は無いが、どちらも酸化した鉄の匂い。

 なればこそ、朝から半日を掛けて侵入者の撤去に勤しんでいたのである。
 その気になれば、一振りで全て一刀両断できるその爪で、丁寧に。

 それが奥の方に居た最後の一匹に届かない。
 仕方がないので、すっと口先を突っ込んで……。

 ずぉぉぉぉぉぉ〜……すぽっ。
 ぐぇっほげぇっほっ!!

 吸い込んだ。思いっきり吸い込んで口の中に……入って思いっきり咽せた。
 ぺっと吐き出したソレをつまみ上げて、ねぐらの外に放ろうとした時だった。

 彼の鼻先を、旨そうな鉄塊が掠めたのは。


   ――――『黒ネコ、頑張る』―――
           Stand Up

「んぎ……ふんぎぎぎニャア〜……」
 吹き付ける風。肩と尻尾に掛かる重み。全身の毛がパリパリ言ってる。
 二本のピッケルでしがみつくここは、雪山の断崖絶壁。

 ……レベたんは思う。
 一体全体、どうしてこうなってしまったのかと。
(えーっと、えーっとだニャ……)
 マイラちゃんがこちらに向かって駆け寄ってきたのは覚えている。
 その直後の記憶がない。
 ただ解るのは、崖から落ちそうになった事。マイラが尻尾を掴んだ事。

 そして片手で岩壁を、片手でピッケルを掴んだ事。
(……あれ、確かこの子ハンマー持ってなかったけかニャ?)
 助かったのはきっと、ほどよい傾斜のお陰。
 後ろの体を、くいっと尻尾で持ち上げる事が出来た。
 肩に掛かる重みを余所に、岩壁のちょっと上にピッケルを刺し直せる。

 レベたんは思う。
(ボク……結構スゴイ奴ニャ?)
 調子に乗るのはネコの性か。

 ……両手がフサフサの毛並みをしっかり掴む感覚。
 足下でフサフサの尻尾が頑張ってる感覚。

 ……レベたんの背中にしがみつくマイラは思う。
(ハンマー、落としてしまいました)
 空から……乙女が口にしてはいけないものに似た飛竜のフルフル。
 それが降りてきた時、レベたんが踏みつぶされると思った。
 幸いソレはなかったけど、危険には違いないと、そこから遠ざけようと思った。
 ……その時、全身バリバリ言わせながらのし掛かるソイツを見てしまった。
(そして二人仲良く崖に吹き飛ばされたわけですか……)

 ここでレベたんを気遣えたらいい女だと思った。
 けれども、足元を見て思うのだ。
 ……うっかり声をかけたら、落ちそうだと。
 眼下は粉雪で煙り、谷底までとても見えそうに無い。
 けれども一度目を落としてしまうと反らせないのは、人の性か。

 そんな白く煙る世界に、にょきっと出てきた黒い物。
(……何ですか?)
 バッと飛び出したそれが、黒い翼を羽ばたかせたのを見て……。
「あ、あの……」
 たまらずレベたんに声をかけてしまった。

 人から縞付き、クラウン、スカー……この界隈では山神と呼ばれる彼は思う。
 人の言葉に直すなら、面白い客人が来たものだ、と。
 最初は仕事後のご馳走とばかり、落ちていった鋼を追い掛けるつもりだったけど……。

「龍さんです……」
「御大……」
 ふわりと舞い上がって見てみれば、どちらも知ってる顔だ。
 それがこんな岩壁にへばりついて何をしているのだろう。
 人間にあのねぐらを知っている者は居ない。
 尋ねてくるのはこの黒ネコによく似た……恐らくは親ぐらいの物。
 上に感じる竜の気配。ああ、アイツに突き落とされてきたのか。

 岸壁にしがみつく一人と一匹は必死も必死。
 必死に食い縋る姿に、何か懐かしい物を覚えた彼は……。

 がしっ

 自分も岩壁にしがみついて見た。
 けれども、その姿勢を維持するには、彼の爪は少々鋭すぎて……。

 すぃー……っ。

 バターの上でも滑るように。
 滑って落ちると書いて滑落。
「何しに出て来たニャーッ!!」
 助けてくれるかもなんて、最初から期待していなかったけれど。
 けれどもその無責任ぶりが、小さな二人に火を付けた。

 がっきんごっきんがっきんこっ

「フンニャアアアアアアアッ!!」
「頑張れレベたんっ!!」
 レベたん、岩壁にピッケルを突き刺して登る、登る、登る。
 マイラたん、レベたんの背中にしっかりしがみつく。

 ガッキンゴッキンガッキンコッ!!

 落ちてから登り切るまで、五分と満たぬ出来事であった。
 そう、五分と満たない……。

「フゴフゴ……」
 つまり、まだ先ほどのフルフルがいると言う事である。
 幸い、まだ気付かれては居ない……。
「どうするニャー……」
「どうしましょー……」
 前門のフル、後門のクシャと言う所。
 後者の方は顔見知りなだけまだマシか。

「あの、ハンマーを拾いに……」
「勘弁してニャ」
 この崖を降りてその後また登るなんてとてもとても……。
「強走薬飲めば何とか」
「それなら麓歩いて帰るニャーっ!」
 前門のフル後門のクシャ、ついでに後ろ荷物。

 フゴッ?

 全身を駆け抜けるぞぞっとした悪寒。
 白くてブヨブヨしたのが、一歩一歩こちらに近づいてきて……。

 ごっきんがっきんごっきんこっ

 元来た道を逆戻り。途中途切れていたのは、穴蔵が一つあったから。
 丁度良いニャとばかり、尻尾を使ってマイラをポイ。
 その後自分はゆっくりと……流石に尻尾だけでは重かったニャ。

 暫くここでやり過ごそうと言う事に。
「そう言えば、マイラちゃん大丈夫ニャ?」
「はい。バチッとしたのは一瞬でしたから」
 それもあるが、実は防具の恩恵による所も大きい。
 これからどうしようか。
 丁度その時である。

 バサッ……バサッ……。

 下から、ハンマーをくわえた家主が帰ってきたのは。
「あ……」
「ニャ……」
 もちろん、それは傍目から見れば……。
「ありがとうございますーっ!!」
 わざわざ拾ってくれたようにしか見えないわけで。
 嬉々として駆け寄る娘に呆気に取られて、彼もおやつを手放さざるを得なかった。
 ふんだくられた時にちょっと歯に当たって痛いとか考えてはいるまい。
 黒ネコがペコリと頭を下げる。
 ……彼とて、それでキレるほど意地汚くは無いのだが。

「うふふふ……武器があればこっちのもんです」
 ポーチの中には回復薬、強走薬、ペイントボールにシビレ罠落とし穴。
「万一の準備は万端ですっ!!」
 ポーチに雪山草を入れるスペースしか無かったのは内緒の方向で。
 と言うか……。
「あの肉饅頭、タダで済ませてなるものですか……うふふふふ……」
 ひったくったハンマー抱えて、不穏な笑みを浮かべる一人。
 先ほどの焦りは何処へやら。
 フルフルなら、闘技場のマルとハル相手に何度も練習しているのです。

「あ、あの……ニャア?」
 その様子に思わず後ずさる一匹。
 あれとやり合うつもりかニャ。
 いきなりなんてとっても無理ニャと後退る。

 後退った先には呆れる家主が一頭。
「……グ」
 そっと歩み寄って、一人と一匹を口先で器用に持ち上げ……。
「おお?」
「ニャア?」

 ぽいっ

 そのまま穴の外に放り出した。

 崖にぶつからないよう、なるだけ遠くに。
 寝ぐらの近くで、血の臭いがしたら嫌だから。

 それはつまり、つかまる所も無いわけで。
「ニャアアアアアアアアアアア〜ッ!!」
「どええええええええええええ〜っ!!」

 吹き付ける風。
 内蔵の浮遊感。
 恐怖より先に現実逃避。
 その終着点は……。

 ひゅるるるるる〜………………ぼみゅっ

 うずたかく積もった雪と、うねうねと動く何かの上。

「うわっ! 何ですかコレーっ!?」
 白くて、ウネウネした、口だけはしっかり付いてる奴が四方八方。
 がぶん。にゅるん。うにょん。
「ひ、ひゃうぁっ!?」
 次から次へと柔らかそうな獲物へ殺到。
 レベたんも一緒の筈だけど、運命の分かれ道は毛の有無か。
 噛みついたり服の中に入ったり、うねうね、がじがじ。にゅるりんっ。
「嫌あぁ〜っ!!」
 黒髪黒服に殺到する、白くて、細くて、うねうねした物。
「や、や、やだっ、痛い痛……ひゃっ、いやあぁーっ!!」
 掴んで取るのも一苦労なのに、取っても取っても次から次へ。
 取らなきゃミイラにされちゃうし、取ったらぷちっと肌を切る。

 ……目を回したレベたんが起き上がった頃。
 ヒーラーUはともかくストッキングとかその他が酷い事になっていた。
 うねうねの山から引っ張り出されて二人、一目散に逃げ出した。
「う、うう……もうディ君のお嫁さんになれないです……」
 片手はネコに引かれて、もう片方の手は涙を拭う。
 ……ただのフルフルベビーだと、頭では解っていたけれど。

 落とされたのは川沿いだから、帰り道には困らなかった。
「川に落ちなくて良かったニャ……」
 多分最初からそんな気は無かったのだろうけど。
 マイラの傷はそうでもなかった。
 ヒーラーUもそうだけど、厚手のストッキングが皮膚代わり。
 ……もちろん、色気出して薄手にしてたら、足中真っ赤な花が咲いていた。
「うう……絶対、絶対許さないです〜……」
 愚痴をこぼせるようになったから大丈夫大丈夫。

 川沿いをとぼとぼ帰ろうとする一人と一匹。
 その手前に分かれ道。
 片方村へ、片方山へ続く洞窟へ。
 一人と一匹チラリと目配せ。
 もちろん村へは戻らない。

 蒼い蒼い洞窟の分かれ道、一方は中腹、一方は麓。
 雪山草を摘みながら、二人はちょっと分かれ道。

 ハンマー背負ったマイラの行く先。
 脇道の先に少し開けた広場があって、その隅っこに丸まる肉饅頭。
 気持よーく寝ている鼻先に、ペイントボールをちょこんと乗せて。
 ついでにトウガラシをその上載せて。
「うふふ……その(自主規制)をぺっちゃんこにして上げますです」
 ニヤリと吊り上がる少女の口の端。
 妖しく光る赤紫色の瞳。
 そして鉄塊は振り上げられた。

 その頃レベたんは……。

「六本目、ゲットだニャー」
 脇道の先の広場、雪山草の群生地を見付けてご満悦だった。
 さっきまで集めたのと併せればお釣りが来るのニャ。
 ついでに落葉草とか御主人へのお土産も取ってくニャ。
 と、そこにあった蜂の巣に手を伸ばした時だった。
「……ニャ?」
 ペイントの、あの独特の匂いが鼻を突いく。
 場所は脇道を出てもうちょっと先の方。
 ひょこひょこ歩いて行くと、響いて来るのは鈍い音。
 壁にぽっかり開いた穴の先。崖の出っ張りが細い道。
 反対側の道を塞ぐは大きな氷。
 方や岩壁、方や空間。その下を覗き込んで見てみれば。

「はいっ!!」
 肉饅頭から伸びた首に、果敢にハンマーを振り下ろすマイラの姿。
 大きく振り上げた鉄塊。
 まるで自分から首を差し出すように振り返るフルフル。

 くるりん。どっしん。くるりん。どっしん。
 電撃ビリビリ、一休みと思ったら頭に回り込んでどっしんと。
 それはもう手際よく、最初からお互い打ち合わせたように。
 上から見てると、本当に踊っているようで……。

「……ぃ、おーいっ」
 けれどもレベたんは気がつかない。
 氷の向こうから、御主人が呼びかけている事に……。

 ……その御主人、リィは困っていた。
 もの凄ーく困っていた。

「おーい、レベたんおーい……って、聞こえて無いのかい」
 彼女が村に帰ってきて飛び込んできたのはネコ達。
 マイラがやってきただけでも驚きなのに、レベたんと二人で雪山。
 クック素材で作った弓の試し打ちも兼ねてぐらいに思っていたし。

「それにしても……」
 彼女が覗き込むのは氷の隙間。その先で走り回る小さな影。
 くるりと回ってキツイ一発。手際だけなら自分よりいいかもしれない。
 ……まだ弓の適正距離もろくに解らず、射程と手数に頼っていた頃よりは。
「あの子も、やるようになったねえ」
 自分の知っている姿と言えば、普通の子供。
 アイアンストライクを背負っているのを見た時は正直意外だった。

 とはいえ、早く援護に回らねばなるまい。
 流石に初見で「アレ」を喰らったら命の保証はない。
 立ち回りを見る限り、恐らく警戒してはいないだろうから。

 その不安が来る前に。
 けれどもそれは、まるで彼女が踵を返したのを狙うように訪れた。
 ふっと感じたのは空気の収縮。
 幾度となく覚えがあり、幾度となく窮地を知らせる感覚。
 耳を塞いだのは、半ば癖だった。

 キュオオオオオオオオオオオオオオオォ〜ッ!!

「……ぃ……っ!」
 一瞬後には耳を、鼓膜を、脳を。洞窟中を揺らすソレ。
 三半規管にまで至るそれ。
 頭が痛い。ガンガンする。けれどもその中で考えるのは、下の事。
(コイツは……聞くだけでマイラちゃんがマズ……っ!!)

 この時、彼女が下へ続く道を探していたなら、もっと違う結末が待っていたかもしれない。

 ポーチから引き出したのは生命の粉塵。
 振りまけば、直後の一撃にも耐えられるかもしれないと思ったから。

 ……揺れる、揺れる。
 広場全体が大きく揺れる。

 レベたんには説明すら難しいが、この広場は、音がよく響いた。
 けれども、その子は耳を塞ぐ事も無く眼下を見ていた。
 全身ビリビリするけれど、それだけ。
 でも眼下のあの子は両耳塞いで蹲る。
 ソイツが吼え終わった後も動かない。
「ニャ……」
 ソイツの体から電気が光る。ソイツが体を持ち上げる。

 ドスンッ

「ニャッ!!」
 飛びかかったソイツ、のし掛かったソイツ。
 潰される前に弾かれた小さな体、壁に打ち付けられて動かない。
 その後の事は見てない。その後の事は解らない。
 ただポーチに手を突っ込んで、ただ周囲をキョロキョロ見回す。

 ……だって、自分が頑張らないとって思ったから。

 だから何にも見ていない。
 下でその子が、渾身の力でフルフルの口に投げた肥やし玉も。
 氷の隙間から振りまかれた緑色の光も。
「フンギニャアアアアアアアア〜ッ!!」
 持ち上げた氷の向こうで、唖然とする御主人の顔も。

 ゴキャッ

 くるりと振り向いた時、ちょうど浮かび上がろうとしていたソイツ。
 レベたんの投げた氷塊がその首根っこを見事に捕らえて落下して……。

 ぶちっ

 そのまま氷塊に首根っこを潰された。
 呆然とするレベたん。呆然とするマイラ。呆然とするリィ。
 呆然としているのか、首から下への神経が切れたのか解らないフルフル。

 レベたんが現実を受け入れるのに、たっぷり五分はかかったろうか。

 獲物回収用のネコ車が呼ばれる。辛うじて生きていたソイツは捕獲扱い。
 洞窟の広場に集まる二人と一匹。
 そこに座り込むマイラの怪我は、大したことが無かったけれど……。
「リ、リィさぁ〜んっ!!」
 やっぱりちょっと恐かった。傍目で見てたレベたんだって恐かったから。
 レベたんちょっぴり心配だった。
 自分みたいに、恐がりになってしまわないか心配だった。

 小さな体を抱き寄せるリィ手は、暖かそうだった。
「にしても、連絡の一つもくれりゃよかったのにのぅ」
 窘めるリィの声は、少し低かった。
「えーっと、その……」
「ま、その件に関してはいいけどの」
 ……むしろ、ちょっと冷たかった。
「今回、何のお仕事だったのかの?」
「雪山草の採集ですけど……」
「それが、なぁーんでフルフルとガチ合っているのかね?」
 見下ろすリィの目は、冷たかった。

「確かに今回ジミーさんの、自業自得の、ただの風邪だったから良かったようなものの」
「う……」
 抱き寄せる手から解放されたマイラは……いつの間にか正座してた。
「依頼主が、急病の子を抱えてたらどうするつもりだったんだい?」
「はい……」
 気がついたらレベたんも正座してたけど……直ぐに立った。
 ひょこひょこ歩いた先は、リィのマイラの間。

 リィの前に立って、首をふるふると横に振る。
 今の御主人の目は、ちょっぴり恐かったけれども。
 きっとマイラちゃんも、恐い目は十分解っていたから。
 暫く見つめていたら……冷たい目がちょっぴり温くなった。

 そしたら、大きな溜息一つ。
 正座したままで足のしびれたマイラちゃん背負って、お家に帰ろう。
「あ、あ、あの〜……」
「のほほほほほ。レベたんに免じてサービスサービ……ちと背ぇ伸びたかい?」
 それとも、弟の方が良かったかねとか言いながら。

「にしても、レベたん凄かったです」
「あー……力持ちさんとは思ってたけど、あの馬鹿力には驚いた」
「ニャア?」
「いえ、そうでなくて、あの声に対して全然平気だったのが」
「あー……そういやそうだの。距離置いてもアレだったのに」
「ニャア?」

 レベたんに向けられる二つの視線。
 耳に手を添えて二人の声を聞こうとするレベたん。
 はてなと思い、二人がレベたんの耳元を覗き込んでみると……。

 びっちり雪が詰まっていたんだそうな。

 レーヴェンゼーレ、十二歳。
 所有スキル、防音の術(?)

 ……黒ネコ、ちょっぴり自信が付いたらしい。

 ……オトモ枠、マイラちゃんの分が空いたしニャ。

 その日の晩、月明かりの照らす断崖絶壁。

 ……がりっ、ざりざりざりっ
 ……がしっ、ざりざりざー……。

 鋭い爪が壁面を抉る。重力に任せて岩を裂く。
 重力に任せて、切れ味に任せて、岩を裂く鋭い爪。

 ざー……がきっ

 それが岩肌を掴んで、鋼の体重を抑えて止まる。
「ンガッ」
 ソレが上手く言って、ちょっと得意げな鋼龍は……。

 ズッ……ずさー。

 再び壁面を滑り落ち、再び壁に力を込めて踏み止まる。
 登って、登って、また落ちて……。
 実を言えば、鋼の体を崖の上まで運ぶのは相当な重労働。
 けれども、登るためのコツが解れば、今はソレも少し楽しい。

 登って、滑って、登って、滑って……でも、登り付いたら終わってしまう。
 山神と呼ばれた彼の奇妙な遊びは数日ほど続いたと言う。