今朝も今朝とて、ディフィーグ=エインは騎士装束を纏って街を行く。
いつも通りの朝だった。
殺めては居ないけれど、人を「狩った」後という事実が背中にへばりつく。
何事も無い朝だからこそ、その違和感は纏わり付く。
――意外と、動揺しないもんだな。
その言葉に嘘はなかった。
仕事になってしまった途端、無機質な物になってしまった。
けれども、無惨な亡骸を見た時の怒りとも悲しさとも取れぬ思いにも嘘はない。
その行いを許せないと思ったし、可哀想と思った事も……。
「……可哀想、か」
彼は嗤う。微かに嗤う。コレではまるで、他人事のようだと。
暴行を暗示するような言葉を吐かれた時、最初にどうしてやろうと思っただろう。
可能だった。肩の筋を切り、腕を皮の繋がった飾りにしてしまうことも。
いや、腕と言わず、それこそ全身不随と似たり寄ったりの状態にすることも。
彼は嗤う。静かに嗤う。冷静と冷酷、あるいは冷徹とはまた別な物だと。
いかなる報いも一瞬で与えられる。その程度の相手だった。
けれどもしなかった。その理由が解らない。
あの頃も、やり返そうと思えば大怪我をさせるなど造作も無い事だった。
生涯後悔させるような傷を負わせることなど、造作もなかった。
それをしなかったのは家族に怒られて……悲しまれるのが一番恐かったから。
彼は嗤う。哀しく嗤う。
コレでは、歯を食いしばっていただけの、惨めなあの頃が一番正しかったではないかと。
――――『誤:親と言う物』―――
……確かに、即日捕縛は快挙だろう。
誰もが思いもしなかった程の。
それ故に、色んな意味で予定を狂わされた者もいる。
大抵の者にとっては嬉しい誤算。
けれども、例外のないルールは無いとは良く言った物。
それは例えば、控室の角で脱け殻になっているジャッシュ=グローリーのような。
数日は凄惨な事件が続くと踏んだ者は多かった。
そんな場所から、娘を遠ざけたいと思うのは極自然な事だろう。
ディ自身そう思ったからこそ、姉の様子と言う口実を付けて行かせたのだ。
もっとも、筆無精なのはお互い様だが。
「まだ丸一日も経ってねぇのに……」
口から魂が出ているように見えるのは、多分気のせい。
きっとマイラはまだ目的地に着いてもいない。
固まるディの横立った青装束はアルト。
反対側には当たり前のようにバリーがいる。
「……悪ぃ。俺が杞憂に終わったなって言ってからずっとああ」
「しかも、こんな書き置きが残っていたら、ねぇ」
――暫くリィさんの所で御世話になります。
移動時間を考えると、恐らく二ヶ月は帰ってくるまい。
そんな会話を察してか脱け殻が、蚊の鳴くような声で呟いた。
「歯ブラシと、枕と……着替え数日分が消えていた……」
「アホーッ!!」
次の瞬間、後輩の飛蹴りで向こうの壁まで吹っ飛ぶ脱け殻。
部屋の壁に少々の穴。向こうの酒場は通常運営。
突然壁を突き破った抜け殻に固まるハンター達、呑気に眺める二人組。
勤続十四年のハッカネコ、ホリーさんの手で即席カーテンがさっと引かれてはいおしまい。
けれど、怒号までは隠し通せるわけもなく……。
「姉貴だって怒るぞそれはっ!!」
体のサイズがバレるから、と言うのはまた別な話。
とにもかくにも、まず考えるべきはこの脱け殻の処遇である。
まともに仕事が出来る状態で無い事だけは断言出来る。
「んで……仕事って……」
「そこはホレ、昨日のアイツん家の家宅捜査立ち会い」
「最後まで仕事は責任持って」
「へ、へーい……」
所変わって件の家の前。
食人鬼の家、台所だけは勘弁願いたい所。
やはりマイラを行かせたのは正解だったかと思う。
事が終わって側溝に吐きそうになっている赤い帷子鎧……。
「あの……大丈夫ですか?」
アスタルテの背中を擦ってる時とか。
鎧越しに効果があるのかと言われると自信はない。
どんな無骨な鎧を着込んでいても、中身は二十七歳の女の子である。
「い……色々、受け、付けん……」
「あ、あんまり無理なさらず……」
そして思ったのは死体隠せとか、ハンターと言うのも閉じた世界だなとか。
いや、閉じているのは人の世界の方かもしれない、とか。
それ以上考えようとすると、自分が背中を擦られる側になりそうだったから。
一通り終わった後、逃げるようにその場を去ったのは言うまでも無く……。
そこで、レストラン街へ逃げ込んだのは過ちだったと思う。
「……なあ、今、空腹か?」
「ごめんなさい……」
そこかしこから漂う良い匂い。しかし思い出すのは地獄の厨房。
当分の間ベジタリアンになれそうな勢いで駆け抜ける、騎士装束の少年と鎧の女。
肉類の匂いが駄目ならばと駆け込んだのは……。
「あら、ディ君にアスちゃんいらっしゃい」
喫茶コケットリーの裏口に近い通りだった。
漂う甘い匂いが、今はどれだけの救いか。
赤子を抱え都合良く出てきた店長に、危機迫る表情のアスタルテが口を開く。
「て、店長……ハニーアイスの上蜜頼むっ!」
「はい。じゃあディ君はコンをよろしく」
そう言うと店長、赤ん坊のコンラッドを押しつけてさっさと店の中へ。
それを呆然と見送る少年ナイト。腕の中ではだぁだぁ赤子。
アスタルテの表情を、下からとはいえ間近に見て動じないこの胆力。
将来楽しみだ。
「あの……」
「嫌な仕事の後は甘い物に限る」
それもヤケ食いの方を。
けれど、ディが聞きたいのはまた別の事。
「いや、そうじゃなくて……」
彼女にとって『この店に居た彼女』は、仇にも等しかったから。
何と言えば良いのか解らないうち、アスタルテに見下ろされている事に気付く。
「私は、彼女の容姿を知らなかった。アレの最期の願いを邪魔するつもりも無かったがな」
最期の願い……ソレを叶えるのに、彼女の罪は重過ぎた。
「自分の価値を読み違えおって……バカモノが……」
そうなった原因を、アスタルテがどう考えて居るのかは何となく解った。
けれど、腕の中で笑っているこの子もきっと自分の価値なんて知らない。
どれほどの善意に祝福されて生まれたか、知る事はあっても実感となるとどうだろう。
願わくば健やかに、平穏に、穏やかに。
けれどそれは、思う道を迷わず進めと言う願いとはきっと相容れない。
そして、ギルドに戻ってから思うのだ。
マイラ=グローリーは、自身の価値を正確に把握した上で行動していると。
「先輩……ずっとあの調子……?」
部屋の隅に移動した椅子で、すっかり白くなっている抜け殻を見て。
その毒気に当てられてグロッキーになっているアルトとバリーを見て。
「……おい……何があった?」
アイスが箱入りだったために、付き合わざるを得なかったアスタルテの反応も尤もである。
そして事情を話してみれば、その場でうつむいて、肩を振るわせて……。
「……どいつも、コイツも……血の繋がらぬ親のと言う奴は……」
「あ。アスタルテさんも何か?」
うつ向いたままのアスタルテ、ギロリとディを睨むと……。
「原因はお前だ……」
そんな事を言われて、思い付く人間は一人しかいない。
ナイツ筆頭。
両親の旧友であり、自分の名付け親である事までは知った。
そして憶測だが、自分の誕生と同時期に初陣を経験して、それ故逃げた男。
……喪った物の埋め方を、根本から誤っている気がするのは気のせいか。
「な、なぁ。コケットリーでアイス貰ったけど、食う?」
と、無理矢理「脱け殻に向かって」話を振っては見るも……。
「……いらん……」
相変わらずコレである。
そしてアスタルテがぼやく。
「奴もあそこまで酷くは無いな……」
それはその対象がここに居るから。
解っているから逐一こっち見るなと言いたい。
「とりあえず、アイスそのままだと溶けるぞ」
「あ、はい」
何だか逃げられた用で釈然としないまま、冷蔵庫に入れようと箱を開けると……。
「おお?」
「ほぉ……」
「ん。どうしました?」
二人は感嘆の声を漏らし、吊られて覗き込んだ二人組が言葉を失う。
アイスカップの間を埋めるように、見事なマジパン細工が並んでいたから。
その全てが、見事なまでに愛らしいデフォルメであった。
イャンクックに始まりディアブロス、リオレウス、白モノブロス、レウス装備、騎士装束。
……レウスSが青色なのは、流石に迷ったからか。
そして……。
「あ、ヒーラーU」
「おやすみベア装備とは解ってらっしゃる」
言葉がわざとらしいのは、もちろん抜け殻の反応を見るため。
一同、それがぴくりと動いたのを見逃さない。
「これだけ食べるか?」
「ちょうど一口サイズだしな」
「では、私はディアブロスを頂こう」
「んじゃ俺レウス」
「で、ヒーラーUは……」
彼等は、この時気付いていなかった。
抜け殻の目に、生気とはまた別な光が宿って……。
「さぁーせぇーるぅーくゎーっ!!」
半ばあきれ顔だった少年に飛びかかって来た事になど。
その形相、まさに獣。幼子を喰らおうとする野獣その物。
ちなみにディが手にしていたのはリオレウス。とばっちりも甚だしい。
けれど、その側面目がけ飛び込む黒い影を誰もが一瞬認め……。
「このっ、アホンダラがぁーっ!!」
次の瞬間ジャッシュが蹴り飛ばされ、補修されて間もない壁に大穴を空けた。
さらに向こう側にまで吹っ飛んで外の風が入り込んでくる始末。
何人かハンターが巻き添え喰らったような気がする。
影の正体はもちろんナイツ筆頭。
部屋の入り口は一つしか無いはずだが、何処から入って来たのか誰も突っ込めない。
「まったく、どいつもコイツも……」
そんなことを言いつつディの肩に手を掛け……。
ぷすっ。
気の抜けた音と共に、そのまま前のめりにぶっ倒れた。
腰の辺りをよくよく見れば、存在を主張する細い針一本。
痙攣具合から見て麻痺のそれだろうか。
「さーて、さっきの蹴りの時ヤバイ音がしたぞぉーっと」
ナイツ筆頭を踏みつけて、哀れな先輩の様子を見に行く少年ナイト。
……ちなみにジャッシュ、そのままネコタクで家まで送られたそうな。
そんな日の晩に限って、今日は一日集会所で待機当番がディだった。
相方、抜け殻に代わってラウル。
日も暮れ、光源と言えばテーブルの上のランタン一つ。
「何とかなんねーのかあのおっさん共……」
テーブルに突っ伏し愚痴るディだが、ラウルはラウルで突っ伏している。
それもそのはずで……。
「大丈夫……戦力外はジャッシュ先輩だけじゃなかったから」
「ナイツ筆頭はヤバイだろ筆頭は……」
部屋で一日中のたうち回っていたらしい。
時折仕事に戻るものの溜息を吐くばかり。
結局今日は可能な仕事の代行と、代行出来そうな連中引っ張り込むのに費やしたとか。
そういや昼間に踏みつけたのは不味かったか。
「つか、マイラは解る。俺が一体何をした……」
ごく普通に任務を受け、何事もなく遂行したまでである。
人狩り、それを全肯定してはならない事ぐらい自分でも解っている。
けれども、それを乗り越えられずして何が騎士か。
「んー。大人になっちゃった事じゃない?」
「そりゃ、ねーよ……」
ディフィーグ=エイン十八歳、思う。子供はこうしてグレて行くのかと。
褒められたくて頑張るような年ではない。
だからと言って、凹まれていい気がするはずもないが。
「大体さー、誤算って言うならマイラちゃんも相当だと思うんだよねー」
「……はい?」
「だってさ、『愛しのディ君に会えないなんて嫌です〜』とかなりそうじゃない?」
両手を合わせてうねうねとモノマネをするのは正直止めてあげて欲しい。
けれどそれを突っ込む気力もないし……。
「本気で姉貴の世話になるつもりか……?」
「違うんじゃない?」
「……は?」
「ディは上位入り立ての頃どうしてた?」
うっかり思い出すのは、昨日の被害者。
この手の無神経も、装っているのか素なのか最近解らなくなってきた。
自分が考え過ぎと言われてしまえばそれまでだが。
一応、上位装備目当てに採取と狩猟に明け暮れていた事を伝える。
「リィちゃんも近々そうなるよ。だから世話になる事は本来の目的じゃないだろうね」
つまりは、自らの力で立つ事を選んだと言う事。
誰かに頼るのではなく、自分の力で戦えるように。
「その結果、先輩がアレか」
「そりゃー大人のエゴって奴だね」
まあ確かに、マイラの外見年齢は幼い。
ハンマーを振るうようになって筋肉は付いてきたはずだが、今九歳と言っても全く違和感がない。
嘆願書を出したついででニクロスと面会して、発育不良を本気で心配された。
けれども……。
「ったく……マイラはてめぇの人形じゃねえっての」
「……結構ハマリがちな罠だよねぇ」
そう、お人形さんなのは見た目だけ。
中身は年齢以上にマセてて自立心も旺盛。
時折見せる冷めた目は、決してポーズなどではない。
「……手紙ぐらい出させてみようか」
「まだ着いてもいないのに?」
「その方が、先輩らしいだろ」
「確かに」
明日も抜け殻が転がっているのは御免被る。
翌朝、憎らしいほどの晴天の下、ディはジャッシュの家の前に立っていた。
手には便箋、のろけても構わないからと言う一縷の望みを込めてドアを叩く。
コンコン。
返事がない。
叩く。叩く。叩く……やはり返事はない。
状態が状態、気晴らしにでも出かけたかと思ったが……。
「……あれ?」
玄関のドアが、ほんの少しだけずれている。
少し年期のある家だと、施錠して居ない時良くある事なのだが……。
悪い予感がする。嫌な予感がする。
あの生真面目が服を着て歩いているような男が鍵を掛け忘れるだろうか。
チェーンが掛かっているわけでもない。
恐る恐る扉を開けると……。
部屋の中央にデカデカと鎮座する青い箱。
大柄な成人男性一人が楽々入れるようなサイズ。
そして、その上にぺたりと貼られた手紙と伝票。
やって来るだろうディへ、この箱をポッケ村まで送って欲しいとの事。
……ぷつっ★
切れた。ディの中で何かがキレた。
こう言う時、人は笑顔になれる物らしい。
「ったくしょーがねぇーなぁー先輩もー」
半径数メートルの微生物が死滅しかねないような棒読み。
箱の中が一瞬ビクッと震えたが、手早く鍵を掛けられ開かない。
元より中から空ける事など、全く想定していない作りなのだ。
ちなみに、新しい物だと子供が入り込んでも良いよう空けられるようしてある。
が、ジャッシュの使い古しともなればその可能性は万に一つも無い。
脅えるようにガタガタと震える箱を梱包し、L字型の荷台に乗せる。
いよいよ身の危険を感じた中身、いっそ実力行使を考えた頃合いに。
「これ壊したら、代わりあるのぉー?」
……いい加減ブチキレた後輩の声にそれもかなわず。
ガタガタガッコンガタガタと、乱雑に引かれる荷台に震える箱。
素人さえ解る程に禍々しいオーラを纏ったナイトが、巨大な荷物をキャリーで運ぶ。
その奇妙な光景に誰もが道を空けていく。
暢気に手を振っているのは、コケットリーの前を通った時擦れ違った店長とコンラッドぐらいだった。
そうして「とある人物」に箱を預けた後、ナイツ筆頭と鉢合わせる。
その「人物」がいる以上、近くにいるとは思ってたが。
昨日と打って変わって神妙な、むしろ、どう声を掛けるか戸惑った顔をしている。
文字通り荷を下ろした後になって、思う。
(……結局普通の人、なんだよなあ)
人狩りと揶揄される組織の長が、人並みに殺傷を忌避している。
けれども、自分はこの道を進むと当の昔に決めている。
「筆頭」
「な、何だ?」
そんなビクりとならなくてもいいのに。
「俺、強くなるよ」
こう宣言したのは、何度目だろう。
子供が頑張るのは大切な人に褒めて欲しいから、誇って欲しいから。
あるいは、叱られたくないから、悲しませたくないから。
無理に素直を続ける事は、打算であっても決して孝行などではないから。
「名前だけで世の悪人が震え上がるようなナイトになってやりますから」
ニヤリと笑って見せたら、もの凄く引きつった顔をした。
一礼して、だめ押しに敬礼してその場を後にする。
もしコンラッドがナイトになりたいと言ったら……自分もあんな顔をするのだろうか?
即日捕縛。周囲からあり得ないだろうとからかわれるほどの快挙。
そう言われて一緒に笑える方が、報いを与えるよりずっと満たされる。
関わった誰かが、それを誇れるように。
自分を誇ってくれた誰かを、裏切らぬように。
……持ち場へ向かう少年の背中。
それを眺めながら、ギルドナイツ筆頭、ルシフェン=フォン=ファザードは暫く呆けていた。
子供が大人になっていく、何とも、間の悪い時期に立ち会った物だと。
今更になって、空白の十七年と十ヶ月が惜しくなる。
「……私は、そろそろ大人から中年にでもなるべきか?」
そんな言葉を零して、彼もまた今日すべきことしに行く。
と言っても、いつものあの狭い執務室。
今日ぐらい副官の手を煩わせる事も無いだろうと。
そんな彼を待っていたのは、部屋の中央にデカデカと鎮座する青い箱だった。
「……」
カタカタカタ……。
「……」
カタカタカタ……。
啜り泣くような声も混ざっていたが聞かなかった事にした。
こんな真似をするとしたらディか。協力するとしたら副官か。
いやしかし、今はそんな事どうでも良かった。
「……時にサー・ジャッシュ。空気穴が欲しくは無いかね?」
ナイツ最強の男が発する殺気に、中身は死を覚悟したとかしなかったとか。
だがしかし、それで終わるほどこのナイツ筆頭は甘い男ではない。
「あ、お前当分の間謹慎な」
ガタッ。
「仕事ならマイラが帰った後みっちり用意してやるから」
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタッ!!
その後数日、別の意味で使い物にならなくなったのはまた別な話。