それは、彼が断り無く数日を開け、血の匂いを纏って来た時の事。
 傷は見えなかったけれども、一目見て衰弱していると解った。
 私にもたれ掛かる彼を受け止め、子供達にも少し離れるよう告げた。
 ……と言っても、まだ聞き分けの無い年頃なので主任に一任したけど。

 元々私達に比べれば矮小だった体は、砂粒のように軽く、触れる手も力無い。

 その纏っていた血の匂いは、今までのどんな匂いよりも強かった。
 ……彼自身の血だったからなのだろうか。
 それは彼の横に座り込む赤服、ラウルの手からも、強く。
「君に応急措置を教えた、小さなお友達に感謝ですね……」
「正直、ディが狩り出ている時で良かった」

 黒髪と鈍色が時間をずらして入れ替わりやって来た。
 黒髪は、最初から近寄らせなかった。
 鈍色は……入り口から見てるだけ。
 貴方には噛みついたりしないから、もうちょっとこっち来なさいよ。
 まったく、失礼しちゃうわ。

 そして、あの鎧の娘も来た。


   ――――『砂漠の花』―――
       とある騎士の恋

 人の間で取り交わされる言葉は、争いとはまた別の意味合いがあるのではと思う事がある。

「……あのー……こんな時にまで何ですかぁー?」
「被害者に事情聴取してはいかんか?」
 兜は最初から無い。兜どころか鎧も無い。
 鎧を脱いでみればその体躯は彼より細く……サボテンより容易くへし折れそうだった。

「ナイツ一人が足の動脈かっ捌かれて、二人が犯人の姿を見失ったとはな」
 見下したような声を、不快には思わなかった。
 だって、見てしまったんだもの。
 彼と目が合った時の安堵を。
 延びた髪が頬に張り付く程の汗を。
 ついでに、彼の不覚を聞いた時の冷や汗も。

 敵と言うより、仲の悪いお仲間だったのかしら?
「暫く警戒強化だ……貸しだからな」
「そう言えば、髪伸ばすんですか?」
「……切る暇が、無い、だけだっ!!」
 ズカズカと去っていく直前、私は見た。
 耳まで真っ赤になった彼女の顔を。

 彼女が去った後、彼の傷を見せて貰った。
 足に出来た小さな傷。
 以前私が散々切りつけられていた場所。
 こんな小さな傷で、こんなにも弱ってしまう生き物だったのね……。

 それから暫くして、回復した彼はまたいつもと同じペースで間を開ける。
 けれども、そこから血や火薬の匂いは消えていた。
 何処へ行っているのか、私には見当が付かない。

 さらに暫くして、あの黒服の男がやってきた。
「……アガレス。アレが見つかった」
 最初に私が感じた、あの威圧を背負って。
 左手に、黒々と輝く爪を取り付けて。
 交わされたやりとりは解らない。
 ただ、彼の纏う空気が少々鋭くなった事だけは確か。

「何処で、ですか?」
「父上が潰しに行った密猟団から」
「なら、魔王を気取ってる場合じゃないでしょう」
「……気取らねばやってられんよ」
 その後は……認める。怖くて動けなかったわ。

 それから少しして、大きな生き物の襲撃があったらしい。
 外に繋がる場所まで連れてこられたのだけど……出番は無かったようだ。
 少し期待していただけに、ちょっと残念に思った。

 動きはその日の晩、皆が寝静まった頃にあった。

 眠りに微睡む私の所へ、彼が来たの。
 ラウルと、あの娘を連れて。
 深くて静かな、そんな空気を纏って。

「ホントに大丈夫かな?」
「他に解決策があるとは思えませんけど……アスタんはいーのかなぁ?」
「たん言うな。第一あんな物、野放しに出来るか」
「フフ、感謝しますよ」

 ……もしかして、三人とも乗せろって言うの?
「お願いだマギ、力を貸してくれ」
 結論から言うと、人間って思うより小さかった。
 緩やかにかけられた紐にしがみつく三人。
 詰めれば、もう一人ぐらい大丈夫そう。

 三人を乗せて向かった先は鋼の扉。
 ちらりと見た事があったけど、直ぐに見付かると思って諦めた場所。
 その前に立っているのは主任……乗せる?
「アガレス、本当に良いんだな?」
 違うみたい。
「何かあったら僕が全責を負う。開けて!」
 鋼の扉が軋む……湿った外気に、懐かしさは感じなかった。
 長い長い暗闇を抜けた先、蒼い月が照らしていた。

 見渡す限り生い茂る木々、その向こうから、嫌な感じがした。
 それは、あの黒服の男のそれにも似た……いいえ、もっと別の何か。
 例えばそう、最初に閉じ込められていたあの場所のような。
 彼の刃が、その方向を指し示す。
 アレを……獲りに行くのね。

 茂る木々は邪魔だったけど、動きを妨げるほどではない。
 彼が意図して少ない方へ寄せようとしているのは解ったけれど。
 走り走って森を抜けた先、広がる岩場。湿った空気が鼻を突く。
 砂漠にも似たような景色があったから、その異変に気が付いた。
 見上げる程の岩場を照らす、いくつかの小さな光。人がいる。
 嫌な予感がして……。

 バスンッ!!

 やっぱり撃って来た!!
 小さいけど、積み重なると洒落にならないのよコレ。
 背中の方は彼が払い落としてくれたけど……。
 て、三人が一番危ないんじゃ……!?

「やっぱりー。どうするの、コレー?」
「何なら僕に責任押し付けて逃げますか、言いだしっぺのラウル君」
「アガさんが勝手に背負ったんじゃないか……」
「ぼ、ぼやいてる場合かっ!! 次、次来るぞっ!!」
 あら、アスちゃん以外みんな余裕。
 私は何も考えず走ってろって事かしら?
 真正面の人達、蹴散らしていいの?

「マギ、行って良し」
 彼の低い声で、一つ理解する。
 これは人の、群と群との戦いなのだと。
 私が人を蹴散らすのを、誰も咎めない。
 彼方の明かりに、誰かの頭が吹き飛んだ瞬間を見る。
 私の背へ飛び掛った者が両断され、あるいは体に穴を空けて落ちて来る。
 懐かしい、戦場の空気。
 ……流石に、彼と同じ青い色が落ちてきた時はちょっとぞっとしたけど。

「所でラウル君、狙撃はお得意ですか?」
「うん。九つの時からやってるー」
「お前ら……どういう幼少期を……」
「ヘッドショット三昧」
「記憶にございません」
 何故だろう、アスちゃんが可哀想になってきたわ。

 でも、次に可哀想になるのは私の方だった。
 だって、彼が指した方走って言ったら……崖だったんだもの。
 だからって、止まれそうにもないし……えーっと……。

「ね、ねえ、アガさん……?」
「いやー、羽ばたきで結構飛べますし大丈夫でしょー」
 ね、ねえ、ちょっと、私に何させようって?
「飛んで!!」
 足場が消えた。風を切る羽、顔に打ち付ける空気……。
 でもこれ……飛んでるって言うより、落ち……っ!!

 ふわっ……ずしん。

 羽ばたく事を思い出したのは、着地の直前。
 あー……死ぬかと思った。
 可哀想に、アスちゃんも震えて……。
「あ、吐くなら下でお願いします」
 吐いた。盛大に吐いた。
 もちろん降ろした後よ?

「なっさけ無いなぁーどうって事無いじゃん」
「ラウル君、違いますよ。初めてだったんでしょう、対人」
「う、うる……うるさ……」

 幸い、目的地は歩いて直ぐの所。
 この後三人を乗せる事無く辿り着いたのは崖の淵。
 遠く離れた向こう側に、あの嫌な感じはあった。
 そこにあったのは、夜の闇よりなお深い黒。
 黒くて黒くて……ここからではソレしか解らなかった。
 ただ、彼の刃よりは小さかったのでは無かろうか?

「間に合いましたね……」
 そこから少し離れた所に、あの黒服がいた
 その姿を見つける事が出来たのは、彼の手に光があったから。
 黒服の振るう、紅い角のような物が夕日のようにそこを照らしていたから。
 煌々と、けれども、禍々しい紅だった。
 その振るう先、長い黒髪の……長い刃を振るう、多分女。
 その遥か向こう、翻る白い光が群を単身で押し止めている。

「……あれ、イリスさんだよねぇ?」
「他に誰がいますか……」
 そこから先の言葉の意味は、私にはよく解らない。
「それでラウル君、ルシさんが抜かれた場合、アレに触れるより早く当てられますか?」
「たぶん。かなーりギリギリだけどね」
 けれど、私達の後ろにも敵はいた。

 私に人の言葉は解らない。
 けれど、彼らが使う道具は知っている。
「良いんですか。さっきあんなにげーげーしてたのに」
「ど……毒喰らわば、皿まで……っ!!」
 彼とアスが武器を構える。
 ラウルだけが銃を構え、崖の下を見据えたまま動かない。
 その意味を私は察した。

 そっと、微動だにしないその子を翼で覆ってやる。
 後ろで何かを弾く音が何度か聞こえた。
 尻尾に何発か当たっても、大した事無かったのは幸いね。

 私の視界は、きっと翼の中のこの子と殆ど同じか、少し広いぐらいだろう。
 この子の空気が、凍り付くのが解る。
 何度か光が翻る。何度かの音。何度かの痛み。
 なのに、私の翼の中だけ時間が止まってしまったよう。

 どれだけ経っただろう。
 私の頭の時間も一緒に止まってしまっただろうか。
 視野が段々と狭くなる。私の視界に映るのは、踊る夕日のみ。

 時間を動かしたのは、吹き出した赤。
 黒服の腕が赤く染まる。赤黒い血が光を照り返す。
 女が、あの黒に向かって走るのを見た。
 翼の中で、空気が爆ぜた。

 礫が女を射貫き、黒を弾いて谷底に落とすのを見た。
 黒服が叫ぶのを見て、少し遅れて「ハハウエ」と、悲痛な声が微かに聞こえた。

 この日のやりとりの意味を、私を知る事は無かった。

「ラウル君、よく、やりましたね」
「おじさん……怒るかな……」
「大丈夫、大丈夫ですよ」
 帰ってから、ラウルが震えていた理由も。

「……ゴメンね。こんな事に巻き込んじゃって」
 彼が、私に縋って泣いていた理由も。

「守衛隊、めでたくクビになって来たぞ」
「本当に髪アップで纏めて来ましたね……」
「……その脳天ぶち抜いてやろうか?」
 アスが頻繁に訪ねて来るようになった理由も。

 そして……。

「また、逃げられたのか」
 彼が、血の匂いをさせてこなくなった理由も。
「気配を消すのが巧いですからねぇ……」
 黒服の方は相変わらず。
 あの日からさしたる変化は見えない。

「いっそ大々的に追ってみたらどうだ。捕えてしまえば、後はお前の独壇場だろう?」
 そんな黒服の言葉に、彼は弱々しく首を振る。
「それでは駄目なんです。それじゃあ……」
 最近、彼は私を見てくれない。
 来てくれる事は増えたけど、いる時間そのものは減ったように思える。
「そんな意図が、彼女には視えてしまう……だから、毎回逃げられる」
「お得意の弁論術は意味が無い、か」
「意味がないどころか……」

 悩んでるのは解るのに、何も出来ないのがもどかしい。
「フフ……皮肉ですねえ。意図を伝えるはずの業(わざ)が、心を伝える事を阻害するなんて」
 私に体を預ける一方であなたは、何を思っているの……?

 彼は私の傍らで、私には解らない何事かを取り交わす。
 時には、尋ねてきたアスの方が私を気遣うぐらいだ。
「すいませんね。お手数かけてしまって」
「別に構わん。しかし、本当に来た事の無い村だったのか?」
「……忌み子の事まで知っていたから、ですか?」

 交わされるのは人の言葉。私にはその意味すら解らない。
 特に、黒服の男が来た時はソレが顕著だ。
「リリスさんの、管轄……」
「すまない。手を入れようと思うともう少しかかる」
「あんな事があったんです。強く出るわけにもいかないでしょう」
「車椅子で轢かれたがな」

 だと言うのに……。

「マギ、お願いできるかい?」
「いいのか、そのまま逃げちまうかもしれないぜ」
 頼る時は頼るのよねえ。調子が良いって言うか。
「もしそうなったら……ソレまでの事です」
 負けた身だと言う事を、つい忘れてしまう。

 この背に乗せるのは鈍色の鎧では無く黒い服を着た黒髪。
 その後ろに見慣れぬ蒼服二人。
 あの時のように手綱を付けられ、荷物を引かされた先は砂漠。
「まだ、覚えているかい?」
 覚えている。忘れるはずもない。
 広がる金色も、吹き抜ける風も、照りつける太陽も。
 夜の冷たさも、降り注ぐ蒼い月の光も。

 けれども……ここはこんなに寂しい所だったかしら……。

 砂漠を横切った先は人の領域。私は初めて、人の住処を外から見た。
 砂漠の辺の森。私が好き好んで立ち入ろうと思わない場所。
 脆く、小さな住処が並ぶ。一歩間違えれば中ごと踏みつぶしてしまいそう。
 中から出てきた人々は、誰も彼もが吹けば飛びそうだった。
 それこそ、私の羽ばたき一つで折れてしまいそうな。

 何人か、頬を黒く変色させている者達が目についた。
 それは決して、私の甲殻の変化のような物では無い事は解った。
 荷物の中身は、主に彼らに手渡されていった。

 外で待たされるのは良かったの。
 彼が寝る時は私の懐にいてくれたから。ただね……。
「すっげー、でっけー」
「こ、こらっ。危ないから離れなさいっ!!」
 纏わり付く子供達、何とかならない?
 うっかり振るい落としても壊れそうなんだもの、どうしようも無いわ。
 と言うか、何で人間の子供ってこんなに無防備なのよ。
 親より大きな生き物は危ない事ぐらい、卵の殻乗っけた子供でも解りそうなのに。

 そうして何度か街に戻りつつ、彼らと幾つかの住処を廻った。
 この積み荷を色々なところに運べって事らしい。
 ……外で彼を待っている時に何度か、血の匂いがする娘と擦れ違った。
 砂竜の匂いの上から纏う血の匂い、血の色ような髪をした娘。
 人の血の匂い……彼の、同業者か何かと思っていた。

 それにしても、人は本当に多様だ。
 触れれば折れてしまいそうな子供達がいる一方で……。
「ジャ……ジャッシュさーん……?」
「今さ、アガさん鳩尾にモロ入ったよね……」
 黒髪と彼、二人を一瞬で叩きのめす女もいる。

 ……蒼い髪の彼女に逆らってはいけない。
 鎧が私と揃いとか、そういった次元ではなく。
「二人の事お願いねー」
 はい、仰せのままに。
 言われるまま角に引っかけられるまま。
 ……だって、怖かったんだもの。
 あの黒のような嫌な感じとか、そんな物は無い。
 純粋に単純に、私より遙かに強い生き物だったから。

 大きな住処へ寄るものとばかり思っていた。
 外で待っている途中、またあの娘と擦れ違った。
 あの時よりも、濃い匂いを纏って……。

 血相を変えてやって来たのは彼一人。他の三人はどうしたの?
 何を問う間も無く私の背に乗った彼が、彼女の向かった方向を指し示す。
 引かれる手綱が、ちょっとキツイ。
 そのお陰で解ったわ、最近の彼が何処を見いたのか。

 お嫁さんが欲しいなら最初に言いなさいよ。

 荷物から解放された体は軽かった。彼の指示のままに彼女を追う。
 何故だか、少し楽しかった。
 砂漠の景色からは、相変わらず寂しさが抜けなかったけど。

 追いつきそう、追いつけそう。
 なのに、私は気付かなかった。気付く由もなかった。
 彼が、いつになく険しい顔をしていた事に。
 彼の、頬に……。

 彼女が逃げ込んだのは砂漠の岩場。
 彼が降りて彼女を追う。この先、人が通り抜けられる所は一つ。
 私は潜って先回り。だから……何があったかを知る事は無い。

「まったく……やーっと追いつけましたよ」
「私を捕らえに来たの? それとも、いつぞやのお礼?」
「いいえ。君に、謝りに来ました」
「……?」
「この現状を、予期していながら止められませんでした」
「……何処まで、私を視たの?」
「全てを。君が叫び訴えたままを」

「でも、それだけでは無いでしょう。貴方は自分の心に鍵をかけている」
「それは……」
「向こうに彼女を置いといて、それだけではないでしょう?」
「僕は……」
「病を押して、わざわざそれだけでは無いでしょう?」
「え……あ……」
「呆れた。気付いて無かったの?」

「何時の……あ……ぅ……」
「いいわ。私も、そろそろ逃げるのに疲れた所だから」

「来ちゃ……ダメだっ!!」
 私を飛び込ませたのは、その声だった。

 岩場の広場、自分の胸元を掴んで岩壁にもたれ掛かる彼。
 にじり寄る女は、彼が刃と反対側を突きつけているからそれ以上近寄れない。
 彼に何をした、それ以上近寄るな。出来れば弾き飛ばしてしまいたい。
 けれど、そうするには余りに二人が近すぎて……。

「もう良いのよ」
「良く……無い……」
 彼が苦しみ、うめく中、私は何も出来なかった。
 そして見た。彼の頬、白い髪の隙間から見えた黒。
 彼の手が力を失う。女の手がその両頬を包もうとして、押し返された。
「ダメだ……生きろ……」
 それが、最期と知る。
「君は……っ!!」

 ――忌み子なんかじゃ無い!!

 ……静かに、なった。
 途絶えたはずの声の続きが、岩場に反響していたように思う。
 力無く、もう動かない彼。彼を抱き上げる、女の手。
「も……し……?」
 彼女の肩越しに見た彼は、目を硬く瞑っていた。
 彼女の手がそれをなぞると、いくらか穏やかになったように見えたのだ。

 けれど、その後に……。
「ふ、ふふふ……」
 何かが、ぷつりと切れる音を聞いた気がする。
「あ……ははははは……っ!」
 廻る、彼を抱き上げた彼女が廻る。
「死んじゃった、死んじゃった」
 もう動かない彼の手を取って、踊るようにくるくる廻る。
「あは、あっはははは!!」
 彼女が嗤う、カラカラ嗤う。
 その声は、余りにけたたましくて、余りに、異様で。

 私は、人が壊れるのを見た。

「どうしたの? ねぇ、欲しい?」
 怖いと思った。簡単に跳ね飛ばせそうな彼女を、怖いと思った。
「うふ、ふふ、あはははははは……」
 けれど、その人に、その人を……。
「あっはははははっ」
 その人を……放せっ!!

 ……私の中でも、何かが切れた。

 どれだけ砂漠を駆けただろう、何度彼の手前で止まっただろう。
 あそこまで激情に駆られたのは……ああ、この人に夫を討たれた、その時だ。
 皮肉ね……そうでしょう?
 ただ、遠ざかるあの笑い声と血の匂いだけは覚えているの。

 目の前にうち捨てられた彼。
 ああ、あそこにいると翼が器用になるわ。
 さあ、急ぎましょう。後を追わないと、また彼女を見失ってしまうわ。

 ほら。

 ねぇ。

 ねぇ、あなた。

 ――……起きてよ。