それは、竜車の集まる駅ではよくある光景。
 見送り見送られる人の行き交う中に、その集団はあった。

「ったく、相変わらずっつーかなんつーか……」
 青い服、同色の鍔が大きな羽帽子。
 その下の蒼髪をぼりぼりと掻くのはディ。
 先日唐突にやって来た彼の姉は、やはり翌日には出る気満々だったらしい。
 もっとも、実際には二日ほどは滞在する事になったのだが……。

 見送りの面子、先頭はまず弟。
 ジャッシュとマイラに……。
「さぁコンラッド、お姉ちゃんにバイバイしましょうね〜」
 先日生まれた赤子と、その母親。
 出発が遅れた大きな原因。
 リィが手を伸ばしても、まだ母親にしがみついたっきり。

 そして、この出発には同行者がいる。
「リィさ〜ん、そろそろ出発ですよ〜」
 ポッケ村に異動が決まったシャーリーさん。
 先日の一件が、縁という所で。
「あいよ〜」
 リィの荷物は最低限。
 残りは、おいおい送って貰う予定。

 それは、ささやかな日常の、ほんの一幕……。


   ――――『神とネコと英雄と』―――
          間の悪い皆様


【間の悪い神】

 温暖期にあってなお、空は曇り、雪降りしきるフラヒヤ山脈。
 連なる山々の中で、最も人里に近い山。
 その中腹、広い広い岩棚に舞い降りる影があった。

 それは肩から尾の付け根の先まで広がる、黒い黒い鋼の翼。
 すらりと伸びた首の先、逆毛のように連なる小さな角。
 側頭部から生えた一際太い二本の角。
 その根本に冠を思わせる、幾筋もの白い傷。
 羽ばたきとは全く異質の風が粉雪を舞い上げ、それは白い大地に四肢を付く。

 すらりと伸びた鼻先。ずらりと並ぶ、体表と同じ鋼の牙。
「クルルルゥ」
 そんな風貌と裏腹に、少々低い鈴音の声。
 しゃりしゃり雪を踏む足は、何処かご機嫌なようで。

 鋼龍、クシャルダオラと呼ばれるその龍。
 『彼』が雪を踏みしめて向かうのは、岩壁にぽっかりと空いた洞窟の、横。
 何時の頃からかそびえ立つ巨大な氷柱。様々な鉱石を含んだ巨大な氷柱。

 その前にしゃがみ込み、白い傷の付いた尻尾をパタパタと振る『彼』。
 しゃなりしゃなりと氷柱に歩み寄って……

 がぶっ。
 ぢゅー……。

 氷柱に食い付き、そのままズズズズー……。
 溶け出す氷と一緒染み出す微細な鉱石。
 これぞ通の味わい。

 はたはた尻尾を振って上機嫌。
 長らくこの山に君臨していた『彼』の、邪魔する者などいるはずも……。

「ウホッ?」
「……」
「ウホウホ」

 山頂側からやって来たブランゴ親子。目が合ったらそそくさ退場。
 もしも人が見てたなら、会釈の一つも見えたやも。

 古龍たる『彼』が恐れるのと言えば、やたら狂暴な人間ぐらい。
 もっとも、麓の住人など既知も同然。
 この山の住人ともなればなおのこと。
 誰も『彼』を見咎めない。
 『彼』も誰も見咎めない。

 だから『彼』は気付かなかった。
 ドサッと落ちた、黄色い影に。

【間の悪いネコ】

 温暖期にあってなお、空は曇り、雪降りしきるフラヒヤ山脈。
 連なる山々の中で、最も人里から遠い山。
 その麓にぽっかり空いた、小さな穴から……。

 にゃー……にゃにゃー。
 にぃー。みにゃー……。
 にゃにゃにゃのにゃぁー?

 さわさわと響くネコの声。
 といっても、そこらのネコとはひと味違う。

 ここは雪山の中でも、人などとても住めない極寒の地。
 そんな場所に住む彼らの毛並みはもっふもふ。
 特に首周りがもっふもふ。
 白い大地を踏みしめる、彼らの肉球はぷっにぷに。
 ついでにお腹はふっにふに。

 洞窟に入れば白い白い、氷と見紛うような壁。
 狭い入り口を入って少し抜けると、飛竜も飛べそうなほど大きな広間。
 所々にぽっかり開いた黒い穴は、ネコの家。
 広場の中心、ほこほこ湯気を上げる大きな泉が憩いの場。
 泉の中心に立つのは、白い……メランジェ鉱石を削った龍の像。
 ネコほどの背丈とはいえ威厳に満ち……て、いたのは何十年、いや、何百年か前の話。
 ぴたぴたと、どれだけ高いかも解らない天井からの滴に削られ今や村のマスコット。

 ここは、雪山アイルーの村である。

 ネコの行き交う泉の畔、龍の像の真正面にネコ一匹。
 ここの住人の例に漏れないフサフサ毛並みは、尻尾の先と顎からお腹が真っ白い。
 肩からポーチを提げたネコだった。

 彼が覗き込む先は龍の口、煌々と燃える赤い石。
 熱せられた龍の像が水を熱し、熱せられた水が蒸気となり洞窟に行き渡る。
 火山で取れる紅蓮石。その中でも上質な獄炎石。
 それが龍の口に収まっている。
 けれども家の中にももう一個、無いとやっぱり辛いのだ。
 だから村の男は必ず一度は旅に出て、どんな手段を使っても、一個持ち帰る。
 自分の家を持てたら、一人前。

 ネコにあるまじき、ピンと伸ばした背筋でそれを見ていたその子。
 すっと深呼吸して穴の一つ、自分の家を覗いてみれば……。

「あー、そこそこ……はぁ、やっぱお前は最高ニャ〜」
 紅蓮石を置いただけの簡素な暖炉の側。
 だらしなーい顔した黒猫が、フードと毛皮のコートを着た白猫の膝枕で耳掃除。
 この子の両親である。

 ごろごろだらけるこの親父。
 コレでも村一番の腕利き狩人ならぬ狩ネコ。

 商売じゃどれだけかかるか解らない獄炎石を取って来たとか。
 山の御大と手合わせ願って角へし折って来たとか。
 嘘かホントか、西の国に現れた黒い龍とも一戦交えたとか。
 ついでに嫁さんまでつれて来た。
 その話のたび「その頃母さんのお腹にお前はもういたんだぞ」と言われるのには正直うんざり。

 そして村の英雄、今はおかんの膝枕でうーだらり。
 息子の門出の日にもコレ。
「あの……そろそろ出発するのニャけど……」
 そう言って、やっと姿勢を正す馬鹿親父。
 おかんはのんびりおっとり。

「お前もそんな年か。私は止めないが……ちと早くないかニャ?」
「いいのニャ」
 プイッとちょっと反抗期。
 いつまでも、この馬鹿親父の息子に収まってたくねーのニャ。
 というわけで、意気揚々というよりは、のっしのっしと旅に出る。

 慣れた雪道踏み越えて、おっきな雪壁穴掘って。
 もそもそもそもそ掘り進む。
 繰り返して一週間。
 人間の村はまだかニャ思って、雪から顔を出してみる。

 目の前何故だか真っ黄色。

【間の悪い英雄】

 温暖期にあってなお、冷たい風の吹くフラヒヤ山脈。
 既に日は落ち、雪の代わりに星の降る頃。

 連なる山々の中に、人里へ続く道がある。
 幅は飛竜を相手に出来る程広いが、片や切り立った岩壁、片や断崖絶壁。
 こんもり分厚く積もった雪道。
 そこに、ぽつぽつ歩く二つの影が……。

「う〜冷えるのぅ……」
「ツイてないて無いわねぇ、今頃晴れるなんて」
「でも風はつめたーい」
 リィとシャーリーさん。
 二人とも、頭からスッポリ毛皮のフード。
 分厚い服もブーツも、裾から毛皮がもっふもふ。
 その名もマフモフ。

「なーに言ってるの。ポッケ村なんて年中こんなもんよ。慣れよ慣れ」
「くぅ〜……流石地元民」
「元、だけどねー」

 どうしてこんな事になったかと言えば、中継地で猛吹雪。
 後に残った大雪に竜車は立ち往生。
 荷物は後から、人はお先に。
 と思ったら、旅の道連れ二人だけ。

 女二人の山道だけど、不安に思う事は無い。
 リィの背には大きな弓が。
 シャーリーの腰にもギラリと光る片手剣。
 特にこちらはギルドナイツ。
 越えた修羅場は数知れず。

 大体二日か三日は歩いた。
 食料が無くなる少し前には到着という絶妙の荷物配分。
 ……シャーリーが、街に出る時泣きを見た反動だったりする。

 そんな二人を、中腹で待っていたのは……。
「うわぁ……」
「まーた、エグいのぅ……」
 銀世界に骸を晒す、太い角の生えた大きく茶色いけむくじゃら。
 ポポと呼ばれるそれらが腹から流す血で、毛皮が、雪が、赤く染まる。

 肉食の……飛竜に襲われただろう事は容易に想像がつく。
 臓腑が見えないのは不幸中の幸いか。
「もったいない食べ方しとるのう」
「やだなぁ……一体何かしら……」
 双方、なかなか余裕のある恐がり方である。

 フルフルが獲物にするには少々大きすぎる。
 ドドブランゴなら、群れで綺麗に食べきってしまう。
 ランポスの類でもそうだ。
 雪山に棲息してなおかつ、ここまで大雑把な食べ方をする生き物を二人は知らない。
 気配はまだ無い。それでも武器を構えたのは半ば染み付いた本能。

 ……それは、何の前部れも無く降ってきた。

 黄を基調とし、青のストライプが入った体躯。
 太く逞しい腕に広がる皮膜は、それが飛竜に属する者と主張している。
 角張った顔、裂けた口は血に濡れていた。

 二人は、それを示す名を知らない。

「どちらさんかのぉ?」
「私に聞かれてもねえ……」
 もっとも、その程度で怖じ気付く二人でも無いが。
 既に矢をつがえ、盾を構え。
 予測しうる動きに備え、徐々に真正面から軸をそらしていく。

 気付けば風は止んでいた。
 雪を踏む音が嫌に響く。
 そこに竜の唸りが混じって……
 リィと目が合う。

 竜が雪を蹴った。

(よし来たっ!)
 見た目通りの猪突猛進。
 粉雪を巻き上げるそれ。一部古龍のような起動修正は無い。
 するりとかわして弓を引く。
 狙いは振り向き様の顔。

 ……キリリと弓が鳴った所でふと、シャーリーに当たらないようすべきかと考える。
 それは一瞬の事。
 けれど直後に見たのは……。
「避けて!!」
「はい?」
 雪煙を巻き上げ、見事なドリフトでこちらに向き直る竜だった。

 迫る、迫る、迫る。
「ちょ、まっ、ヤバヤバヤバヤバっ!!」

 逃げるときは迷うな。
 とにかく横に走れ、走れ、走れ!
 腕が
迫る、迫る、迫る!

 目の前の雪に腕がめり込む。
 持ち上がる。リィの背より高く。
 低く屈んで、跳ぶ!

 ギリギリの所で飛んだリィの上。
 太い腕が通り過ぎて……。

 ゴシャッ

 その頭ごと岩壁にめり込んだ。
 抜けずに藻掻く姿が哀れなような、一瞬でも遅れたらと思うと怖いような。
 意外と後ろ足は貧弱そうだなぁとか、思って見ていましたら。
 藻掻く竜の、以外と貧弱そうな後ろ足のその後ろに……。

 ぽこっ。

 黒くて小さいのが出てきた。
 黒くてモフモフだったけど、頭に二つ並んだとんがり耳。

「ぬ……ぬこたん?」
「そう、みたいね……」
「ニャ?」

 それが、竜の足の後ろで小首を傾げる。
 今の状況が解ってない。
 もがく竜が、そろそろ抜けそう。
 ネコは後ろ足のすぐ前。

 踏まれる。
 そう思っリィの行動は早かった。
 臆することなく竜の後ろ足にかがみ込み、ネコの脇の下に手を回す。

 ずぽっ
 ネコは難無く抜けた。

 ずごっ
 ……ついでに竜も抜けた。

「うごっ」
 その後ろ足で雪に押しつけられる一人と一匹。
 眼前真っ黄色。雪に埋められた状態。自由になった竜。

(や、やばやばやばっ!!)
 雪をかき分け、振り返ってみたのは、体を大きくよじる竜。

 直後の行動に察しが付いてしまった。
 同時に、離脱しきれない事も。
 真っ先に考えたのは腕のネコ。

 ……長い尻尾は、よくしなるだろう。
 躊躇は一瞬。
 ネコを抱いて竜の懐に飛び込んだ。
 少し下がった尾の付け根にしがみついた辺り。

 体が、浮いた。

 遠心力に息が止まる。臓腑が浮く。
 外周で長い尾が雪を裂くのがチラリと見えた。
 シャーリーの盾がそれを弾く音を聞いた。
(予想通……ふおっ!?)
 回転が止まった瞬間吹き飛ばされた。

 投げ出されて二転三転した先雪の上、崖っぷち。
「ん……OKOK……」
 打撲はない。少々の目眩は首を振れば収まる程度。
 腕のネコは、もちろん無事。目を回しているだろうとは思っていたが……。

「グルルル……」
「ニャミャアアアアーッ!?」
 狂暴を絵にしたようなそいつと目が合って、漸く自分の状況を理解したらしい。

 パニック起こしてジタバタと。助けられたことまで理解及ばず。
「ちょ、まっ、落ち着……っ!」
 弓を構え治すこともままならない。
 しかしここは崖っぷち。ここで放すとまず落ちる。
 リィ、弓を握った事を後悔したのはギザミ戦以来二度目。

 その光景に、ニヤリと笑ったのは竜の方。
 ジタバタもがくネコと狩人。竜にとってはどちらも獲物。
 仕留めるべく一歩を踏み出した時……。

 忽然、獲物が姿を消した。

 呆然とする竜。狼狽えるシャーリー。
 理由は消えた一人と一匹。

 ……その行方を正しく知ることの出来た者が、遙か上空にいた。
 宙で少しばかりよろめいた『彼』は、竜が待ち伏せていた場所に、どさりと落ちる。

 『彼』が見下ろす先。
 竜の一撃を受けてすぐ立ち上がってのけた娘が、崩れた雪と一緒に谷底へ落ちていく。
 標的を変えた竜がまた壁に頭を打ち付けて、醜態を晒す間にもう一人がその場を離れる。
 彼女が小さな段差から崖の下へ降りていくのも見えた。
 『彼』は、あの下もここと同じく柔らかな雪が積もっている事を知っていた。

 ギルドから『スカー』、あるいは『縞付き』と呼ばれる『彼』。
 その脇腹には深い爪痕が刻まれていた。
 犯人は、言わずもがな。

 不意打ちを受けたと言う屈辱。
 あるいは至福の時間を邪魔された怒り。
 それが足下の新雪を貫き、その下の岩肌を抉る。
 青い瞳が睨み据える先は、未だ頭が抜けずにもがく竜。
 それが、ようやく頭を抜いた瞬間……。

 ぽいっ

 ブルファンゴ大の岩塊を投げつけてやった。
 突然の衝撃によろめいたところで足下削り取ってもう一個。
 爪の鋭さならこっちが上だと言わんばかり。

 ギルドから『スカー』、あるいは『縞付き』と呼ばれる『彼』。
 小さき物など見向きもしない寛大、あるいは尊大さ。
 それ故この近くの村では『山神』『御大』とさえ呼ばれている『彼』。

 ……食事の邪魔だけは御法度だった。