温暖期のドンドルマ。
 最近、喫茶コケットリーにお客が一人増えた。
「ふむ、こちらの方がナッツが生きるな」
 窓際に陣取る黒コートの男、ギルドナイツ=ドンドルマ部隊筆頭その人である。
 今日のメニューはケルビのミルクアイス、ケルピーナッツ入り。
 あっさりしたミルクに、時折混ざるナッツが良いアクセント。

「やっぱりポポだと濃すぎたのかしら」
 その横で新作の出来に喜んでいるのが、店の店長。
 こないだ産まれたばかりの赤子、コンラッドが腕の中。
「ふ……ふぇっ……」
「あら、今度はコンのミルクみたい。ちょっと失礼しますわね」
「ええ、ごゆるりと」
 一見、和やかな景色であるが……しっかり利害関係があったりする。
 店長にとっては、舌の肥えた貴重な御意見番。
 筆頭にとっては……実に安全な休憩所なのである。
 副官が実力行使出来ないと言う意味で。
 あわよくば一緒にお茶でも飲んではぐらかしてしまおうか、とか……。

 そんな事を考えつつ、ティーカップに口を付けると、カランコロンとドアの鐘。
 最近増えたアイルー用のノブを回すのは真っ白ネコ。
「ルシしゃまこんニャ所におりましたニャか」
「お、セーレじゃないか」
 さしもの副官も、自ら踏み入らず代わりを立てたか。
 どう来るかと身構えていたら……。

「リィさん、ポッケ村に向かう途中で谷に落ちたそうニャ」
「!?」

 サァーと引く血の気。背筋を滑る冷たい何か。
 平静を装ってテーブルに置いたティーカップ、中の紅茶が微かに波立つ。
「詳細は、ギルドの方ですニャ」
「……支払い頼む!」
「了解ニャー」

 慌てて飛び出す黒コート。
 その席にちょこんと座る白いネコ。
「ニャホホ。嘘は、言って無いのニャ」
 その後無事が確認された、と言う「詳細」は、ギルドにあり。
 セーレが残ったアイスにスプーンを着けようとした時……。

 店の入り口に、震える赤虎の中年ネコが。
「お、お嬢様が……」
 どうも、さっきの話を聞かれていたようで……。
「ぼ、坊ちゃまが戻られた時何と言えば……」
 そのまま倒れる。

 ああ、アンタのご主人、今は砂漠にお仕事だっけ?


   ――――『神とネコと英雄と』―――
           因果巡りて

 燦々と……などと言う表現が生易しいほどに降り注ぐ太陽。
 見渡す限り砂の海。
 そこを渡るホロ付きの竜車。
 アプケロス二頭が引くそれは乗員四人にネコ三名。
 手綱を取る一人は黒、残りは蒼い燕尾状のロングベスト……いわゆる騎士装束を纏った一団と、ネコ三名。
 ナイツの仕事に季節は無い。
 積み荷の大半は氷属性の武器だったりクーラードリンクだったり、今は封印されてるけど夜用の火属性武器だったり。

「あーづーいー……」
 短く刈り上げた茶髪を掻きむしる蒼装束の一人。
 腰に提げられているのは氷の刃、ハイフロストエッジ。

「お願いですバリー……それ以上言わないでください……」
 力なく呟くもう一人の蒼装束は肩ほどでバラけた金髪。
 腕に抱える長銃、その名を神ヶ島。
 最近になってやっと手に入れた代物である。

 ちなみにネコ三名はと言えば、毛皮が暑苦しいと言う理由で隅っこぎゅう。
 最初は差別ニャーとか言ってた。今は文句を言う元気も無い。

「アルトはいーよなー……新しい銃試し撃ちー」
「撃たずに済むに越したことありません」
「……なんなら代わるか?」
 延々と続く愚痴の応酬に、御者台から響くうんざり声。
 振り向く黒装束の腰に差してあるのは、ひんやり冷たい鋼の剣。
「ヤだ」「ヤです」
 二人の返答は同時。
 誰が好きこのんで、温暖期の直射日光にこの身をさらけ出そうか。
 もっともその矢面に座っている黒装束、ジャッシュはたまったもんじゃないが。

 ジャッシュの本音を言えば、お前ら若いんだから。
 そして二人の本音は、アンタ暑苦しいんだから。

「ったく……ディ見習って、少しは静かにしてろ」
 ネコ達の向かい。
 そんな三人をヨソに、水晶の双剣を抱えて眠るのは蒼い髪の少年。
 ジャッシュはそれきり首を前に戻す。もう知らん、という意思表示。

 蒼装束二人、相手をしてくれないっぽいからと、少年ナイトを覗き込む。
「あーあ。良いご身分だこと」
「まぁ、起きてる間中周辺警戒してくれてたんですけどね」
 一番年若い騎士はこんこんと眠る。
 けれども、日差しを完全に免れた訳ではなく……。
「右頬の化粧、浮いてるな」

 この熱気にほてりかけの肌。
 元々の色に合わせて作られた、傷隠しの化粧が白い。
 この下には痛ましい、赤茶けた蔦を思わせる火傷の痕がある。
 本人曰く栄誉の負傷だが、見せびらかすものでは無いと言う。

「それにしても……筆頭も思いきった事しますよね」
「あん?」
「こないだアレで、次に出産鉢合わせででしょう?」
 そこから立て続けに対人任務。
 温暖期の砂漠を突っ切ろうと言う、無謀な密輸組織の捕縛である。
 ……生死は問わぬと、但し書きのついた。

「あのおっさんがそこまで口を挟むかぁ?」
「挟むでしょう。何せ……」
 そこまで言いかけて、少年には聞こえぬよう距離を離すアルトとバリー。
「あの人が、一年近くちょっかいを出さなかったんですよ?」

 二人が思い出すのは自分達の赴任直後。
 からかうように手合わせを申し込んできた男。
 それは当時のナイツを、ひいてはギルドをひっくり返そうとしていた男。
 そう知った時の驚愕はいかばかりか。
 ……今は亡き、自分達をナイツに招き入れた男がその片腕と知った時には色々諦めたが。

 何はともあれそうなると、逆に怪しいと思うのが人の常。
 実は隠し子だとか、筆頭にそっちの趣味があるとか噂は様々。
 どれもここで口にすると、がばっと飛び起きそうなので言わないが。
「にしても、なんつーかよ、あんま言っちゃいけねぇんだろうけど……」
 改めて少年に目をやる、茶髪の蒼装束。
「何ですバリー?」
「……アガさんに似て来たよな」
「はい?」
 ふっと出てきたのは、少年の前任に当たる人の名前。
 二人をナイツに引き入れた人の名前。

 もっとも、戦力面で言えば天と地程の差がある。
 戦闘スタイルとて、トリッキーな一撃離脱と懐に張り付き続ける手数勝負。
 それでも「前任」「後任」の関係が成り立つのは、そのスキルに由来する。
「起きてる時周辺警戒して、定期的に寝る辺りが」
「そりゃ、同じ千里眼持ちですから?」
 防具のスキルの一つ、彼方の気配を感じ取る千里眼。
 元々スキルとは人に備わった感覚を強化する物。
 人に備わっている以上、装備に頼らず扱える物も少数ながらいた。

 それは例えば、天性の才能であったり。
 それは例えば、装備から最大限に引き出した結果だったり。
 それは例えば、成長期の心身に合わせて身についた物だったり。

「そのうち、突然ガバッと飛び起きたりするようならなきゃ……」
 言いかけたその時、水晶の双剣がシャラと鳴る。

「ジャッシュ、目的地まで急いで!!」
 ……ガバッと飛び起きた。

 紫の吊り目をさらに鋭くさせた少年が御者台に飛び乗る。
 緩やかな道のりがにわかに慌ただしくなる。
 ジャッシュが疑問府より先に手綱を打つ。
「ディ、何が視えた?」
「竜、相当荒れてるのがターゲットの所にいる!!」

 二人組は思う。とうとうここまで似たかと。
 どうやら対人任務は予定変更。
 バリーは予備として用意していた鋼の直刀を取り出す。
 アルトは弾を、対人用麻酔から回復弾へと入れ替える。

 二人からは、強張る少年の背中しか見えない。
 けれどそこから、時間と共に力が抜けるのが見て取れて……。
 意味する所は、言わずとも解る。
「まだ諦めるな」
「……はい」
 アルトが三度弾を入れ替える。
 目的地は岩場に囲まれたオアシス。
 そこにたどり着いたのは、それから更に三十分程後の事……。

 オアシスにあったのは、真っ赤な血肉の海だった。

 蒸せ帰るような血錆の臭い。
 サラサラとしていただろう砂は、赤に塗れて泥になっていた。
 そこに時折、斑点のように混じるその他の色。
 人も居ればアプケロスもいる。
 四肢が揃っている者は、皆無と言って良かったが。
 幸か不幸か、手を下したと思われる竜の姿は無い。

 ……一面の赤の中、岩場を流れる水だけが澄んでいた。

「竜は?」
「五分ぐらい前に南に、あと、動きがないけどもう一匹いるみたいだ」

 そんな凄惨な光景に、早速やられてしまったのが一人。
「うう……やっぱりダメです、こう言うの……」
 アルトである。
 臭いで既に危険、この光景を見て本格的に貧血。
 血が苦手でガンナーなのに、彼の銃が作る光景が一番エグかったりするのは別な話。
「ディ、周辺警戒ついでにアルト看ていてやれ」
「へーい」
 ディが貧血起こしたアルトを引きずり竜車の陰へ。
 ジャッシュとバリーが現場調査。

 ……アルトを竜車の影で休ませながら、ディは祈らずにはいられない。
 どこかで誰かが、自分が捉えきれない程に息を潜めていてくれやしないかと。
 アルトを看ながら、赤い海を視る。

 温暖期、砂漠、漂ってくる血の臭い。
 即刻立ち去りたい条件は揃っている。
 感覚は周囲に広げたまま、視線は血の海へ。
 広がる赤。散らばるそれ以外。
 探しているのは、光の反射。
 剣、銃、槍、鎧、その他。

 ……あの竜が来なければ、自分達がこの光景を作り出していたかもしれない。

「ディ君……よく直視できますね……」
 ナイツが血の海を見る度に、貧血起こすのもどうかと思うが。
「殺しと、狩りの違いだよなぁって……」
「んー……ああ、まぁ確かに……」
 一面の赤。
 狩りであれば、血肉は平らげるだろう。
 縄張りを守るためと言うなら、一思いに済ませるだろうに。

「……ああは、なりたくありませんね」
「どっちにもな……」
 ディの感覚は、今なお怒りの収まらぬ気配と、身じろぎ一つしないそれを捉え続けている。
 動きの無い気配は多分、動けないのだろう。
 そうなれば、もう一方の苛立ちの理由も解ると言う物。
 恐らくは、あのまま逝く。

 狩りの時、死に行く者は視ないようにしていた。
 自分が引きずり込まれそうで怖かったから。
 それを今、こうして視ているのは……。

 いい加減、目を反らすのは止めようと思ったからだ。

 巨大な生命の気配が消えていく。
 風の音に混じる心音は誰の物だろう。
 潰えた命は、また土に還っていく。

「因果だよなあ……」
 命を摘み取った手で新しい命を撫でてやる事は、意外と相容れるのかもしれない。

 ……気配が消えていくのは、脈を打つのに似ている。
 傍らの気配さえ、その瞬間は静かに。だから、一緒に黙祷を捧げた。
 それが終わると、次に感じ取るのは沸々と沸く苛立ち。

 矛先に気付いて、ディは赤い大地に飛び込まざるを得なかった。
「竜、こっちに来る!!」
 その刹那、空に差す影。

 背後に落ちる気配。
 ゆっくり振り向いて見れば、視界を覆う黄色と青のストライプ。
 大きな顎と青縞の上、殺意にギラつく双眸。
 視界の両端に逞しく広がる赤……恐らくは腕。

「え……ちょい……?」
 その視線に「何だコラてめぇ」と言う声を聞いたのは気のせいだろうか。
 その威圧が全身を縛り上げようとする。
 けれども足は辛うじて動く。腕はいつでも剣を抜ける。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫、動ける、動ける、動ける)
 準備出来ていないのは頭だけ。

 けれども……その一瞬は見逃さなかった。

 グァバッ!!
 タン……っ、ガキッ!!

 左へ飛ぶ。
 一瞬前に自分の上半身のあった空間、そこで合わさる牙。
 その向こうから振り下ろされる剛腕。
 赤い泥が舞い上がる。錆の臭いが鼻を付く。
 こちら側の腕を使わなかったのは、癖だろうか?
 確かめる間も無くディに向き直り、体を捻る竜。

 ……焼き付ける砂漠の太陽に似た、実にストレートな怒気。
 ジャッシュもバリーも要ると言うに、竜が睨むのはディ一人。
「あ、あはははー……」
 どう考えても、
「……き、気付かれた?」
 不躾な視線に。

 その通りと言わんばかり弾けるバネ。
「いっ!?」
 とっさのバックステップ、何かが前髪を、鼻先を掠める。

 それが何なのか確かめる間も無く走る竜、逃げる少年。
 進行方向から垂直に逃げるセオリーはそのまま。
 やり過ごしたと思って剣を抜いて見てみれば……。

 黄色と青のストライプ、こっちに向かってUターン。

「どわあああーっ!?」
 何かグチャグチャ音を立てながら迫る竜。
 走り直し? 間に合わない? 覚悟を決める?
 あの腕に跳ねられたらどれほどだろう?

 そんな考えが脳裏を過ぎった時……。
 背後から、世界が白く染まる。
 竜の悲鳴。衝突は来なかった。

 世界が色を取り戻す。
 最初に見えたのは、前後不覚の竜。

 それでも真正面を避ければ、自分のいた場所に喰らいついて来る。
 大丈夫、自分の姿が見えているわけじゃない。
 傍らに歩み寄るのはバリー。
 竜を挟んで向こう側、アルトとジャッシュが一緒にいる。

 けれども、まだ手は出さない。
 どこでどう動くか、まだ把握仕切れていないから。
 尻尾の先が丸い。切断された跡と気付いたのはその時だ。

 あの時掠めたのは丁度目の高さ。
 もし、アレが本来の長さだったら……。
 思い起こすのは、つい先ほどの事。
 異常は無いとわかっていても目の奥で、ゴロゴロと嫌な感覚がする。

 傍らのバリー、そんな心境を知ってか知らずか……。
「盲目から更なる高見に踏み込んだ女の子の話があってだな……」
「その子はゴールデンエイジ真っ盛りだったな」
「……チ、読んでやがったか」
「読書量で勝とうなんざ十年早い」
 図書館の常連を甘く見ては困る。

「……さて本題、何処から攻める?」
「動き把握するまで頭は無しだな」

 目の前の竜が体をコマのように回す。
 アレが今、一番警戒するべき全方位への攻撃か。
 懐にいたら、最悪刷り潰されるだろうか?

 向こう側にいるのはジャッシュとアルト。
 こちらに気付いてコクリと頷く。
 竜が軽く吠える、正気に返った。

「……咆吼来たらよろしく」
「ガルルガフェイク被って来い」
「やだよ」

 竜がこちらに向き直る。
 相変わらずストレートな殺気。
 血肉を踏み潰しながら迫る巨体、両サイドに避ける二人。
 今度はUターン無しでその場にスライディング。

 正面に比べ、貧弱な後ろ足に突き刺さる弾丸。
「……今回、主力はアルトさんかな」
「冷静にビビってんじゃねぇ」
 だって、噛まれたら即死できそうなんだもの。

 けれど竜が睨み据えるのは少年一人。
 一時とは言え、竜の正面に立つのは勇気が要った。
「来いよ、相手になってやる」
 警戒すべきは、腕と牙。
 竜に向けた水晶の切っ先を軽く降る。
 振りつつも軸は正面からずらす。

 竜の正面が遙か後方のアルトから完全にずれた辺り……。
「ハッ!!」
「そらよっ!!」
 斬りかかる片手剣二人。
 両者を意に介さず、目の前へ喰らい付かんとする牙。
「っと、危ねっ!!」
 踏み込んだ腕へ斬り返す水晶の刃。

 その一拍後……。
「……ッあ!!」
 右手を構えたのは反射。
 尾に弾かれたと理解したのは衝撃の後。

 右手に走る痺れ。剣が無い。弾かれた? 何処に?
 視線は剣を探す。右手はポーチの投げナイフを探す。
 剣を探す視線が、腕から血を流すバリーを見つける。

 その一方で……。
「そらぁっ!!」
 動きの止まった竜の後ろ足を切り裂く黒。
 短い後ろ足を狙えば、自然と密着する事になるというのに、ジャッシュには躊躇い一つ無い。
 苛立ちより危機意識が先か、ジャッシュの方に向き直ろうとする竜。
 足の動きに完全に対応して、向き合う。
 翼に遮られ、ディから竜の頭とジャッシュは見えない。

 代わりに聞こえたのは後ろ足に突き刺さる弾丸の音。
 見ているのは赤い泥に食い込む竜の腕。
 持ち上げられた首はジャッシュの射程外。

 ――吼える!

 ナイフを右手に引っかけたまま、左手の剣を放棄。
 耳を塞いだのと、重い振動が全身を伝わるのは同時。
 聴覚が意味を成さない。
 見えたのは砕ける竜の足下。舞い上がる赤黒い泥。
 その遙か向こう、衝撃で盛大に弾かれるジャッシュ。

 続いて右腕を引き絞る竜の姿が、まるで弓の構えにも似て……。
「先輩っ!!」
 体勢を立て直す間など与えられない。
 弾丸は赤黒い泥の塊。
 それを盾で防いだように見えたジャッシュが、背後の岩壁に叩きつけられる。

 竜が走る。よろめくジャッシュの後ろは壁。
 投げたナイフは空を切る。アルトの弾丸は届かない。
 足下の赤が、生々しい感覚を伴い始めたその時……。
「ニャーッ!!」
 竜の突進より早くジャッシュに向かう影が一つ。

 竜が壁に衝突した直後、見えたのは衝撃で吹っ飛ぶネコタク。
 その上から竜に斬りかかるジャッシュ。
「おっしゃ!!」
 そして勢い余って岩壁に頭から突っ込み、抜けずに藻掻く竜。
 その首元へ容赦なく降り注ぐのはジャッシュの連撃。
 残る三人が追撃すべく走るが、ソレより先に自由を取り戻した竜が飛び退く。
 それが最後尾のアルトさえ飛び越え、また赤い大地を踏みしめて……。
「やばっ……」

 グギャオアアアアアアッ!!

 やはり吼えた。
 聴覚の保護を優先したアルトが、その衝撃で地面に叩き伏せられる。
「アルッ!!」
 バリーの怒りに任せた一撃は虚しく空を切る。
 竜の姿は……遙か空。
 見上げれば名残程度と思っていた翼で、見事に滑空していずこかへ去っていく。

 それこそ……ディの千里眼にも捉えきれないほど、遠くに。

「……行ったか」
「うん。多分この距離なら戻って来る気は無いんじゃ、ないかなあ……」
「ディ、手当を」
「あいよ」

 幸い、アルトの負傷はそう深刻なモノではなかった。
 本人曰く、全身均等に殴られたようで生きた心地がしなかったそうだが。
 それよりも……。
「先輩達の方がよっぽど重傷じゃねえかよ……」
 腕を裂かれていたバリーはその場に倒れてしまうし、ジャッシュは盾側の肩が外れていたし。
 それを見たアルトが、やっぱり倒れ込んで赤泥まみれの惨事。
「んで、無傷がお前だけかよ……」
「いや、無傷じゃねえから」
 ……結局、三人の面倒一人で見る事になった。
 ディとて、一歩間違えば一番の重傷者になる可能性があったわけだが。

 未知の竜と一戦交えたと考えるなら、この程度で済んだと言うべきだろう。
 僅か数分足らずの戦いと考えるなら……酷くやられたと言うべきか。

「そのうち、アレを狩ってくれって依頼来るんだろうなあ……」
「何だ。もう怖じ気づいたか?」
「バカ言え」
 暫し危機を退けた余韻に浸っていた四人。
 赤に浸食されていない水辺に座って一休み。
 そんな彼等の方に、ひょこひょこ歩み寄る三つの影。

「ジャッシュしゃーん、救助代くーだしゃーいニャ♪」
 ネコタク係のアイルー達だ。
「……筆頭に請求したら、マタタビの一つも付いて来るかもしれんぞ?」
「じゃあ領収書くだしゃいニャ」
 相変わらず現金な連中である。

「ディさん、剣見付といてあげたニャ」
「おう、サン……」
 こっちは何を請求されるかと思ったが……それどころでは無かった。

 手渡されたギルドナイトセーバー……中央からポッキリ。

「ん……な……」
 硬質な水晶を、更に高密度に鍛え上げた剣が、ポッキリ。
 只でさえ加工の難しい水晶。
 こうもへし折られてしまっては……。
「あーあ。これは作り直すしかありませんねぇ……」
「お前、こないだ紅蓮双刃の片っぽ無くしてなかったっけ?」
 その件については、ちょっと思い出したくない。
 人的被害はともかく、物的被害のなんと大きい事か。

 さて、ターゲットの生存者は無し。
 後は身元の解りそうな物を回収して帰るだけだが……。
「そういやよ、もう一頭どうした?」
「……死んだよ」
 もう一つ、ついでの報告が増えている。
 ある意味では、密輸商団の壊滅よりも重要事項だろう。

 場所は、岩場に囲まれた小さな広場。
 日差しも放射冷却も、そうは無さそうな小さな広場。
 その中心に横たわるのは、先程より小柄な黄色と青のストライプ。

 ……その体表一面に、花開く赤。

 いかなる最期だったかは、容易に想像が付く。
「蜂の巣、だな」
「それでお怒りだったと……」

 一応新種の竜。
 情報は、多いに越した事は無い。
 位置を記録し、剥ぎ取れそうな部位をいくつか。
 調査隊を寄越しても、到着する頃には土に還っているだろう。
「アイツ……人間恨んでるんだろうなぁ……」
「人里に来ない事を、祈るばかりだな」

 ……骸に祈っても、恐らく許してはくれまい。
 それでも祈る。
 せめて、安らかにと。

 そして、ギルドへ帰還した彼等を最初に出迎えたのは……。
「坊ちゃま〜っ!!」
「おっと」
 赤虎、ミハイル、猛突進。
 坊ちゃま、慣れた風にするりとかわす。

 ……ギルドの壁に、ネコ型の穴が開いたのはまた別な話だ。