――許されようなんて、思っていない。

 蒼い月。満月。真昼のような明るさ。
 冷たい夜風。髪が靡く。視界にちらりと映る赤。
 何だろう。こめかみや眉間の、妙な違和感は。

 森から突き出た崖の上。そこに沿う小道。眼下に広がるのは、やはり森。
 竜車が一台やってくる。それを認めて、喉の奥が震える。

――ムシのいい話だった。

 竜車にいたのは黒と赤と、若葉。ぼやけて見えない。
 でも自ず脳裏に浮かんだのはマイラとミケ姉。
 持ち上がる鋼。シャラリと響く澄んだ音。
 ぼやける視界。見紛いようのない、連刃。

 脳裏に浮かぶ像が現実味を帯びる。
 俺は、何をしようとしている?
 ダメだ。止めろ……止せっ!

 声なき声に答えたのは風。
 舞い上がるのは、赤ひとひら。

――大人しく、待っていれば良かった?

 慟哭のような声。ズンと響く何かの音。
 唯一動いた瞼。

 目を見開いたその向こう。

 見知らぬ黒覆面が馬乗りになってました。
「……はい?」

 
   ――――『First Kiss:未遂』――――
         Stairs to Heaven

 温暖期、熱帯夜、蒼い月。

 上げられた両手に緩い縄。足はまだ自由。
 目が覚めた俺に覆面がうろたえた時間一秒。
 俺が状況理解にかかった時間、ゼロコンマ一秒。

「こ、のっ!」
 振りほどいた両手で押した胴体。間に滑り込ませた右足が胸を捕らえる。
 勢いを殺したものを確かめる間もなく両手の力で跳ね起きる。
 不格好なサマーソルトが上手い具合に顎に決まる。

 三半規管は完璧に逝っただろう。デコに一撃打ち込んだのは念のため。
 鉢金に当たった感覚はないから、多分完全にのびてる……はず。
「一体何事ですかい」

 ……冷静でいられたのは、自分でも意外だった。
 えーと、昨日はダルいどころの騒ぎじゃなくて、おやすみベアに頭突っ込んで……。
 三時過ぎから午前二時。俺、どんだけ爆睡してたのよ。
 目覚めるのが一秒でも後れていたら……やめた。おっかねえ。
 ……そうだ、ミハイルは……。

「ほみゃぎゃああああああああーっ!?」
 考えた途端響くネコの悲鳴。
 マジで何起きてんだ!?

「ミハ……! っと」
 ミハイルの部屋のドアを蹴破った直後、投げナイフが髪を掠めた。
 シキ国の、ハンニャとか言う面を被った男が見覚えのある虎縞を抱え窓枠に足を乗せていた。
 理解より先に一足飛びで迫る。二本目が来る前に、逃げられる前に!
 逃げようともしない。二本目も来ない。代わりに、一瞬だけ揺らいだ。
 そこを突かない手は無く、虎縞ひったくった上でさっきと同じ要領で殴り倒す。

 と、そこまでは良かったんだ。

「ふ……ふぇっ……ふぇ……」
 情けない声でしゃくり上げる虎縞は、月明かりをさっ引いても銀青だった。
「ケイン?」
 少なくとも俺の知ってる銀青といえば他にいない。
「ディ、ディ君……」
 声が落ち着いてくると、いつもとだいぶ違うけど確かにケイン。
 まず落ち着かせてやろうと思っ……。

「この家何か居るミャァーッ!!」
「ぶもっ!?」
 そのまま顔面に抱きつかれた。

「もご、もがもがっ!」
 成人ならぬ成……ああ、めんどい!
 とにもかくにも猫一匹首にしがみついてみろ!
 蒸す! 窒息死できる! その前に首やばい首ーっ!!
「ぶ、はっ! その前に何でお前がここにいるっ!」
 ネコの腹、危険すぎ。

「誰が坊ちゃまお運びになったと思ってますニャ」
 やけっぱち気味に叫んだ問いの答えは、窓の下から、思いの外静かに帰ってきた。

 ミハイルが、何事も無かったかのように「来客」を縛り上げていた。
 小脇に数本の投げナイフを抱えて。さらにその一本が「来客」の足に。
 ……ぎっくり腰じゃなかったっけ?

 拘束するために必要な物は全部「来客」の荷物にあったから使わせて貰う。
 持ち物を調べたらロープに猿ぐつわに、麻酔投げナイフ。
 変わり種としては伝書用のハヤブサか。足輪の中身には「2×要警戒」のメモ。

「殺す気は、無かったって事か?」
「なめられたもんですニャ」
 殺す気だったら、目が覚めるのが一秒でも遅れていたら……。
 例えば致死毒を使われたら……やめよう。

「もぉ嫌ミャー……この家絶対何か居るミャー……」
 ケインが部屋の隅にうずくまってさめざめ泣いている。「もぉ」って何だ「もぉ」って。

「変な夢見るわー襲われるわー、絶対何か居るミャァ〜……」
「俺ん家は幽霊屋敷か」
 襲われる理由にはならねえ。
「まあ、起き抜けに拉致されそうにニャったら、普通ああですニャ」
 返り討ちにした俺はどうなる……あ、訓練の成果?

「んで……どうしようか、これ」
 順当に考えれば守衛に突きつけるんだが、その前に中身が気になる。
 ハンニャの中身は知らない顔だった。
 身じろぎ一つしない所を見ると、ナイフの麻酔効いてるな。

 と言うわけで、気絶させた女の方は何か聞き出せるかなと思って揺する。
 ……起きない。
 生きてる。呼吸は確か。
 女……それで、狙われたらしいのは俺とケイン。
「坊ちゃま?」
 覆面を剥ぐのに、ちょっと勇気が要った。

 知らない顔だった事だけが幸いだった。

 確かに息はしてる。目は開いている。ただ……それだけ。
 目の前で手を振ってみたり叩いたりしても、何の反応も返さない。

 彼女じゃなかった。その安堵で、一気に崩れ落ちる俺。
 性急なのは解ってる。それでも、どうしても……。

 そんな俺を余所にミハイルが未だガタガタ泣いてるケインに声をかける。
「調べ事に、なにかありましたかニャ?」
「調べ事?」
「坊ちゃまが爆睡してる間に」
 その言葉に、ケインがピクリと反応して……。
「し……しししししし知らねーミャ……おおおおオレは何にもしらねーミャ」
 ミハイルが大きく、仰々しい溜息をつく。
 これは解る。

「知ってるんだな」
「ミャアアアァ〜……」
 哀しいぐらいに解りやすい。

「ミハイル、ネコタク持ってきて。こいつら付き出すから」
「はいニャ」

 人払いのような態度をどう見たのか、さらにうずくまるケイン。
 部屋の隅にぐるぐるに丸まって、引きずり出せそうにない。

「……調べ事って、あの人の事か?」
 黙秘。

「信じてないのか?」
 蒼い尻尾が、ビクリ。

「……知らねえミャ」
「何かに巻き込まれてるなら、助けてやらなきゃ」
 やっと顔を上げて振り向いた。

 確かに、ケインは彼女の事を調べに行った。過去の経歴は一切不明。
 出身地ぐらいならと資料を見たが、該当者は無し。
 店の店長曰く、一昨年に親類の紹介で預かったと。
「それって、もしかしなくても……」
 唯一解ったその親類の勤め先が監獄。そして一昨年。
 思いっきりビンゴじゃねえか。

 ただ、話をさせたお陰でケイン自身はだいぶ落ち着いて来た。
「……あ」
「どうした?」
 そのケインが急に耳と尻尾を立てたと思うと、細かく震え出す。
 人間なら、血の気の引いた肌の色まで見えたんだろう。

「昨日、今日……ミケちゃんも一緒に、その……」
 脳裏を過ぎったのはあの夢。
 次いで浮かんだのは「2×要警戒」のメモ。
「親類調べに、一緒に行って、門前払い喰らって……」
 2×……二番目だとしたら? 1が、あったとしたら?
「ちょっと塀の上から入れミャいかミャと……」
「何でそれを先に言わないっ!?」
 ここで胸ぐらを掴むべきじゃなかった。

「こんミャのナイツに話す馬鹿野郎が何処にいるミャーっ!!」
 火傷の上に線三つ。

――守りたかったからなんて言わない。

 ガタガタと揺れるネコタク。流れていく見慣れた景色。
「何かあったら、線じゃすましてやらねーミャ!」
「思い過ごしなら願ったりだね!」
 来客二人に俺とケイン。それを押してるミハイルはホントにぎっくり腰か?
 その上、ケインの手を借りつつハンターシリーズの留め具を固定する。
「ミャったく……なんでミューゲさんはこんなちんちくりん……」
 つっても、細かいパーツは思いっきり省いたけどな。
 傍らには紅蓮双刃。選択の理由は簡単、手近だったから。
「坊ちゃまー! あと二、三秒で通り過ぎますニャーっ!」
 ミハイル達はそのまま走らせて、闘技場手前で飛び降りた。

――そんな言葉で、自分の罪を飾り立てて誤魔化したく無い。

 静まりかえってると思っていた、訓練に使うスペースの丁度真ん中あたり。
「ガ……」
 少なくとも、尋ね人ならぬ、尋ね竜がそこにいるとは思わなかった。
 夜空より濃い色の影が、口元を振るわせて……。
「ガァ〜っ!」
「おっと」
 情けない声を上げてスライディングしたホムラをかわした向こうに主任さん。
「おー、なーんか急に目ぇ醒ましてギィギィ鳴いてると思ったら、お前もか?」
 これは、運が良いのか悪いのか……。

 見過ごしてくれるだろうか。突然、夜更けに、コイツと飛ぶと言って。

 怪我で引退した元ハンターの主任。ナイツの訓練を受けてる俺。
 ホムラをなだめつつ、手荒にいく覚悟を決めようとする俺。
 そんな事とは夢にも思ってないだろうと思っていたのに……射程手前で足を止めた。

 投げて寄越されたのは革帯と角笛。
「日頃の行いがいいから、サービス」

 ……察してくれた。目が言っている。何かあるんだろと。
 もし何かあったら、テオの時も大変だったって愚痴ってたはずなのに。
「ありがとうございますっ!!」
 主任に深々頭を下げて、空へ。風に乗った。

(うわ、は、早っ!)
 人間より遙かに鋭い飛竜の知覚は何を察したのかは解らない。
 目的地を定めたホムラ、しがみつくのがやっとの俺。
 足首に巻いた手綱は、支え以上の役割を果たしてない。
 多分、街中にいた連中に自マキ持ちがいても気のせいと思ったに違いない。

 杞憂で終わるならそれで良い。実現しない不安なら願ったり。
 何事もなければ、俺がお咎め喰らって終わり。それでいい。

 その一方で、不安が正しいことを、期待している自分。

 ようやく風に慣れてきた。
 森から突き出た崖の上。眼下に広がるのはやはり森。
 それに沿う小道に、豆粒ほどの竜車が見えた。

 掠れかけていた夢の情景が、鮮明になってくる。
 蒼い月、満月、夜風。ちょうど、ホムラが旋回を始めた場所。
 丁度、飛び降りられる高さに……いや、まて、この速度だと……。

「い……っ!!」
 半ば投げ出される形で、地面に激突せず、悲鳴も噛み殺せたのは奇跡か。
 でも、やっぱり衝撃がきつい。ホムラはそのまま空の散歩としゃれ込みやがった。
 帰って、くるかなあ……。

 それは崖の縁に、立っていた。
 夜空によく映える赤い髪、赤い小さな羽の鎧。
 否応なく思い出すのは四年前。
 その得物だけが違う。
 主になる刃と別に柄頭からナックルガードに沿った刃を三つあつらえた、双剣。
 本気で、夢のまんまかよ……。

 崖の縁に立つ彼女は、振り向かない。
 さっきの、薬を使われただろう女が過ぎる。
 それだったら、どれだけマシか。

「どこまでも、絶望させてくれないね、君は」
 淡い期待は、裏切られた。

「アンタは……」
「やり直しなんて無理と思ってたのに……」
 正気だった。当人だった。
「……気のせいであって欲しかった」
 せめて正気でないなら、言い訳の一つもできたのに。

 ミューゲ。ライーザ。
 ……どっちで、呼べばいい?

 振り向いたとき、連刃がしゃらりと鳴った。
 ……目があって、微かに笑った。
「綺麗ね、その傷……」
 その後で、無理矢理笑う。
 滑稽だった。四年前のそれとは結局重ならない。

「……帰ろう。ケインが心配してる」
 重なるはずがない。
「他に言う事は?」
「カフェオレ、美味いんだって?」
 こんな、泣きそうな顔なんてしていなかった。

「相変わらず優しいね」
 俺まで泣きそうなのは、やられてるのかもな。
 それが原因で村八分にされたっていう……『視線』にさ。
「今も守る相手がいて、世話を焼いてくれるネコさんがいて」
「それは、アンタも一緒だろ」
 泣きそうで泣けない目が、俺を射貫いた。

「だったら、私が引けない理由も解るでしょう?」

(しくじった……)
 体温を根こそぎ持って行く夜風。吸い込んだ息が重い。
 しくじった。その言葉を繰り返して歯噛みする。
 畜生……街でやるべき事が、まだあった!

 目の前の女は笑っていた。
 作り物の狂気。
 滑稽だった。

 まだだ。街にはケインが居る。
 ミハイルがぎっくり腰でも対応できるのは見た。
 それで、戻ってくれれば……。
「……――」

 フォォォォ……――

 口にしようとした言葉を、何かの遠吠えが遮った。

 茂みで何か動いた。
 何かがこっちを向いた。
 左斜め後ろに飛ぶ。足下だった場所に土煙が立つ。
 心臓のあった場所、頭の会った場所を弾丸数発。
 彼女を除いて三人。俺は子供とネコ以下か?
「あの子には、謝っておいてちょうだい」
 それとも……。

「生きて帰れたら」
 連刃振りかざして飛びかかってきた、コイツに?

 キィッ……ガリッ

「くっ……っそ!」
 甲高い音は咄嗟に抜いた紅蓮双刃が、鈍い音は右籠手が連刃を受けた音。
 受けきる前に振り払う。鍔迫り合いはさせてくれない。
 腕に、夜風が忍び込む。
「……嘘だぁ」
 中で切れたバンテージが揺れる。強化にどれだけかけたかと。

  悪態を突こうとしたら、さっき地面に打ち込まれた物が爆ぜた。

「そこっ!!」
 呆ける間も無く降りかかる刃を弾きながら舌打ちする。
 徹甲榴弾。マジで冗談が過ぎる!
 打ち込まれたくない弾丸ナンバーワンでしかも速射入ってる!
 悪趣味ったらありゃしねえ!
「……っと!」
 弾かれたフリして逃げ込んだ森は、思うより明るかった。
 ガンナーの気配を捉えられて無いことに気付く。
 こっから、指揮官見つけてシメるしかないのか。

 フォォォォ……――

 何かの遠吠え、こっちを狙う何か。
 連刃を木々が阻む。木々に打ち込まれた弾丸が爆ぜる。
 コレが合図だとしたら、笛か。

 笛の音が聞こえる。弾丸に備えている間にその気配が消える。
 方向だけじゃ足りない。確実な位置を掴め。
 耳を澄ませろ。感覚を研ぎ澄ませろ。
 どっかで、高みの見物決め込んでるのがいるはずだ。

 何より先に引っかかったのは真上の枝が揺れる音。
 乗っているのは彼女……格好が際どいとか言ってる場合でなく。
「……手加減は?」
「できると、思う?」
「だよなぁ……」
 出来たら、苦労しねえか。

 躍りかかる刃をかわす。体重が乗っただろう一撃が地面を抉る。
 遠吠えに似た笛の音。木々の間を縫った弾丸数発が掠める。
 続けざま迫る彼女の剣を弾いた向こう、木に阻まれた弾丸が爆ぜる。

 独特の形をした連刃は木や茂みが邪魔になる。
 弾は森の木々に遮られて殆ど届かない。
 それに……彼女には一度素手で勝ってる。四年分の上乗せもある。
 だんだん剣の軌跡も見えてくる。平野部でも全弾かわせるかもしれない。
 環境、地力、技量、全部俺に分があった。

 最悪なのは、状況だけ。
 平和な店。身重の店長。
 店に寄ってればもっと楽だったのに。
 どんなに悔いても悔いても、悔やみきれない。

 左右上方から袈裟斬りに振りかざされる二対の連刃。
 交差させた紅蓮双刃を突きつける。

 キィッン!

(いよっ……しゃ!)
 振り下ろされた刃を必死こいて防いだ格好。
 無様とかこのさい構ってられない。彼女の顔は連刃のすぐ向こう。
 紅蓮双刃の峰の凹凸が良い具合に引っかかってる。それでいい。
 押し戻すフリをして顔だけ寄せる。
「動いてるのは、俺だけじゃない」
 小声で、嘘をついた。確証はない。店の人達の命を軽く見たんじゃない。
 ……連絡される前に、裏切りに気付かれる前にぶっ飛ばす。それだけ考えてた。

 帰ってきた返事は、冷淡だった。
「司書とぎっくり腰」
 文字通り見透かされた不安。解ってる。賭けるには重すぎる。

 押し返そうとした剣が、外れない?
 笛が鳴る。
「四年前、言ったよな……」
 連刃の向こうの顔は、諦めきっていた。
「アンタの命なんていらない!」

 やむを得ず左手を放す。体勢を崩した所で突き飛ばす。
 落とした剣を拾おうとして、笛の音が響く。

 俺達の間を掠めた弾丸は一人分。二人分が木に当たって、一つが木を抉った。
 二人分。片方が貫通弾なら俺と彼女、どちらかが死んでた。

 貫通弾なら狙いを定めるだけで片付いただろうに。
 マイラ達が森に逃げ込んだら徹甲榴弾なんて役に立たないだろうに。
 力を誇示する火竜の鎧でなく、黒装束なら俺に見つかる事もなかったろうに。

 半ばから抉れた木。もし、人間に撃ち込んだら?
 レウスSの腰から延びる、爪と尾を模した物が茂みにかかる。
 それは彼女が通り魔だった頃、最後に着てた物。

 ……ああ、そうか。そう言うことか。

 何度目かの打ち合いを切り上げる。笛が鳴る。その方向へ走る。
 俺に向けられる視線。レウスSが茂みを割る音が遠のく。
 指揮官は相変わらず見つからない。代わり、一人目の射線を捕らえた。

 上等……。

「上等だっ!!」
 吼えた。吼えて突っ走った。
 怯んだ彼女が横目に見えた。
 一足飛びに縮む距離。抉れた木の向こう、装填中の奴。

 こういう連中こそ、ぶっ飛ばしてやりたかったんじゃないか!

「遅ぇよ!!」
 右手の剣を今まさに弾が込められようとしてた弾倉に突っ込む。
 ボウガンがへし折れると同時に鳩尾に蹴り。笛の音が聞こえた。
 剣を抜きはなった勢いで弾丸を叩き落とし、二人目に狙いを定める。
 笛の音が聞こえる。

 ……外野が邪魔だ。

 紙一重で弾丸をかわす。木々の向こう。
 闇の中にさらに黒い影を見つける。
 笛が鳴る……指揮官の気配を捉えた。
 飛んできた弾丸を紙一重にかわして走る。
「おーっら……よっと!!」
 次弾を打たれる前にボウガンを踏みつけ、跳び膝を入れる。

 怖くなかったのは、薬漬けで操られてる人形だからか。
 三人目を捨て置こうかと言う考えは、すぐ捨てた。
 彼女が走って来た。
 出来ないんだろうな。手加減なんてのは。
 追いつくかどうかと言うところで三人目の鳩尾に拳を打ち込む。

 振り向いたら、ちょうど剣を振りかぶる彼女。
 がら空きの脇には、あえて入れない。
 無視して走る。追いつかれる事はない。
 すれ違い様、青ざめた顔を見た。大丈夫、もう終わらせるから。

 いっそ……一緒に逃げ出してしまおうか。

 木々の間をすり抜ける。小枝が頬を掠めるたび、その密度が薄くなる。
 嫌に明るい夜空。森が開けた。崖っぷちの近く。
 人の影、片手に羽をあしらわれた杖、恐らくは笛の影。
 もう片方……

 今まさに、本物の鳥が放されようとしていた。
 まずい!

「――――――ッ!!」
 ……何を叫んだんだろう。
 振り下ろした剣が空を切る。羽音が遠のく。視界に落ちる影。
 俺の頭上。振り上げられた杖、恐らくは笛。
 そこで見た。
 笛を吹くためにずらされてたハンニャの面。

 その下に、卑下た笑みが浮んでいた。

 必中って、思ってたんだろうな。
 振り下ろされた笛は体をひねった俺の数センチ後ろを、派手な音立てて通過。
 持ち上げようとしたそれを踏みつける。

 右腕をするりと引く。ギチリと鳴ったのは剣か、腕か。
 ハンニャの下、卑下た笑みが恐怖に歪んだ。
 そう、解ってるじゃんか。
「……バァーカ」
 遮る物はない。引き絞ったバネの終着点は一つ。
 弾けて終わり。

 賑わう店。ささやかな笑顔。壊されたそれら。

 それが過ぎった刹那。
「駄目っ!!」
 今まさに繰り出そうとした突きに、横の力が加わる。
 視界の半分を、赤い色が埋めた。
 踏み台にしてた笛から足がずれて、崖っぷち手前で踏みとどまる。
 視界の端に赤い髪が踊る。切っ先が何かに食い込む。

 ……彼女、だった。

 答えを出すよりも先に彼方の"四人目"を視つける。
 戸惑いを振り払うよりも先に銃声が聞こえた。
「こ」

 ドゥ……ッ

 言いかけた声が途絶える。彼女越しの衝撃。痛みはない。バランスが崩れる。

 弾が爆ぜた。

――いっそ、このまま死ねたら楽だったのかもしれない。

 同時刻。
 ドンドルマの街。最近流行の喫茶コケットリー。

 決して小さいとは言えない店の屋根。
 その広さは、地上の目から二人の人間を隠すのには十分だった。
 傾斜が縁から始まっているのも幸いだった。隠れるのにバランスを取る必要がない。

 その屋根の上に二人ほど。
 一人は人形のように蹲る黒子の、女と判断する要素は膨らんだ胸元だけ。
 もう一人は退屈そうに巾着を弄ぶハンニャの面を被った男。
 人には解らない匂いを零し続ける巾着袋を振り回す男は、暇だった。

 適当に脅せばそれだけで言うことを聞きそうな女。
 わざわざ事前に手を汚させて、立場を解らせる必要など無いだろうに。
 一石二鳥だとか言っていたが、不確定要素などない方がいいだろうに。
 そう思った自分が一番暇な任に当たる等、不運以外の何者でもない。

 誰も来る事はない。そう思っていた屋根にかかる、銀色の手。
「……ん?」
 それが別働隊の「標的の一つ」と知る。
 内心に浮かんだのは、技量において己を勝る者を下した少年への小さな賞賛。
 そんな猛者を相手にするはめになる不運を、男は軽く呪った。
 そう、確かにこの男は不運だった。
 ふてくされて居たが故に暇な任務を当てられたなど序の口。

 銀青を捕らえようと立ち上がった男の視界に「いてはならない人物」が映る。
「ふむ。ここ数日夢見が悪かったのだが……」
 銀青が手をかけたその横。
 たなびく黒のコートは、その時まで無かったはずだ。
 長身の上、ふわりと浮かぶ黒い髪を見落とすはずが無いと思っていた。
 裾から覗く、黒いガントレットを見ることは無いはずだった。

「正夢だったか」
 ギルドナイツ筆頭の、夜空に似た目に見据えられる事も無いはずだった。

――許してなんて、くれないよな。

 ……死んだと思ったのは、ほんの少しの間だった。
「悪いけど僕ね、結構力持ちさんなんだよ」
 意識を取り戻して聞こえたは聞き慣れた声と、乾いた音は、多分銃声。

 背中から回された腕に抱えられていた。
 崖から落ちて、受け止められて助かったのだと気付く。
 目の焦点が合わさる前に、何かに濡れた右手に気付く。
 左腕は彼女を抱きかかえていた。指先が、ずぶりと沈む。

 ふと、俺達を支えていた腕が揺れる。
「ディ?」
 合わさった焦点、ラウルが、いた。
「あ……」
 そうだよ。そうだ。俺が……行けなかったんなら……。

 腕の中の事実。自分のした事の無為。

「……あ、あァ……」

 ――何もかも、悪い夢なら良かったのに……