――こつん。

 痛い。

 ――こつん。

 痛いよ。

 ――ゴッ。
 飛んでくる礫は止まらない。どんなに叫んでも勢いが止まる気配もない。

 止めてよ!

 ――ゴツン、ゴッ、こつん。
 腰に差してたおもちゃのような木剣に手をやる。それでも止まらない。
 そいつらは「自分達に」それを振るえないことを知っているから。

 ――こつっ。

 何で、何で、何でボクなの!?
 ボク、何にも悪いことしてないよ!?
 何で、何で、何で、何で、何で、何で、ねえっ!?

 それでも何とか逃れたくて、礫を狙ってそれを振るった。

 あの頃イメージに留めていた事はそのまま実行に移された。

 その刃渡りは思ったより長かった。
 その刃は真剣だった。

 ――……っ!?
 自分がしでかしたことに気付いた瞬間、目が覚めた。


   ――――『千里眼奇譚再び』――――
           Your Shadow

 全身をじっとり濡らす汗。痛いぐらいに脈を打つ心臓。
 温暖期の熱帯夜。満月手前の月が嫌に明るい。
 肺が過呼吸上等と言わんばかりに酸素をねだる。
 それを押さえ込むつもりで、大きく息を吸って、吐いて、吸って、吐いて……。

 落ち着け、落ち着け俺。夢だ。ただの夢だ。
 とっくの昔に終わった、ガキの頃の夢だ。

 こないだは爆弾ネコから姉貴だっけ。今回はアレか、アイツの話か?
 自分の単純さに我ながら泣けてくる。
 そう思って拭う真似したらマジで涙の跡がある。
 いや汗だろ。汗だよな?

 考え事。悪い夢。熱帯夜。
 眩しいぐらいに光る月。明日何処に行くでもない。
 今夜はもう寝るなってか?
 時計が午前二時で止まってる。寝る前のネジ回し忘れてた。

 体は睡眠を要求する。なのに目は冴えている。
 体は鉛のように重くて、頭は朦朧。なのに、目だけが嫌に冴えている。

 周囲の目に対する脅え。
 それでも助けたかったという気持ち。
 言葉を聞き入れられない絶望感。
 一線を越えたその時、何もかも諦めた。
 ……それが、四年前に俺が『視た』全て。

 可哀想だとは思う。哀れだとは思う。
 だけど、それが十何人もの命を奪う免罪符にはならない。
 本当に死罪になっていたとしたって、マイラは未だに脅えている。

 ミケ姉や先輩に話せなかった。
 頭ごなしに疑うような二人じゃないけど、それでも。
「呪われてるな……」
 故人であってくれと思ってしまった自分が、すっげ嫌。

 もし、あの時姉貴が来なかったら?
 もし、母さんが泣いてくれてなかったら?
 もし……ハンターになることを反対されていたら……。

 そこまで考えて思う。
 狩り場に逃げた俺も、結局は一緒なのか?

 意地でも眠ろうとして、何とか寝付けるかどうかという所。
 台所からなにやらドンガラガッシャン……って……。
「ミハイル!?」

 見に行ったらそのミハイル、倒れてた。
 すぐ側に転がってる大樽。ぶちまけられた小麦粉。
「か、狩り場でも坊ちゃまのお役に立てればとぉ〜……」
 ……大樽爆弾のつもりか?
「あー……うん。無理すんな」
 標準で猫背な上に年なんだから。
 ジンの話してから何か妙だと思ったら、これかい。

 で、俺の整体をねだるミハイルを(無理矢理)担いで病院へ向かう。
 ケインの脱臼とぎっくり腰は全くの別物だっての。

 火傷跡を指摘されてファンデを適当に塗りたくった。
 整えるのは歩きながらでも出来る。今日の陽気で崩れなきゃいいけど。

 で、病院に行ったらその銀青トラのケインと鉢合わせして、
「つーん、ミャ」
 なんか不機嫌な態度を取られる。
 気まずい空気が流れること数分。
 口を利いたのは診察室に呼ばれる直前だった。
「ミケ嬢ちゃんが、三時頃に双焔持って鍛冶屋に来い言ってたミャ」

 で、ミハイルを看て貰ったはずなのに、なんでか俺が二時間近く拘束される。
 実験台はそのミハイルだったけど。
 脱臼とかしたときにこういう技術はあって困らない。
 ……でも、出来ればぐっすり眠った後に教えて欲しかった。

 結局解放されたのは昼過ぎ。
 今日はまた憎らしいぐらい、暑い。
「いやー久々に天にも昇る気分でしたニャー」
 目が覚めてからおよそ十時間。
「そりゃ、どーも……」
 眠い。つーか……今日、あづい。

「いっそ先生に習って開業でもしたら……あー、やっぱりダメかもニャ」
 危険な稼業からってことじゃないよな。何でそこで言い淀む?
 ハンターには諸手をあげて、ナイツになったつったらぶっ倒れた理由は未だ謎。
 ただ……。
「用もないのに入り浸る、”馬鹿”が居そうですニャ」
 それも何となく、ミハイルの指さした先を見てると解る気がする。

 建物の隙間から、こそ泥みたく周囲うかがってるナイツ筆頭を見てると。
 ……ほっかむりは余計目立つだろーに。

「そういやミハイル、知り合いか?」
「とりあえずあの馬鹿は何やっとるニャか」
 俺の質問は無視か? それともそれが答えか?

 筆頭の消えた裏路地を注意深く探ってみる。
 建物の影に一人、はす向かいの通路に一人。
 もっとよく探ると向こうにもう一人。
 筆頭からは死角だけど俺達からは丸見えの所に、ラウル。
 スーツじゃなくて頭以外フルフルUで固めてるし、今日は非番か。
 そして……。

「おやディしゃま、奇遇ですニャね」
「いぃっ!?」
 元の方向いたら昨日のアメショ。ひょっとして、結構な婆さんか?
 そう思った次の瞬間、手前に気配を感じて首を戻す。

「余計なことに首突っ込むと長生きできないよー?」
 いたのは天使を模したフルフルSとピンクのUをちぐはぐに着た赤毛の女の子。
「でも、僕らには渡りに船かもしれないね?」
 紫色のガルルガシリーズを着たラウルと同い年ぐらいの白髪赤目……いわゆるアルビノ。
「カッツェだけだと時々バレるんだよねー」
 で、そのラウル。

 以上三名、俺の両肩と頭をそれぞれ押さえつけていた。
 二人が小柄なせいかラウルがでかく見える。いや、元々背丈ある方だけど。

 そして結局……。

「手伝わされる事になるのな」
「坊ちゃま、人が良すぎますニャ」
「まま、そう言わないでよ」
 昼なお薄暗い裏路地。
 俺の腕しっかり固定してるのはフルフルの、ヴァリスさん。

 標的は俺達が背を預ける空き家の向こう。
 一本道に入ったところで挟み撃ちにする手筈。
 千里眼の使い手がいたほうが好都合なわけだ。
 カッツェも『視える』らしいけど。

 ……寝不足つったら体調管理は自己責任につき拒否権無しと言われた。

 相手はナイツ筆頭。どれだけ『視て』いてもバレないかが全く解らない。
 いや、既にバレてるかどうかも解らない。
 下手に尖らせてもバレる危険性が増す。

「きつそーだね?」
 貰った元気ドリンコは既に四本目……寝不足も手伝って、キツイ。
 薬でごまかすのにだって限度ってもんがある。
 頭の靄は一応晴れているし足下がおぼつかないこともないけど……。
 これがどこかで跳ね返ると思うとぞっとしない。

 周囲をうかがっているように『視え』るのはバレたか、ただの警戒か。
「なーんか懐かしいねー」
「懐かしい?」
 ……そんな俺の気も知らない赤白天使。
 屈託の無い顔でこっちを見上げてるが、何でかそれが薄ら寒い。
 何というか、明らかに年を偽られてるような。
「そうそう。アガさんとアタシとオフィでアルビノトリオ〜、とかよくね」
 オフィっていうのはあのガルルガ装備のねと付け加えて。

「アガさんってのは?」
「あれ、ジャッシュのおじちゃんから聞いて無い?」
「……ああ」
 ここに来て、故人の影二つ目。

 その人が、アイツを捕まえてくれていれば今朝みたいなことは。
 そう思ったのは本当に一瞬でも、バチが当たったのかもしれない。

 筆頭が『視界』から消えた。

 直後、俺達が寄りかかっていた空き家の窓が砕ける。

 振り向いた一瞬見えて消える黒い裾。
 背後から掴み上げようと伸びる手。
 振り払い際、威嚇とばかり手刀を構える。
 予想通りの位置いた筆頭と目があって……
「何だ。思ったより反応いいな」

 嫌な笑みだった。
 それだけなのに、全身強ばって動けなくなった。

 肩に乗る重み。「何か」に吹っ飛ばされるヴァリスさん。
 自分が一瞬で気圧されたと理解する間の事。
 何とかしようとして……右頬にヒヤリと触れる何か。
「尾行がばれて返り討ち、と言うところかな?」
 ……すぐ後ろにいた。
 腕は後ろ手に固められて動きようがない。

 防御の為に腕をクロスさせたヴァリスさんの背後、壁にヒビが入ってた。
「ひっとー、痛い」
 蹴る方も蹴る方なら防ぐ方も防ぐほうだ。

 全身を縛り上げるような殺気は綺麗に消えて、ようやく自分の現状を知る。

 突きつけられてるのは峰がノコギリ状の……いわゆるソードブレイカー。
 ミハイルは何処だと思ったらヴァリスさんの下敷き。
 位置的におかしいからカウンターでも喰らったんだろうか。

「ま、そろそろ帰ってやろうか……」
 観念して天を仰ぐ。ふと、僅かばかりの日光が遮られ……。
「ルシしゃま、スキありニャーっ!!」
 蒼装束のネコが降ってきた!?
「だああああああああっ!?」

 スレスレに叩きつけられる樽ハンマーが石畳粉砕。当たったらどーすんだこれ。
 逃げ出す筆頭、今帰るつってた矢先にだったのに。
 出口の横から(おそらくぶつける意図で)ぬっと出た「何か」をくぐって……

 ずどんっ

 ぼふっ……。

 昨日の粘着ネットにあっさり絡め取られる筆頭。
「だーっ!? なんだコレーっ!?」
 ナイツ筆頭が昨日の俺よりパニくってるんですが。
 もがきにもがいて訳のわからない状態になってくのを、俺は呆然と見ているだけ。

 そして出口の横からガーディアンシリーズで全身がっちり固めた男が出て……。
「イリスではないが、戯れもほどほどにな」
 訂正、声は確実に女。
 ナイツってひょっとして、こんなのばっか?

 まあ何はともあれ、そのまま筆頭は無事に連行。
 釣れた釣れたとか色々聞こえるけど……。
 うん。聞いてない聞いてない。
 最初からその目的だったんじゃねえよな?

 で、裏通りを抜けて残ったのは俺と、ミハイルと、カッツェって老猫。
「いや申し訳ありませんでしたニャ」
 行かなくていいのか聞いたら、千里眼で見張るなら逃走先でたむろする方がいいんだとか。

「まったく、あの山娘無しニャと、ここまで手こずるもんですかニャア」
「山娘?」
「イリスだニャ。副官気取りのあの女、丁度非番でしてニャ」
 ……プライベートあったんだ、あの人。

「まったく、ルシしゃま何故があんな得体の知れぬ者を側に置かれるのか理解できませんニャ」
 そのまま不機嫌そうに尻尾を振るカッツェ婆さん……嫌な予感。

「別にはっきりしておられるのニャら賊だろーが娼婦だろーがかまわんのですニャ」
 始まったのはおばさん特有の愚痴だった。
「ですが温室の花にを野に出せば枯れ、逆もまたしかりと思いませんかニャ?」
 とりあえずこの婆さん、イリスさんが相当嫌いらしい。
「ま、そう言う意味ではアガしゃんは真っしゃらニャったから楽でしたケド」

 そして、裏通りを出たのは失敗だった。
 ネコとはいえナイツ。食材屋のおばちゃんとはワケが違って逃げられない。
 日陰ならまだしも、日向でこう、拘束されると、その……

「カッツェ、お前は坊ちゃまをこんがり肉にする気かニャ」
 ミハイル、それは直球過ぎ。

「おや、それは失敬」
 
いや実際焼けそうだったけど……。

「ふむ。ディしゃまは貴賤で人を判ずるのがお嫌いと見える」
 そりゃ、誰だっていい気しないと思うけど……。
「良い傾向ですニャ」
 答えあぐねた俺を見て、化け猫がにぃっと笑う。
「やんごとなき血は、野の花をお好みになられるのですかニャア?」

 やんごとなきって……母さん繋がりか。
 ようやく解放されたけど、やっぱり動く気力がない。
「アイスでも買いますニャ?」
「……どこから?」
「件の店から」
 それ、なんの嫌がらせ? いや、確かに美味いけどさ。
 ちくしょう、寝る。帰って寝てやる。家までの距離が恨めしい。
「ついでにちょっと探りを」
「いらねえ」
 良い具合に引っ張った赤虎の縞が、邪推って字に見えた。
 そして今の俺に周辺状況把握能力は、多分無い。

「ディ君、なーにぎっくり腰の中年引っ張り回してるミャか?」
 近寄ってきたケインにも、
「君、大丈夫?」
 その横に立つ、半袖のワンピースを着た彼女にも気付かないぐらいだったのだから。
 ……泣きそうな顔をしていたのは、気のせいか?

 疲弊の主原因は寝不足と疲労の比率が大きかったらしい。
 暑さに関しては、氷結晶一個で事足りた。

「はい、どーぞ」
「いやはや、買いに行く手間が省けましたニャ」

 広場の片隅、日陰の椅子。手にはあのアイスと氷結晶。
 人の往来は相変わらず。街の喧噪は相変わらず。
 さっさと帰って眠りたい心理一つで、それが嫌に恨めしくなる。
 なのに、ケインのお陰で逃げ出すこともできやしない。
 ……いなくても出来ないだろうけど。

 胸元のはだけたレウスSと、制服じゃなくて半袖のワンピース。
 人っ子一人いない袋小路と人の行き交う広場。
 だからなのか?

「頬、大丈夫?」
「ええ。ちょっとした名誉の負傷って奴で」
「ふふ。ソレなら、下手な化粧よりステキかもしれないわね」
 穏やかに笑うその人はやはり、四年前の記憶と重ならない。

 街は相変わらず騒がしい。人の往来は変わらない。
 誰の視線が向けられることもない。
 何か、警戒してる俺の方が悪いみたいじゃないか。

 その警戒も、何故だか自然とほぐされているような気がするのは……
 うん。この炎天下で疲れてるせいだ。

「ミューゲさんも人が良いミャ。こんミャちんちくりんほっといていーのミャー」
 ケイン、今朝の不機嫌の原因てひょっとして……。
「ひょっとして、坊ちゃまにジェラシーですかニャア?」
「ちちちち中年親父はだまってろだミャッ!」
 解りやすー……。
 そのミューゲさんのスカートを掴んで離さないお前はいくつだよ?

 隣に座られるのは、流石に恥ずかしいから間にミハイルを挟み込もうとした。
 まあ、そこは皆まで言う前にケインが入り込んだけど。
 で、ミューゲさんとケインの間にミハイル。
 ネコ同士尻尾の抓り合いは、人間二人目配せして、見て見ぬふりを決め込んだ。

 クッションが二つあるお陰で、会話も実にスムーズ……だったかな?
「昨日の子、大丈夫だった? 真っ青だったけど」
「あ、いや、アイツはただ……」
 ……俺の方はガチガチだった。この後どう続けよう。
「ただ?」
 まさか通り魔と瓜二つだなんて言えず……。
「昔の知り合いに似てたんです」
「……良い思い出じゃ、無いみたいね」
 その物ずばりを言うより、マシかな?
 顔を曇らせるその人を見ながら、マシだったと思うしかない自分が嫌だ。

「でも奇遇ね」
「……はい?」
「私も知り合いと思って近寄ったの」
 まさか……無意識のうちに強ばった腕を、
「だだだだだだだだっ!?」
 ケインに思いっきり抓られた。
 しかも爪出してんじゃねーよこの野郎っ!!

「こぉーら」
 即座にミューゲさんのヘッドロックがケインに決まる。
「あミャ〜ん」
 ……お前、解ってたな。解っててわざわざ爪出して抓りやがったな!?
 一番下心が満たされてるのは、間に挟まれたミハイルだけど。
 それ、ケインにばれたら爪じゃすまねえぞ?

「このちんちくりんが、どのようなお知り合いに似てましたのミャ?」
 ケイン、お前の方がよっぽどちんちくりんだろうがよ。
 俺のはラウルとか先輩とかデカイのが周りに多いだけだっての。
 とはいえ、ケインの横やりは俺からしても助かった。

「恩人よ」
 その言葉と一緒にケインを解放する。同時にミハイルはちゃっかり蹴落とされた。
 そして、アイスを渡したときとは違う穏やかな、でも。自信に満ちた顔で言った。
「世の中に、光があった事を教えてくれた人」
 胸に手を当てたのは、「心の」と言う意味だろうか。
「その人は、そう思ってはいないでしょうけど」

 俺が忘れてるだけなのか?
 それとも本当に別人なのか?
 言葉からは、なんの確証も得られない。
 ただ……。

「泣くほど、似てた?」
 哀れんだだけで、そんなことはないと思った。
「へ?」
 ……あれ?

「私、泣いてた?」
 え、何? 俺の気のせい? いや、泣いて……たよな?
 丸一日経ってしまうとこんなに記憶って頼りないのか。

 終わりは、唐突に訪れた。

「ミューちゃーん。ゆっくりしてらっしゃーい」
 声の主は、雑貨屋の店先から出てきた妊婦さん。
 ギリギリ確認できる表情に、意味ありげな笑みを浮かべて。
「ちょ、ちょっと店長ーっ!!」
 流石にこの意味は俺にも解る。

 その店長という人は、身重という言葉を疑いたくなるほどすたすたと路地の、あの店の方向に消えて行ってしまって……。
「ああああ、もーっ!!」
 なーんかこうしてみると、コロコロと顔も声も変わる人だなあ……。

 その人も追い掛けて路地裏に消える間際、思い出したように後ろ歩きで戻ってきて、
「今後とも是非、喫茶『コケットリー』をごひいきに!」
 満面の笑顔で、弾む声で、勢いよく頭下げてった。

 ……ケイン。居なくなった途端に本気で腕を抓りにかかるな。
「おいディ坊」
 それは鍛冶屋のおっちゃんの呼び方だ。
「あの人の事悪く言ったら、俺が承知しねえミャ」
「……どう承知しないんだ?」
「少なくとも、頭蓋骨陥没じゃすまねえのミャ」
 ああ、コイツのブックカバーマカライト製だったけか。

「ついでだから教えてやるミャ。ライーザ=フリューゲルの処刑は一昨年。ミューゲさんは去年から働いてるのミャ」
「……そっか」

 アイツのはずがないけど、それで良いと思った。
 もし誰もその狂気を感じ取れていないのなら、どちらにせよ四年前のアイツはもういない。

「暑くてグダグダならあの人のカフェオレでも飲めばいいのミャ」
 店が店だけど先輩がまったく気付かなかったんだから。

「美味いの?」
「絶品ミャ。気持ちがすっごく落ち着いて、ちょっぴり幸せになれるのミャ」
 これ以上悪く言ったら、それこそマカライトブックカバーの角が来そうだし。

 温暖期の三時前。
 一番日差しのきつい時間。

 もっとも、鍛冶屋なんて寒冷期まっただ中でも灼熱地獄だけど。

 ミケ姉の案件は、先月のテオ素材。
 大半がミケ姉のカイザーN(ネコ)に消えたけど、塵粉が結構余ったということで……。
「おう、ディ坊!」
「へぇーい……」
 双焔、紅蓮双刃に強化して貰った。
 これ不正じゃないのかなと……ダメだ、言う気力も無い。

「私が見た時も、やっぱり泣いて無かったけど?」
 何故だかマイラ同伴。防具のカタログを見ながらうんうん唸ってる。
 アイツの実力じゃあ、まだヒーラーU以上のは無理無理。

 ただこれで、これでやっと帰って寝られる……それだけだった。

 ここ数日を振り返る。黒グラ様相手に常時強走薬グレート使用。
 帰るなり先輩にゲリョス引っ張り出されて……やっぱり薬漬け。
 そして昨日は叩き起こされたあげくホムラと追い掛けっこ。
 ……寝る。ぜってえ明日は昼まで寝てやる。

 やっと、寝られると思ったんだ。
「でも、ディ君は付き添いできる状態じゃ無いわね」
 ……はい?
「お二人は今から狩り場ですかニャ?」
「夜中においたするドスファンゴさんがいるんです」
 ひょっとして、時間指定で呼び出された理由はそれか。
 素材ついでに試し切りまでさせてあげますな魂胆か。

「やっぱり、ダメですか?」
 マイラ、こっち見るなマイラ。お願いだ、今日は勘弁してくれ。

 と言うことで、おやすみベアをたぐり寄せて……

 もふっ

 自分から頭を突っ込んだ。

 どうも今日の俺は睡眠倍加スキル絶賛発動中らしい。
 それはもう、速やかに夢の中に落ちていった。

 余りに慌ただしい一日。
 始まりがミハイルのぎっくり腰だった事など、すっかり忘れていて……。

「ミハさん、今日はコレ運ぶの難儀じゃねーのミャ?」
「確かに、坊ちゃま結構鍛えられておいでですからニャア……」

――これが幸運とも不幸ともつかぬ、最初の一手とも気付かずに。