私、エノと申します。
 ジャンボ村で給仕猫として働かせて頂いてますニャ。

 この村の……今となっては「元」村長に拾われてからはけっこう長いんです。
 ですが、肝心のハンターが来られたのは思えば、ほんの二年ほど前でございますニャ。
 そのご主人……。

 ボフンッ!

「何でこー上手くいかんかねえー……」
 ……また、調合に失敗しておりましたニャ。
 これで何個目でございましょう。

 いえいえ。調合が苦手と言う事はございません。
 むしろ得意だからこそ、創意工夫と試行錯誤を繰り返すのでございますニャ。
 何でも、ポッケ式の調合法をお試しなんだとか。
 火炎袋よりは、カクサンデメキンの方がお手頃ですからニャ。

 どうやら髪を整えるのも忘れておいでのご様子。
 緑に染めた生え際から、本来の蒼が見え隠れしておいでです。
 告白致しますと、これまでご主人の地毛の色を知りませんでした。

「それ、今夜の食材にいたしますから綺麗にお願いしますニャ」
「あいよー」
「冗談です……ニャ!?」

 無論、冗談です。
 ですが、本気でやりかねないのが恐い所でございます。

「食材を箒で掃くニャーッ!!」
「え、あれ、冗談じゃなかったん……?」

 腕は、確かなんですニャよ。これでも。

   ――――『鎌とネコと英雄と』――――
      小さな偶然、大きな奇跡

 それは良くある狩りのお話。
 小さな集落に伝わる英雄のお話。

 先日催された祭りの余韻か、温暖期の日差しが心地よい。

 温暖な気候に恵まれた開拓地、ジャンボ村唯一の酒場。
 あるのはカウンターと、クエスト用紙を濡らさない為の屋根だけ。
 こんな日には、いつもと違う意味で寝て過ごすのがいる。
 例えば今、カウンターでのたくっている、白いプレートスカートと羽兜の娘とか。

「のぅのぅ、沼地で手頃なお仕事はないかねぃ」
「……こんなにお天気がいいのにですか?」
 そうそうと、気怠く揺れる頭に会わせ、揺れる兜の羽飾り。

「雑貨屋ぬこが、のりこねバッタ欲しいんだと」
「またですか……えーっと、ゲリョスとかそんなぐらいですねー」
 この村最古参のハンターはしかし、基本的にやる気がない。
 やる気がないように見えて、チマチマしたお願いには積極的。
 かと思えば古龍が来たとき、返り討ち通り越して狩って来た。

「ふふ。弟さんが行っちゃって、淋しかったりしますー?」
「んー、迎え酒と称してもう四、五杯飲ませときゃ良かったかねー」
「アル中で逝っちゃいますよ……」
 最近の武勇伝と言えば、飲み比べで並み居る男を下した事か。
 運悪くその日に姉を訪ねた弟は、結局姉と狩りに出ること無く帰って行った。

 リネット=エイン。通称リィ。
 ハンター歴二年にして、ジャンボの英雄と称される弓使いである。

 ジトジト、ジメジメ。日暮れ過ぎれば毒の沼。
 木々が立ち枯れたような姿を晒すのも無理はない。
 しかし、空まで紫に見えるのは気のせいか?

 ふぉっ。ぱふっ。かさかさかさ。
 米虫を手に入れました。

 その一角、陰気な沼の更に奥。
 陰気な森の片隅で、一心不乱に網を降る。

 ふぉっ。ぱふっ。かさかさかさ。
 虫網が壊れてしまった。
 にが虫を手に入れました。

 ポーチにギチギチと詰まっているのは、米虫二十匹と、にが虫一匹。
 それをのぞき込み、肩と一緒に羽根飾りを振るわせる娘が一人。
てめぇら……まとめてチャーハンにしたろかーっい!!」
 リネット=エイン、十九歳と半年。
 沼地の片隅で物欲を叫ぶ。
「あー……リュウノテール、ストックあったかねぇ?」
 次いで、食欲を呟く。
 気を取り直して他にも無いかと採集に。

 そんな彼女の背後、沼地の瘴気に紛れ動く影。
 気を取り直して採集に入った彼女に気付かれぬよう。
 密やかに、しかし確実に。

 そ〜……っ

 ぐわしっ

 捕獲、一匹目。
 それを見て、動揺する影がもう一つ。
 しかし、意を決したかのように忍びより……。

 こそこそ、さささっ
 そ〜……っ

 ぐわしっ

 捕獲、二匹目。

 ちなみに、最高記録はディアブロスを狩りに行った時の五匹。
 両腕に二匹。その二匹に挟んだ形で一匹。
 真ん中に挟まれた一匹曰く、死んだ方がマシな思いだったニャとか。

 腕の中で藻掻くもこもこを余所に、捕らえた当人素知らぬ顔で採集中。

 殴られたり蹴られたり、はたまた大上段に斬りかかられるのだって慣れっこメラルー。
 それでも、いや、むしろそれ故か。
「ごめんなさいニャーッ!」
「助けてニャーっ!!」
 動けない事の方が余程恐ろしかったらしい。

 しかし、リィは気にも留めない。
 そのまま採集に勤しんでいた手がふと、止まる。
 籠手の隙間からゆっくり染み込む物。
 錆の匂いと赤い色が、即座に脳裏に浮かぶ独特のぬめり。
「……んあ?」
 決して、初めて知るものでない。

 幸いだったのは、それがこの場にいる誰の物でも無かった事。

 沼地の片隅の森。さらに奥、ここでは貴重な清水の沸く所。
 その赤の主は、そこにいた
 二匹の黒猫が狙った物が何かは、言わずもがな。

「そうなら言ってくれりゃあいいのに……」
「……ごめんニャ」
「でも、ありがとうだニャー」

 足に深い傷を負った、白い子猫。
 メラルー二匹が目を背ける。傷はそれほど深く、痛々しかった。
「傷を、ちょっと診せて貰うね?」
 深い。良く洗われている故に、それがよく解る。
 その代わりと言うべきか、止血、傷の洗浄、どれも良くできている。
「……よく頑張ったね」
「ママが、お医者さんだたから……」

 リィは思う。妙な偶然があるものだと。
 彼女の父もまた、医師だった。
 血を見ると、卒倒するようなへたれではあったが。
「でも、迂闊に薬は使えないね」
「ニャ?」
「無理に塞いだら、最悪一生ぱっくり」
「ニャーッ!?」
 おたおたするのは黒猫二匹。
「縫うけど、大丈夫?」
「だ……大丈夫ですニャ!」
 口元を噛みしめるのは白猫一匹。

 そこからは実に手早かった。
 手近に生えていたネムリ草とマヒダケで麻酔を作る。
 先ほどの苦虫を、メラルーが持っていた大地の結晶と合わせて抗菌石を作る。
 それに針を擦りつけ、糸を通す。

「……大丈夫、大丈夫……」
 これでも、医者の娘だ。
「ぬいぐるみ……ぬいぐるみ……」
「ちょっと待つニャ」
 もう、外野の声は聞こえない。

 聞こえるのは麻酔を嗅いだ猫の寝息。見張りに立つ二匹の足音。
 チクチクという音は、その光景を見てこそ聞こえるのだろう。
 数分とも数時間とも思えたその、正確な時間は誰にも解らない。

 季節は温暖期。
 だが、手を止めた彼女の額に滲む汗は、決して暑さのせいで無く。

 縫い目を隠すよう包帯を薄く巻き、抗菌石の粉末を軽く擦り込む。
 更に上から包帯を巻き、一通りの措置が終わる。
「し……しんどかったぁ……」

 麻酔でぐっすりの白猫。
 周辺を警戒していた黒猫の一匹。
 額に滲む汗を拭いてくれていたもう一匹。

「お疲れ様ですニャ」
「やっぱり、ぬいぐるみとは、訳が違うわなー……」
「だからぬいぐるみ言うなニャ」
 ゲネポスはおろか、ランゴスタ一匹やって来なかったのは幸いと言える。
 ここでゲリョスなどに来られたら、守りきる自信などなかった。
 いや、だからといって今思い出したように来られても良いわけでは……。

 ばさっ、ばさっ……

 そう思った時に聞こえる羽音は、ただの勘違いだと思いたい。
 羽音の中に、ピチャンとか、ビチャッとか混ざる道理が思い当たらない。
 いや、その水音も、どことなく、粘性を帯びているような……。
 振り向いて見れば、影の真下に赤い点が……

 ぼちゃっ

 落ちた。
 落ちた側から清水に流され消えていく。
 やがて、羽音はいよいよ近くなり……堕ちた。
 擬音で言うなら、それこそ、ぐちゃり。

 ゴム質の皮はしかし、一度のバウンドもすることはなく。
 しわくちゃなクチバシの上、いつもならご自慢のトサカを乗せていただろう毒怪鳥。
 しかし、今やその姿は直視もままならぬ有様だった。

 トサカは何か鋭利な刃物でスッパリ……本当にスッパリと切られていた。
 倒れ込んだ体でもう隠れて見えないが、リィは不運にも直視してしまった。
 ずんぐりした腹に刻まれた傷から、垂れ下がっていた物を。

 麻酔から覚めた一匹を含めた猫三匹。
 震える彼等を抱きしめる人間一人。
「あ、アイツニャ……」
「きっと追いかけて来たんだニャ」
 弱々しい声と共に、巨大な命が緩やかに尽きていくのを見ていた。

 そして……。

「さーて、剥ぎ取るべ」
 労せずして、クエスト達成。
「もっと他に言う事無いニャかっ!」
「いやー、アタシこいつ狩りに来たわけでー」

 ざしゅっ

 狂走エキスを手に入れました。
 狂走エキスを手に入れました。
 狂走エキスを手に入れました。

 コレ幸いと、剥ぎ取りを済ませた彼女を見上げる、六つの瞳。
「……じゃあ、帰っちゃうのニャ?」
 猫好きな彼女を見上げる、六つの宝玉。
「んー、まあ時間はたっぷりあるしねぇー」
「だったら、お願いがあるのニャ……」
 純真無垢な六つの瞳は気付いていない。
 青紫の空を見上げた彼女の顔が、だらしな〜く緩んでいる事に。

 そして、リィは後悔する。

(あっはっはー……だよねー、だよねー……)
 清水が小さな滝となって流れ込むその先。
 沼地の奥地、中央。立ち枯れた木々、に囲まれた、ぬかるむ広場。
 どことなく淀んだ空気の中、まばらに生えるはキノコのみ。
 紛う事なき沼地の中央に、それはいた。
「アイツ、最近やって来て暴れ回ってるのニャ」
「キノコ取りしててざっくり来たのニャー」

 それは言うなれば、巨大な青ヤドカリ。
 渦を巻く貝殻は十メートルはあろうか、そこから生える、硬くて青い足。
 矢をつがえて引いている間に、迫られた事幾度。
 二本ほど際だって太い腕に、鋭い刃物がしまわれていることを知っている。
 避け損ねて、回復役を傷にぶっかけた事幾度。
(あ、縫わずにそっちでくっつける手もあったな)
 その時痛みで失神して、報酬の三分の一を持って行かれた事は忘れている。

 リネット=エイン十九歳と半年。
 ショウグンギザミが、ゴキより嫌い。

 それでも、足は確実にそれへと歩を進め。
 それでも、手は得物を握りしめ。

 たとえ、ゲリョスには無駄と一切シビレ罠を持って来なかったとしても、
 たとえ、ゲリョスには効くと睡眠瓶とその材料ばかり持って来たとしても、
 たとえ、ゲリョスは洞窟に来ないとホットドリンクを持って来なかったとしても、

 草葉の陰から見つめる六つの瞳。
 三度の飯より愛しいぬこたんの為。

 雨は降っていない。ぬめりは足を取るほどでない。
 縄張り争いの余波か、小型モンスターはいない。
 敵は、泥濘をあさってゆっくりとお食事中。
 ご自慢の鋏で地面をほじくり返しながら。

 怖じ気づいてはいけない。
 アレの狼藉を思い出せ。
 狼藉を、狼藉を、狼藉を……。

「やったらーっ!!」

 ぺちっ

 火蓋を切った第一投、はペイントボール。

 ただの、何の変哲も無い、ありふれた。
 ……食事中の相手にぶつけたことを除いては。

 ギッシャーッ!

 高く響く金属音。吹き出したのは泡の音。
 足の回転によって振り向いたその表情は読めない。
 ただ、振り上げられた巨大な鎌が、口元に沸く泡が、
 そして何よりも、締め上げるような殺気があった。

 弓を展開し、矢をつがえ、狙い、見据え、走る。
 殺気に体を締め上げられる前に。

 十九年と半年のうち、数少ない苦労で学んだ事がある。

 真正面に立ってはいけない。立ち止まってはいけない。
 突進でなく、本当ににじり寄って来るが故に。
 基本だけでは足りない。立ち止まって良いのは射る時だけ。

 巨大なギザミが迫る。
 立ち止まって良いのは鎌を振り下ろすその一瞬。
 それまで走る、走る、走……。
「でかーっ!?」
 眼前に迫ったギザミは、でかかった。

 どれほど巨大なのかと言えば、彼女を両断すべく水平に振るった鎌が、

 スカッ

 彼女の上を通過してしまうほど。
「……あれ?」
 横が駄目なら縦と鎌を振り下ろしてみる。

 ずしゃっ

 獲物を捉える前に土にのめり込んでしまった。
 しかし、仮にのめり込まなかったとして、奥に入られた獲物を斬ろうと思えば自分もろとも。
 細い足で踏みつぶそうにも、関節の間をキープされてはままならず。

 リィはリィで攻撃位置が丁度ギザミの射程範囲。
 この密着状態で弓の利点を活かせるはずもなく。
 かといって迂闊に背を向ければ切り裂かれるとあっては逃げる事もままならず。

 歩く。動く。歩く。動く。
 詰めれば安全な狩人、詰められると攻撃できないギザミ。
 至近距離で真価を発揮できない弓、手前なら全てを両断できる鎌。
(うーむ、やっぱディにもう四、五杯飲ませておくんだったか)
 こんな時、双剣使いの弟がいないことが悔やまれる。

 それからおよそ数分、ギザミと狩人、空しい位置取り合戦が続くと思われた
 ギザミがぴたりと止まる。狩人もぴたりと止まる。
「んゆ?」
 ギザミの顔は、狩人とはまったくあさっての方向に。
 自慢の鎌もまたしかり。そしてそれを地面に突き立て、地面に潜り込んでしまった。
「……やば」

 足に全神経を集中させる。いつでも走れるよう身構える。
 そして全身が泥濘の震えを察し、跳ねた。
「っとぉ!?」
 そこを、彼女の立っていた場所を狙い、突き出される鎌。

 とにかく必死に走る、走る、走る。
 その後に突き出す鎌、鎌、鎌。
「だあああああ――――っ!!」
 基本進路は円。時々慣性の法則に従った前方四十五度のサイドステップ。
 ボウガンに比べれば軽いとはいえ、弓を持ったままのハイテンポダンス。

 場を立て直さねば。
 探せ、探せ、探せ。
 あの大鎌が難儀しそうな地盤の場所。
 思い出せ、思い出せ、思い出せ。
 前ここで相手をした時の、ギザミの移動進路。

 清水の場、滝の横を登らねばならない。
 その壁沿いの穴、火山の岩盤を貫くそれには意味がない。
 ベースキャンプ、論外甚だしい。

 でたらめなステップは、何時しか両者を清水の滝へと追いやる。
 迫る震動。逃げる先も一つなら、迫る先も一つ。
 清水の滝、その横の岩盤。纏う鎧は翼ある陸の女王。
 やってやれない事はない……!
「いったっらああああああっ!!」

 泥濘からの跳躍。
 滑りやすいはずの岩盤。
 過たず捉える靴底。
 一瞬壁に付いた両の足。

 総重量どれほどとも解らぬ体が、飛んだ。
 リオレイアよろしく縦に回る体。
 大鎌が羽根飾りを掠める。
 岩盤に突き刺さる大鎌を視界に捉える。
 空中で体制を整える。次の瞬間……。
「これでもくらうニャーっ!!」

 ちゅどどごーん。
 ばきゃきゃっ
 んべちゃっ

 爆風でさらに二百七十度ほど回転して泥濘に突っ伏した。
「やったニャー」
「う、ういっさー……」
 色々腑に落ちない点はあるが、可愛いので、良し。

 起き上がって見れば目を回しているギザミ。
 自慢のヤドは無惨、木っ端微塵の有様。
 予想外の衝撃に隙だらけ。茫然自失という所?
「うふ、うふふふふ」
 泥だらけの弓を取り、矢をつがえる。
「ふほほほほほほほ」
 口元が嫌につり上がるのはなぜだろうか。

 問うまでもない。
 にっくきギザミに、思う存分矢の嵐を撃ち込めるのだから。
「その足、もいだらーっ!!」

 ヒュオッ
 カカカカッ

「……あら?」
 気合いと渾身の力で放った矢は、ことごとく弾かれた。
 関節に刺さった一本を除いて。

 勢いは殺されてしまったが、相手の目眩は継続中。
 矢筒から、持てるだけの矢を抜く。
 いつもは複数つがえる矢を、一本。
 まだ目を回している。大鎌はもう無い。狙うは足の関節。

 右前、右後ろ、左前、左後ろ。
 あの巨体の射程に捉えられることの危険は変わらない。
 少しでも早く、少しでも長く、その足を止めないといけない。

 ギザミが目を覚ました。
 まぶたの無い瞳に睨まれた。
 背筋を嫌な汗が通った。
 手がこわばる。

 矢が滑り落ちそうになるその寸前に照準を合わせる。
 滑り飛んだ矢が表情のない顔に突き立った。
「……よしっ!」

 実は全然良くないことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 ペーストをかき混ぜるような音。
 巨大な丸太が空を斬る音。そして……。
「どあああああーっ!?」
 かけずり回るハンターの自棄と気合いが四対六ぐらいの悲鳴。

 弦を引ききる頃には目の前。
 その腕が掠めた時の風圧を思えば威力はいかばかりか。
「っの……馬鹿ディーッ!!」

 いらだちの矛先は、全く無関係の、罪も無い、むしろ姉の酒癖から命からがら逃げ出した被害者たる弟に向けられた。
 それでも思う。剥ぎ取りナイフで斬りかかった方がまだいいのではと。
 それほどまでに、
這い蹲って駆けずり回る時間の方が長い。
 打ち込んだ神経毒の類も殆どが既に分解されているだろう。

 頭上を過ぎる腕。風圧が髪を揺らす。
 つがえていたはずの矢はあらぬ方向へ飛んで行った。
 相手が巨体だったのは幸いだった。
 その狙いのズレも巨体相応。
 許容する射線のズレも巨体相応。
 その代わり、当たれば命の保証はない。

 弓を構えた横数センチを風が過ぎる。
 じれったい。しかし焦ったら死ねる。
 足を取られてはいけない。転んだら踏みつぶされて終わる。
 罠を設置する暇はくれない。
 いい加減矢筒が軽くなって来た。

「お姉さん、爆弾もういっちょいけるニャーっ!!」
「おし来たーっ!!」

 踵を返す。走る先は清水の滝。
 罠は無い。奴の足を止めるのは他に無い。
 滝の手前、振り向くと奴が動き始めた。
 睡眠ビンをセットする。
 目を回した所に、さらにおねんねしてもらいたい。

 滝の上、草の音。黒猫二匹が重量物を運ぶ気配。
「来い、来い、来い、来い……」
 ぶち当てたら、足の下をすり抜けて、撃てるだけ打ち込むだけ。

 射程距離に入る。ギザミが腕を振り上げる。
(上からの叩きつけ……!)
 飛び込むのは足の下。
「投下っ!!」
「ニャーッ!!」

 爆音。爆風。熱風少々。
 泥だらけの体を起こすと同時、弓ごしに、ギザミの姿さえ見えないような爆煙を見る。
 その真上に、振り上げられた、巨大な腕。
「……え?」

 弓越しに伝わる衝撃、吹き飛ぶ体。
 意識も、飛んだ。