昔々。神様は世界を作りました。
 水と、風と、土と、火だけの世界でした。

 まだ何もない世界に、神様は小さな命を作りました。
 土の中の命は寄り集まって草になりました。
 集まった命を遠く遠くに広げる為に、風の生き物を作りました。
 草を食べ尽くされないよう、水の生き物を作りました。

 土が命を与えます。
 風が命を広げます。
 水を命を集めます。

 そして集まった命を土に返せば、命は回るはずでした。

   ――――『もの忘れの神様』――――
      Dragons,Cats and Human

 ところが、世界も生き物だったのです。
 雨や風が命の輪を流してしまう事がありました。

 なので最後に、火の生き物を作りました。
 火の生き物の中にある命は、雨や風に流される事はありませんでした。
 火の生き物がその命を土に返して、命を留める事ができたました。

 ですが、雨や風は変わらず命の輪を流し尽くされてしまう場所もありました。
 雨や風にそっぽを向かれて、命が生まれない場所がありました。
 火の生き物が命を求めて集まって、荒れてしまう場所もありました。

 神様は、世界によく似た生き物を作る事にしました。
 命の輪の限りない外から、命を守る生き物をつくりました。
 神様によく似た生き物をつくり、小さな神様にしました。

 ある物は土を運び、命を与えました。
 ある物は風を運び、命を広げました。
 ある物は水を運び、命を集めました。
 ある物は火を運び、命を還しました。
 そしてどんな命も焼き尽くす場所に、彼等の長を置きました。

 大きな彼等には、命を護る役目が与えられました。

 それにも限界がありました。
 神様は増えることが出来ません。
 よく似た生き物も増える事が下手でした。

 そこで神様は、彼等を手伝う生き物を作りました。
 大きな耳の彼等は、世界の声を聞く事ができました。
 火の生き物に似せて作った心は、遠くへ歩くことを好みました。
 ですが、脆弱でも長命な彼等は、なかなか地に満ちませんでした。

 そこで神様は、彼等を手伝う生き物を作りました。
 丈夫な体の彼等は、火の中でも駆ける事ができました。
 水の生き物に似せて作った体は、雨と風をはね除けました。
 ですが、丈夫な彼等はのんびりごろごろ、働きは気の向くままでした。

 そこで神様は、彼等を繋ぐ生き物を作りました。
 何の力も持たない彼等は、互いに手を取り合う生き物でした。
 どの生き物にも似てない彼等は、どの生き物を真似る事もできました。
 ですが、地に満ちる役目を受けた彼等は、とても短命で脆弱でした。

 小さな彼等には、世界の歪みを正す役目が与えられました。

 小さな神様は敬意と共に「龍」と名付けられました。
 火の生き物もよく似ていたので、「竜」と呼ばれました。

 最初の人は火の生き物にちなみ「竜人」と呼ばれました。
 次の人は水の生き物にちなみ「獣人」と呼ばれました。
 最後の人は間の子なので「人間」と呼ばれました。

 人と龍のお陰で世界にまんべんなく命が広がったころの事でした。
 神様は、彼等の声を聞きました。

 それは嘆きの声でした。

 生きる定めの龍の子が。
 死せる定めの人の子が。

 人の子の死に嘆く龍の子が。
 龍の子の嘆きに嘆く人の子が。
 世界の煌めきに影を落としていたのです。

 神様は全てを愛していました。
 神様に似た心をもった彼等もまた。

 それ故に悩んだ神様は、彼等に「忘却」を与えました。
 それを最後に、神様は全てを見守る事にしました。
 あとは世界の煌めきと響きを聴くことにしました。

 悲しみが消えることはありませんでした。
 しかし、「忘却」のお陰でいくらか薄らいだ事は確かでした。
 薄らいだお陰で、過去を乗り越える事が出来るようになりました。

 ですが、いつどこに「忘却」がやってくるか解りませんでした。

 長命な竜人は、知識と経験を、長い時間をかけて次の世代に引き継がせました。
 丈夫な獣人は、知識や経験が無くとも、のんびりごろごろ生きる事ができました。
 短命な人間は、知識や経験を、文字という形に残して広めました。

 文字はあっという間に人の子に広がりました。
 それらを組み合わせて、新しい知識を得ることができたからです。

 人間は色んな所で文字を生みだしたので、沢山の言葉がありました。
 竜人は言葉を集めてまとめて、皆に通じる言葉を考えました。
 獣人はのんびりごろごろ、自分達にも解る簡単な言葉を考えました。

 新しい知識に夢中になった人の子は、大事な事を忘れていました。
 悲しみから解放された龍の子も、大事なことを忘れていきました。

 人の子は敬意を。
 龍の子は使命を。

 忘れた人の子は歪みを正す力で世界を歪め始めました。
 忘れた龍の子は命を護る力で命を壊し始めました。
 そして、互いを忘れた彼等が殺し合う事さえありました。

 使命を覚えていた龍が人を裁くこともありました。
 敬意を覚えていた人が知恵で龍を倒す事もありました。
 それらは英雄譚と言う文字の集まりになりました。

 ある時、使命を覚えていた龍の長が、見境無く人を殺し始めました。
 世界を歪ませる人は滅んで当然とした上で。
 龍の長は、全ての命を土に還す者でした。

 人の子は抗いました。
 自分達が歪めた世界を知った上で。
 龍の長の言葉は正しく、行いは過ちと呼び。
 そんな心に「傲慢」と名を付けて。

 竜人には命を集め、武具を作る術がありました。
 人間にはそれを纏い、命を狩り集める力がありました。
 獣人には彼等を支える為、危険に飛び込める体がありました。

 彼等が纏う武具は、主に火の生き物と龍の欠片から作られていました。
 その中には、敬意を覚えていた火の生き物の欠片もありました。
 その中には、使命を覚えていた龍に与えられた欠片もありました。

 そうして人の子は、龍の長をも倒す力を得たのです。
 今度は、人の子が龍を殺し始めました。
 龍の長の力は強大で、恐ろしいものだったから。

 敬意と使命は忘れられていきました。
 まだ覚えていた人と龍も巻き込まれ死んでいきました。
 全てを忘れた人も龍も、疲れ果てて行きました。

 龍は人を恐れ、人は龍を恐れ、やがて世界は二つに別れました。
 争いの中で彼等は、一番大切な事を忘れてしまいました。
 恐れを忘れた龍と、恐れを思い出した人が争う事もありました。

 そんな中、残された英雄譚を眺めていた誰かが、気付きました。

 自分達の中にある「傲慢」に。
 そしてそれを、禁忌として文字に残しました。
 それでもやはり、何処かで忘れた誰かの為に争いが起きました。

 そうしているうちに、自分達の「傲慢」を恥じ、全てを諦めた人が現れました。
 彼等はあらゆる生き物を前に食われる事を良しとしました。
 人は彼等を「卑屈」と呼びました。

 彼等はいずれ、全ての人がそうであるべきと、世界に戦いを挑みました。
 自分達の中にあった「傲慢」に、気付く事も無く。

 長い長い時間の中で世界は歪み、命は壊れ続けました。
 しかし、神様はもう何をしようとも思いませんでした。

 たまに、思い出したように歪みを正そうとする人が現れます。
 たまに、思い出したように命を護ろうととする龍が現れます。

 命の輪に組み込まれた彼等は、その役目を果たしていると考えたから。
 例えそれが、神様が期待したそれより遙かに小さなものだとしても。

 それとも、神様も忘れてしまったのか。
 それは誰にも解りませんでした。

――

「それは、シキあたりの詩か?」
 虚ろに呟いていたのは銀髪の娘
 訪ねたのは黒髪の男。
 場所は、何処とも知れぬ光差す森。
「聞いていらしたのですか」
「珍しい事もあるものだと思って。で、どうなんだ?」
 悪戯っぽい表情で問いを重ねる男。
 少し呆れたような目でそれを見る娘は答える。
「忘れました」
 そっけなく。
「そうか」
 しかし、男はそこに微かな笑みを見た気がした。

「ですが……」
「ん?」

「おこがましいと思いませんか。人が世界と命の管理者などと」

 その言葉と同時、深緑の翼が彼女をさらっていく。
 呆けた男の網膜に、確かな笑みを残して。

 男に、言葉を返す間も与えぬうちに。