―で、今回はどんな話を聞かせてくれるのじゃ?
 ―あのな、毎回聞かれたらいい加減ネタも尽きるんだが?
 ―だがの、わらわもこの年だ。あの頃のような無理も利かぬ。
 ―ったく……しょうがない姫さんだな。

 酒と料理と、血とその他諸々の臭いの充満するギルドの酒場。
 男がその親子を見つけたのは、必然だった。
「あれは?」
 ハンターズギルドともなれば完全武装の猛者は珍しくない。
 母親はディアブロUシリーズと呼ばれる、無骨な黒鎧を纏っている。
 その傍らに立つ子供が、本当に子供だった。恐らく十歳前後程度の。

「ああ、うちの名物になりつつあるね」
 自然と、この場にそぐわぬ少年に視線が向く。
 曇りの無い片手剣と、瞳の初々しさに若かりしころの己を思い出す。
 別に運命とか宿命とかそんなものではない。
 早い話が、目立つのだ。

「……保護者か」
 もっとも、目立つと言えば男も相当に目立つ。
 鎧はありふれた火竜のそれ。
 四肢を固めるのは感覚の鋭敏な者なら逃げ出したくなるような禍々しい黒。
 その禍々しさを覆す、翼の意匠が凝らされた双剣。
「良い時代になったもんだ」
 彼等の視線の向こうでは、大型飛竜の依頼がごまんと並んでいる。
 殺到するようにそれらの依頼書を持っていくハンター達が居る。

 それは何処にでもある、ギルドの一風景であった。

   ――『Opelation KCB』――
  
   これが僕等の防衛戦

 その参加要請が飛び込んできたのは唐突だった。
 老山龍撃退の時のダメージを補修できないうちに来るらしい。
 勿論砦にも数名のハンターとナイトが配置されるが、恐らく砦は突破されるだろうとの事。
 そして、そうなると次に迎撃できる地点は街になると言うことだ。
 にも関わらず、街にいる最上位ハンターの半数が、今はここにいなかった。

 AM9:25 始まりは朝靄

 街並みから人影が消えた。
 何時出たとも解らない薄靄の中を歩く一組の夫婦がいる。
「すっかり遅くなっちゃったわね」
「まったく、あの頑固は誰に似たんだろう」
 夫の本職は医師。白衣に見立てた白い鎧に、背負うのは繚乱の対弩。
 妻はその名も猛き角竜婦人。名の通りの鎧に、背負う太刀は龍刀【朧火】。
「滅龍無しで大丈夫?」
「貫通速射で奥に撃ち込めばいい。君こそ砥石は?」
 ここの人間おおよそ九割が避難所にいる。残る一割の半数はここにいない。

 各々の狩り場で、各々の獲物と死闘を繰り広げている頃だ。
「持ってなきゃダメ?」
「いい加減折れるよ?」
 普段ならハンター、その他で闊歩する通りが全くの無人。
 人の気配が消えると、そこがいかに狩り場の空気を吸っていたかが良く解る。
「予備があるわ」
「それで動き回れるなら」
 手伝うと駄々をこねる子供達は救護施設に押し込んできた。
 姉が薬を作り、外傷の手当を弟が受け持てと言って。

「二人は、大丈夫かな?」
「リィはともかく、ディは遅かれ早かれ直面するわ……」
 息子はもうハンターだ。その心得はいま教えている真っ最中。
 娘はそれを聞きながら時折真剣な目をしていた……思うところがあるのだろう。
「君でもそんな怪我をしたことがあったんだ?」
「あなたの手当を受けたことがないのが残念ね」
 静けさの中、微かな重低音が石畳を走る。

 二人は同時に駆け出した。

 AM9:30 敵コードネーム

 交戦区域には近い救護スペース。
 無骨な石造りの部屋はかえって心境に悪いのではなかろうか?
 おそらくは交戦を告げる震動が始まってから五分少々。
 そんな部屋の片隅で、蒼髪紫眼の姉弟が暇していた。
 姉はごくごく一般的な普段着だが、弟は赤を基調とした皮鎧を纏っている。
 防衛戦に参加すると意気込んで纏ったあたりでランク不足を指摘されたが。
「そういやさ、自動マーキングってどんなよ?」
「んー……なんつーか、遠くの生き物の形がぼんやり視える感じ?」
 ハンターの絶対数が少ない。それ即ち、怪我人が少ない。
 ここにいる専門の人間で事足りる。猫の手を借りるほどではない。
 まして、幼子に傷だらけのハンターと対面させるような状況でも。

 結果、あぶれる幼子と、猫。
「んで、シェンなんたらってどんなんよ?」
 即答はなかった。
 代わりに、真横で弟が全神経を千里眼に傾ける。
 家にいるときと明らかに違う空気に、やはりここは狩人の街だと思い知る。
「んー……なんつーか、でっかい蟹みたいな感じ?」
「蟹ニャ?」
「蟹ニャか?」
 気付けば時間を持て余したアイルー達が集まっていた。
 幼い姉弟二人、ここでは立派な珍客だ。

「それって、外に見える頭蓋骨かニャ?」
 一斉に窓の外に群がる毛玉と弟。その上によじ登った姉。
 小さな窓に映るのは、四本の柱によって天高く持ち上げられた巨竜の頭蓋。
「……お化け?」
「お化けだな……」
「お化けニャ……」

 満場一致。

 AM9:35 戦力分析

 朝靄の白、芝の青、城壁の灰と影の黒。
 その中にあって大地を揺らす藍は例えるなら巨大な「柱」。
(数の暴力とは言うけど……っ!)
 妻が振りかざすのは例え抜きで角竜を両断する刃。
 それが残すのは、金属が擦れ合うと耳障りな音、耳障りな手応え、そして薄い傷。
 柱が地を踏みならす。
 過半数のハンターが足を取られる中、角竜の鎧を纏う彼女は一心不乱に刀を振るう。

 向こう側でまた、二、三人が柱に蹴飛ばされた。
(質も必要でしょこれは……)
 アイルーの手押し車が絶妙のタイミングで彼等を拾い上げる。
 影の外周から「天蓋」へ向けて放たれる数発の弾丸。
「何っでガンナーが旦那含めて三人しかいないのよーっ!!」

 苛立ち紛れに振り下ろした刃が、柱に深紅の痣を打ち出した。

 AM9:40 ブリーフィング

 戦闘開始から十分……その石室は異様な空気に包まれていた。
「諸君、静粛に!!」
 絨毯の如く、敷き詰められたように並ぶアイルー達。
 後方に送られ、暇を持て余しているのは姉弟だけではなかった。
 空になった資材箱で作られた即席の壇上にて、若き司令官の演説が行われていた。

 マカルパシリーズを纏った姉。
 全体的に膨らんだ袖とゆったりしたズボンのそれだが、母のお下がりだったため胸元やウエストと言った要所要所がパツパツである。
 普通逆である。だが尋ねてはいけない。
「何でそんなにパツパツニャ?」
 バコン、ベコン、フギャー! ぽっこん。
 このアイルー三匹ほどのように、瞬く間に樽詰めにされたくなければ。

「我々は幼さ、非力さを理由に後方に送られた。しかし!」
 彼女の後ろに並べられているのは大小様々な樽、樽、樽、樽。
 横には爆薬の山、山、山、山。
「このドンドルマに暮らす者として、このまま黙って指をくわえていていいのか!?」
 その言葉に動揺が広がる。樽詰めにされたアイルー達も顔を出す。
 それもそのはずだ。
 ここにいるアイルー達は皆、ハンターの元で働く給仕達であったのだから。
「狩り場にいる主人の為、今も奮闘する主人の為、戦う意志のある者は!?」
「ニャーゴォーッ!!」
 次の瞬間、猫達の雄叫びは、獅子も紛うそれとなって響く。
(……今度は何をしでかす気ですか?)

 異様な熱気の中、弟の視線だけが冷めていた。

 AM9:55 ミッションスタート

 対弩から放たれる数発の貫通弾が柱に支えられた天蓋を貫く。
(少数精鋭という言葉もあるが……っ!)
 本当の意味での精鋭達は、最近増えた大型飛竜の討伐に殆どが出向いている。
 これでは猫の手……もとい医師の手も攻撃に回したくなるというもの。
 しかし、その一方で幸いな事もある。
 数少ない精鋭の一人である妻ともう一人、赤い鎧の双剣使い。
 彼もまた、強かった。
 裏を返せば、異彩を放つ強者がこの二人しかいないという現状。
「そろそろ来るぞ!!」
 次の瞬間、疲労物質の塊となった深紅の柱が支える力を失う。
 数十秒後には何事も無かったかのように立ち上がる。
 再生に追いつく為の絶対量が足りない。
 それが夫の答えだった。
 何事も無く立ち上がった巨大蟹の爪が城壁に食い込む。
 城壁が悲鳴を上げる。それに満足したように、再び高度を落とす天蓋。
 猫の遠鳴きを聞いた気がした。
 気のせいだと思った。

 次の瞬間、それに無数の爆炎が降り注いだ。

 AM9:56 子供と猫と爆弾と

「お化けが下がるよ!」
 弟の伝令。
「全軍突撃ーっ!!」
 姉の号令。
「ニャーゴォーッ!!」
 爆弾を持ち上げ駆け出して行くアイルー達。

 姉弟が同様に爆弾を持ち上げて続いていく。
 その先は、芝の広がる迎撃広場。
「潰れちゃいなーっ!!」
「あらよっと!」
 司令官たる彼女の眼下、城壁の下には突然の空爆に目を回す巨大蟹。
 その隙を逃すことなく斬りつけるのは母ともう一人。
 更に離れたところでは……父の紫眼がこちらを睨み据えていた。
「姉貴……俺は今日、初めて親父が恐いと思った」
「角竜婦人を娶る男がただ者のわけないでしょーも。さ、全軍後退ー!」

 引き際に、巨大蟹の悲鳴が聞こえたような気がした。

 AM10:00 暴風域の世間話

 子供達の去り際、城壁から突き出した槍が天蓋に食い込む。
 崩れ落ちる天蓋。
 誰かが撃龍槍のスイッチを入れたらしい。
 妻の目に、ギチギチ言う口と砲丸のような目が映る。
 斬りかかる。風圧、振動、全ての存在を無視して。
 切り上げ、袈裟切り、切り払い、何人も寄せ付けぬ深紅の暴風。
 致命に足りぬのは長さだけ。
「元気なお子さんっすねー」
 その中にひょっこりと現れた男もまた、双剣をもって切り刻む。
 戸惑いはない。戸惑う暇もない。
「誰に似たんだか……」
 それは不用意な者に死を約束する暴風。
 されど巨大な眼には覇気も殺意も無く。
 答えぬ巨体に芽生える、小さな苛立ち。
(アイツら終わったらどうしごいてくれよう。いやその前に……)
 明後日の方向に向けられたそれ。刃が、炎の如き色に染まる。
「ナイト共は、何やってたのよっー!!」
 八つ当たりさえ今は戦力。

 彼等の名誉の為に言うなら、数名が負傷してそれでも結構痛めつけた方。

 AM10:10 戦況確認

 作戦その物は単純だった。
 敵の攻撃直後、後退しようとするところを一斉爆撃するというもの。
 タイミングを計るのは「自動マーキング」を持っている弟。
 拒否しようものなら一斉に引っ掻かれそうな勢いだった故、渋々。
「しっかしよくこんな安全地帯なんて見つけるよなー」
「んふー、支援効果絶大ー♪」
 分厚い城門の裏。
 巨大な爪は届かず、酸弾は飛び越える。そんな絶好の位置。
 本当は攻撃前に爆撃して阻止が理想だったのだが……弟が死ぬ気で反対。
 それを許容した場合母に撲殺されかかるのは弟であるし、失敗したら命がない。

「姉貴、死ぬときは一緒な」
「イヤ」
 そう言いながら爆薬の調合を行う姉。
 主犯は彼女のはずなので、道理に従うなら彼女が一番叱られるはずである。
 もっとも、ハンターが猫の爪に脅されたという言い訳が通じるかは疑問だが。
「あと二、三歩で来るかな」
「各員、衝撃に備えよー」
「ニャーゴォーッ!」
 アイルー達の敬礼、続く震動。
 同時に数匹がひっくり返り、姉弟の間を、黒い筋が駆け抜けた。

「……何か、やばくね?」

 AM10:15 残り耐久15%

「んーやばいねえ」
 並んで座っていた姉弟の距離を僅かに広げた黒い亀裂。
 目で辿れば迎撃広場まで繋がっているようだ。
「時にディ君や、次は何が来るかね?」
「何……って?」
「酸弾か爪か」
「……」

 弟は答えない。コレまでに何度か姉は零していた。
 アレ、両サイドにパパッと避ければ大丈夫そうじゃね? と。
 理論上そうだが、まともに喰らえば跡形も残らない。
 一部だけ綺麗に残りでもしたら更に最悪である。
 そして、沈黙は何よりも雄弁だった。

「よし、迎撃行くかー……よいしょっと♪」
 姉が持ち上げた物。
 それは数十分前に彼女が演説を披露した資材箱だった。
 中身は、きっとずっしりと重い。
「ちょ、ちょっと待って姉貴……それ本当に洒落なんねーって!!」
「そうニャ、何かあったらザインさん首吊っちゃうニャーっ!!」
「ここ突破されたらー、やっぱり吊ると思うよー?」
 樽爆弾ならぬ箱爆弾は、アイルーの爆弾突撃よろしく姉の頭上に高く掲げられている。
 姉は知っている。ここで止めようとバランスを崩せば共倒れと言うことを。
「じゃ、行ってきまーっす♪」
 彼等の視線の向こう、城門の向こうでは巨大な頭蓋が天へ向けられていた。
 とてとてと、しかしメラルー並の速度なのだけを見れば無事に済みそうな。
「あーねーきーっ!!」
 ……追いかける弟以外の全員がそう考えていた。

 AM10:16 異常事態発生

 姉の足は意外なほど速かった。
 爆撃ポイントまでは目と鼻の先だった。
 だから、それが起こるのもすぐだった。
 お化けが城壁の真下まで来た正にその時。
「おとっ?」
 姉、コケる。
「ととととととととーっ!?」
 気張ってよたよたしつつも走る。
「はわーっ!!」
 そして箱爆弾ごと、宙に投げ出された。

 その瞬間、姉の目に映る時間は止まっていた。

 自分より一足先に投げ出された箱爆弾が頭蓋に直撃するのも。
 遙か眼下で呆然とした表情で自分を見る両親も。
 泣きそうな顔で手を伸ばそうとして結局叶わぬ弟も。
(あー……やばいか?)
 それら全てが正常に動きだした瞬間、何かが耳を貫く。
 同時、吹き上げた暴風にお世辞にも軽いと言えない体が舞い上がった。
「―――――――――っ!!」
 弟の悲痛な叫びが、何と言っているのか解らなかった。
 一つ解るのは、まだ自分は生きている、と言うことだった。

「姉貴―――――――っ!!」
 全てが、一瞬だった。
 重さに耐えられず飛び出した姉。爆風に煽られた姉。
 頭蓋の眉間の辺りに叩きつけられた姉。
「あ……姉貴?」
 自動マーキングをもってしても巨大すぎる気配で分からなかった。
 しかし、それでも確信があった。
 生きてる。
 弟もまた、証明することになった。

 人間、追いつめられると何をするか解らない。

 AM10:17 小さな蛮勇、大きなお世話

 その試みは呆れるほどあっけなく上手く行った。
 お化けの頭蓋の眉間のあたり。
 狩り場で鍛えた脚力は、小さな体を容易く運ぶ。
「姉……っ!」
「いやー、しくったしくっ……いでっ……」
 頭をポリポリ掻きながらもしがみつく姉が、触れた途端顔をしかめた。
 ほぼ全身を打撲。あの衝撃では奇跡的な軽症だ。
「何やってんだ馬鹿ーっ!!」
 怒鳴っては見た。
「いやー……硬化薬グレートはいちおー……な、なはははは……」
 しかし震えているのがどちらの手なのか、握り合っていて解らない。

 片手で腰のポーチを探る。
 瓶とか空けるのも面倒くさいので秘薬から何から頭からぶっかける。
「ふぉぉぉぉ〜……っ!?」
 ちなみにこれ、良く効く代わりに、もの凄く染みる。
 痛みに耐えかねた姉が悶える。
「痛っ! 痛えっ! 痛えってーっ!!」
 その腕と爪で更に痛い目に遭うハメになる弟。
「あーもうとっとと降り……!?」
 ここで下を見たのは、色々な意味で不味かった。
 鬼の形相で吼える母をまともに見てしまった。
 その怒号が聞こえない。
 そのはずだ。
 彼等の乗る天蓋は、高々と持ち上げられていたのだから。
「嘘……」

 姉弟は眼下で、作戦開始から三発目の酸弾が放たれるのを見た。

 AM10:18 冷徹にして最良

「何やってんの馬鹿ーっ!!」
 夫の聞く妻の叫びには隠しようも無い涙声が混じっていた。
 回復弾はある。しかし、ここから当てるのは不可能。
 許されるなら自分だってそうしたい。錯乱できるならそうしたい。
 しかし、そのどちらも許されない。
 この奥で怯える無数の命。天秤の片側にいる、愛しい我が子。

 攻撃の手が止んでいる。
 原因は、妻には悪いが彼女だろう。
 自分しかいるまい。
 この停滞を動かすのは。
 彼女を動かすことができるのは。

「……大丈夫」
 夫は、引き金を引いた。
「あなた!?」
 誓って、見捨てたわけではない。
 まず、妻にそれだけでも理解して貰わねば。
「ザイン、頼む!!」
 一睨みの後、柱に斬りかかる妻。
 大丈夫、彼女ならきっと上手くやる。
「そこの赤黒双剣。落ちたらお前も拾えっ!!」
「え、あ、はいっ!?」

 妻の勢い、三割り増し。

 AM10:19 岡目八目

 朝靄を抜け、見上げた空は呆れるほど青かった。
 見渡した広場は、白い海に埋もれていた。
 踏みつぶそうという魂胆なのか、足の移動に伴う震動だけが微かに響く。
 思ったほどでないのは、頭蓋がそれを吸収しているからか。
 そこは、静かだった。

「攻撃再開したね……」
 見捨てられた。最初に思ったのはそれだった。
「まあ降りてくんねーと話にならんわな……」
 すぐにその考えは振り払った。

 このお化け、当分座り込む気が無いらしい。
 あれだけ切り刻まれれば当然か。
「ディ、死ぬときは一緒よ?」
「ヤだ」
 それでも握った手は放さない。

 眼下で剣を振るう母ともう一人。
 その視線は、片時もこちらを離れない。
 巻き起こっているだろう暴風が嘘のように静かだった。
「ねえディ……どっちに拾って欲しい?」
「……赤い方」
「でなきゃ命がないよね……」
 母の鎧、角生えてるし。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何?」
「……赤い方が手際よくない?」
「んだな」
 母が、恐らくは一本の足にかかっている間に二本ほどを真っ赤に染め上げている。
 武器の相性もあるのかもしれないが、母が誰かに遅れを取るのを見たことがない。
 狩り場に出向いたことがない姉も、そんな話を聞いたことがない。

 全ての視線が、二人の元にあった。

 AM10:20 彼女、迅速にして無謀

「所でディ君や」
「何ですか姉上様」
 嫌な予感がした。
「実は手元に小樽爆弾が一個残ってたりなんかして」
「何をする気だ……?」
「ん。目ン玉の中ぽいってやりゃ効くかなと」
「アンタさっきそれで死にかけたばっかだろうがーっ!!」
 哀しいかな、弟の叫びは眼下の母に届かない。

「大丈夫よ。もうちょっとジンジンする程度だし」
「それ一番脆い状態だからーっ!!」
 そして無情にも、それが巨大な眼窩へと投げ入れられる。
「ま、頼むわ現役ハンター」
 お姫様抱っこするには、姉は少々重かった。
 爆音。
 震動。

 そして天蓋が崩れ落ちる。

 AM10:21 双剣使いの英雄

 崩れ落ちる頭蓋の曲面、姉と思しき娘を抱え、真っ直ぐ突っ走って来る少年。
 その足場が折れた柱にうつるあたりで駆け出した。
「ドンドルマは化け物の巣窟かーっ!?」
 男がまず思ったのはそれであった。
 とはいえ自分にご指名。
 受け止められねば向かいのご婦人に両断される。

「おっちゃーっん!!」
「俺はまだ三十代だーっ!!」
 十二歳には十分である。
 走りながら双剣の一本を収める。
 その精神を、気を、空いた左腕に集中させる。
 果たして出来るだろうか?
 いや、やらねば向こうの旦那に撃ち落とされる。
「歯ぁ食いしばっとけーっ!!」
 飛んだ。
 左腕に子供二人分よりもやや大きな重さがかかる。
 娘の脇腹と、それを支える少年の腕がのめりこむ。
 嫌な音がしたと思った彼等を待っていたのは、回復弾による狙撃。
 眼前にぶら下がる柱。
 その報復は己を切り刻んだへ男か、天から焼き尽くそうとした子供へか。
 どちらにせよ、関係ない事。

「しゃらくせぇっ!」
 両腕が赤い気を纏う。
 四肢の黒が禍々しく輝く感触。
 腕の中で少年が身じろぎするのが解る。
(解るのか……やっぱここ魔境だ)
 双剣は片側のみ。
 切り抜けるには、十分だった。
「オラァーッ!!」
 すり抜ける風の深紅は子供達に見えただろうか?

 その全てが、刹那の出来事だった。

 AM10:23 小さな英雄達

「お嬢ちゃんたち無事に抜けたニャー!」
 迎撃広場城門前。
 彼等もまた、黙って見ているだけではなかった。
「滅龍弾、OKニャ!」
「貫通弾、OKニャ!」
「回復弾、O……」
「あ、それサイラス先生が撃ち込んだからもういいニャ」
「自分役立たずニャー……」
 一糸だけ乱れた隊列で並ぶのはガンナー、もしくはその経験者を主人に持つ給仕達。
 無論、獲物を持ち出す許可など取っていない。
 視界の向こう、城門の向こう、その隙間に、お化けの頭蓋。
「構えニャ!」
 ザッ!
 振り上げられる巨大なハサミが、各々の照準に重ねられる。
「ファイニャーっ!!」
 その背後に、やはり無断で持ち出したハンマーを構える一匹。
 見据える先にあるのは、撃龍槍のスイッチ。

 お化けはハサミを振り上げた姿勢のまま、変な方向につんのめった。

 AM10:25 特等席の姫君

 朝靄に埋もれた芝の上。
 礼代わりと男に鬼人薬グレートを手渡した後、姉は呆けるばかりだった。
 そこは深紅の暴風域。
 巨大な四柱を打ち倒さんとする狩人の舞台。
 母の気迫と、男の乱舞が吹き荒れる暴風域。

 見たことがなかった。
 母が鬼気迫る顔で太刀を振るうのを。
 父の狩人としての顔を。

 そして、天蓋はやがて崩れ落ちる。
 現実味の無い風景だった。
 高いところから、他人のように見ているのだと思っていた。
 よもや、それを目の前で見ることになるなど夢にも思わなかった。
 それは倒れて尚、見上げるほどに巨大だった。
 その全てに呆けていた彼女は、弟の視線の先に気付かなかった。
 代わりに、ボウガンを折り畳む駆動音と、足音に気が付いた。

 姉は、弟の前を動かない決意を固めていた。

 ―のう、それは最近入ったという若いナイトの話では無いか?
 ―……はい?
 ―はい? ではないわ!! 貴様、また出し惜しみをしておったな!?
 ―いや、その……あーっ!!
 ―二度とせぬと言うたのは何度目じゃ!?
 ―俺は伝説製造器じゃ無いんだ! そうそうネタなんてあるかーっ!

 In 6 years AM:7:30 〜Opelation KCB Again〜

 包み込む者全てを濡らす霧に満ちた、辺境の砦。
 時は過ぎ、あの頃より大分引き締まった姉と、それなりに背の伸びた弟が居た。
 纏うものも姉は雌火竜の鎧。弟は青い、ギルドナイトの正装だった。
 巨大な城門。備えられた大砲とバリスタ。
 あの頃と同じ。

 違うのは、自分達の背後にもまだまだ道が続いていると言うこと。
 崖っぷちでもなんでもないと言うことだ。
「そういえばあの後だったかね。アンタが双剣使い出したの」
「さあ、どうだったかな?」
 結局、姉弟はその後怒濤の如く叱られた。
 姉はまだいい。安堵した父の抱擁を受けられたのだから。

「でも何であそこで突き飛ばしたかなぁ……」
「だっておとんでも一応殴れば痛そうじゃーん」
 弟は近場のダイビングスポットを余すことなく引きずり回された。
 姉もその間、父に何かしらの仕置きを受けたはずだが語ろうとしない。
 あれから六年。父の没後から四年。いい加減時効だと思っていたのだが。

「ご主人ー」
 そんなときだ。
「イーオスのお掃除終わりましたニャー」
 アイルー特有の、コロコロと何かを転がすような声が聞こえて来たのは。
 出てきたのは巨大なホラ貝……ではなく黒くてふさふさのアイルー。
 サイズの対比上、後ろから見ればそれこそ歩くホラ貝だが。
 これでも、立派な狩猟笛の使い手だ。

「おー、ご苦労。研いどきなー」
「はいニャー♪」
 雪山育ち故毛足の長いこの子、姉が赴任先で拾ったんだそうな。
「コレが終わったら、姉貴も上位かぁ……」
「うしゃしゃしゃ。追いつかれるのも時間の問題ですなあ」
「んなわけあ……来た」
 言いかけた弟が気付く。遙か彼方の、確かな気配を。
 自動マーキングには今も世話になっている。
 黒猫が顔を上げる。
 それに合わせて三人が視線を交える。
「いよっし! 
Opelation KCB、スタート!!

 ―開き直るでないわ!! 大体何年前の話じゃ!
 ―五月蠅ぇ! そんなだから良い年して貰い手も……
 ―貰い手も、なんじゃ?
 ―見るな! 侍従一同俺を見るんじゃねーっ!!
 ―いっそ次は白龍でも狩ってまいれ。
 ―いや……黒いのだけで命懸けだったんで勘弁してください。はい。

「Kは俺がナイトだから良いんだけど、これじゃ爆弾無理だぜ?」
「Cは僕ニャか? Bが無くなっちゃうニャー」
「Bは……ビューティ♪」

「……俺らは所定位置行こうなー」
「はいニャ」
「待てゴルァーっ!」